台湾では教科書にも書かれていて
今なお多くの人に愛されている八田與一(はったよいち)ですが
日本では全くと言っていいほど取り上げられていないですよね。
日本における歴史教育の有り方について
いろいろと考えさせられることの多い昨今ですが
教育の重要性を強く感じています。
夫のいとこが石川県に住んでいて
そのいとこの子(高校生)の修学旅行先が
ここ台湾の烏山頭水庫だったそうです。
そのいとこと話していると
八田與一についてかなり詳しくてびっくりしました。
実は私、台湾に来るまで知らなかったので。。。。
八田與一は
石川県河北郡花園村(今の金沢市)で明治19年(1886年)に生まれ
昭和17年(1942年)5月8日に56歳で亡くなりました。
金沢第四高等学校(四高)から東京帝国大学へと進み
卒業後24歳で台湾総統府内務局土木課に赴任。
烏山頭ダムと
1万6000キロにも及ぶ灌漑用大水路の建設に当たった水利技術者です。
ダムは大正9年(1920年)から昭和5年(1930年)まで
10年の月日をかけて造られました。
この建設により
不毛だった嘉南平野は豊かな穀倉地帯となり
今なおその功績は台湾の人々に語り継がれ愛されている日本人なのです。
彼の人柄や建設中のエピソードなどは
いろいろな所で書かれていますので
ここでは省略しますね。
広大なダムを眺めるかのように建つ八田與一の銅像。
今まさに誰かが持って来たと思われるいくつもの花束が。。。
「八田與一の銅像」「機関車」
「旧送水口」と「平圧塔」
「八田技師記念室」で日本語のビデオを鑑賞。
「吊り橋」とそこから見る「余水吐」
「烏山頭管理処脇のダムを一望できる観覧所」
Hong Kong orchid treeの花が咲いていてきれいでした。
「ダムの堰提」
「シャンソン通りの南洋桜」
満開になったらきれいでしょうね。
「八田記念公園」
ただ、園は5時までですので
遅くとも3時ぐらいにはダムに着く様にされたらいいと思います。
5時5~10分前になると
見学者がいても、家の門を閉めてしまいますから・・・
バーべキュウエリアやキャンプエリア
子供たちが遊べるプールエリア
またホテルまでありました。
暑くなる前に行ってみて下さいね。(行き方について書いたのはこちら → ☆ )
広大なダムを目の前にして
何か感じるものがきっとあるはず。。。