あるキリスト者のつぶやき… -113ページ目

最高裁判所裁判官国民審査、棄権した

今日は衆議院選挙である。礼拝の帰り道、投票に行ってきた。どうせどうなるのかは投票する前から結果は予想できたけど、何もしないよりはマシなので、一票投じてきた。

基本的なところで私の考えともっとも近い政党からは、残念ながら誰も候補者がいなかったので、その次に私と考えの近い人、政党に投票。もちろん民主には投票してない。私は彼らに考えには基本的に反対である。だったら投票しなくても良いだろうが、反対の意思を表明するために投票してきたようなものである。要するに選挙は認めるが、民主党は認めないということだ。

まぁ、結果がどうあれ過ぎたことは仕方がない。これが国民の判断というものであろう。もちろんマスゴミに左右される国民の質というのも、いかがなものかと思うが、決まったことはそのまま受け入れるしかないだろう。

ところで、衆議院の選挙、(私の住む横浜では)市長の選挙の他に、もうひとつ、最高裁判所裁判官国民審査も同じくして実施された。衆議院選挙ばかりに目が向けられているが、こちらも大切なことを忘れてはなるまい。普通の選挙と違って、国民審査の不思議なところというか、曖昧なところというか、むしろ悪いところというのは、白票、つまり無記入のまま投票しても棄権にはならないということである。普通の選挙であれば、何も書かなければ棄権とみなされて、それはそれで立派な意思表示になるが、これを裁判官国民審査でやると裁判官の続投を認めるということになってしまう。冷静に考えると、空恐ろしいことだ。司法を司る裁判官が正しく評価されずに国民の無知無関心のゆえに、裁判官の資質がどうあれ、そのまま裁判官の座に居座るのである。

しかし、棄権する方法が、実はある。それは投票用紙を立会人に返却することだ。裁判官がどのような人物か知らなかったので、知らない人間を認めるわけにもいかず、かといって知らないというだけで拒否するわけもできないので、私は立会人に投票用紙を返してきた。が、この立会人、頭が悪いのか何なのか、投票用紙を受け取らないのである。お前、選挙管理委員から選ばれてるんだったら、それくらい知っておけよ。なんで私が知っているのに、お前は知らないのだ。まぁ、幸いなことに、隣の机にはちょっと経験を積んでそうな人がいたので、その人が受け取ってくれたのだが、何と言うか…投票と言う大事なものなんだから、せめて勉強はしておけよ、と言いたい。

絵心

今朝起きたら、次女が何やらせっせと虫かご(かごというけど、実際にはプラスチックのケースだが)に絵を描いていた。

こんな感じで。
あるキリスト者のつぶやき…-次女作

次女いわく、自分のことを描いたということらしい。よーく見ると、人間っぽい姿形をしている。紙に描かせるともうちょいまともなのだが、基本的に次女が人の絵を描くと(長女も次女くらいの歳には似たような感じで描いていたが…)丸の中に目と口とほっぺたがある「顔」があって、なぜか顔から直接2本の手と2本の足がでているのだ。そう、胴体がないのである。

そんな次女の絵に触発されて、私も描いてみた。
あるキリスト者のつぶやき…-父作

我が家の姿を描いてみた。単純なわりには、結構それらしく描けたと思う…のは私だけだろうか。

で…絵心があるわけでもないだろうに、何を思ったのか、この後ヨドバシカメラにA4の紙を買いに行ったときに、こんなものまで買ってしまった。
あるキリスト者のつぶやき…-ぺんたぶ

ワコムのペンタブレット、BAMBOO ART MASTERである。思えば、もう千円安いBAMBOO FUNでもよかったのかもしれないが、付属アプリの数が多いのとガイドブックがついてくるので、こちらにしたのだ。私の非力な3年前のTノートPCでちゃんと動いてくれるかどうか、一抹の不安は残るが。

さてさて、宝の持ち腐れにしないためにも、なんとか使ってみなければ、絵を描いてみたら、アップしてみたいと思う。まぁ、人様に見せられるようなものを描けたら、であるが。

モールで遊ぶ

モールをご存知であろうか?私はモールが好きである。もっと正確に言うならば、モールそのものではなく、モールで遊ぶことが好きである。意外かもしれないが、あれが結構遊べるのだ。

さて、私の好きなモールとは何ぞや?誰でもどこかで見ているだろうし、何度も使ったことがあるだろう。

私の職場の近くにあるグランベリーモールではない。私の家の近所にある横浜ベイサイドの三井のアウトレットモールでもない。いやいや、ショッピングモールのモールではない。私が言ってるモールとは、アレである。ほら、アレ。細い針金のまわりがビニールというかプラスチックというかで覆われているヤツ。

お菓子とかパンの袋は、ふつう金とか銀とかの鮮やかな色をしているし、電化製品のケーブルとかを縛ってあるのは、飾り気のない真っ黒な、アレである。確か、あれってモールって言うような…。もしかしたら私の勘違いかもしれない。だったらもうしわけない。とにかく、ここではあれをモールと呼ばせてもらおう。

さてさて、私は仕事をしていて、ちょっと手がさびしいと、モールで遊ぶことがある。いや、何も仕事をさぼっているわけではない。考え事をしていると、手がさびしくなってくるだけなのだ。さて、仕事柄私の机の上にも中にも、探すと結構でてくるので、足りなくなって困ることはない。

ひと言で遊ぶと言っても、色々な遊び方がある。細いもの、例えばボールペンの芯とかに巻きつけてもよし。以前白と黒の2本の同じ長さのモールを互いに巻きつけたことがあるけど、結構キレイな仕上がりになって、ちょっとした自己満足に浸った。後は単純にくねくね同じ箇所を何度も何度も曲げて、わざと金属疲労を起こさせて、切ってもよし。それに、針金とビニールの被膜を分離させてもいい。途中で被膜をきらずに完全に両者を分離できるかどうかがポイントである。まぁ、遊んじゃうと本来の用には使えなくなってしまうのだけれども。

人にとっては物を縛るためのものでしかないモールのような小さなものでも、それなりに私を満足させてくれることもある。小さなものでも知らず知らずのうちに人の役に立ってくれたりするのだ。それだけに、遊んでいる途中で無くしてしまうと結構ショックだったりする。

汁かけごはん

昼休みに弁当を食べようと包みを開いて弁当箱の蓋を開いたら、ちょうど手が包みに触れた。すると、何かが湿っぽいのに気づいた。よくよく見ると弁当箱のまさしくおかずの側を包んでいた弁当包みがびちゃびちゃになっていた。どうやら汁がもれていたらしい。

いつも弁当箱を縦にして持ち歩いているから、ご飯が寄ってしまうのは珍しくもないが、汁が漏れるのは今回が初である!確かに今日の弁当のメニューは汁気が多いから仕方がないか…と思ったが、汁気のあるものが入っているのはそれほど珍しくもない。

だけれとも、弁当箱から漏れる事件は今までなかった。普段はどうかというと、おかずから流れ出した汁は、ご飯と具合良く混ざりあうのだ。見た目はべちゃべちゃしていて、はっきり言って美しくはないが、食べてみるとこれがなかなかおいしいのだ。あの絶妙なるコンビネーションは、弁当箱の中でのみ実現可能なのだろう。

がしかし、今日は残念だった…。汁が外に漏れてしまったので、ご飯は普通にご飯の味だけであった。まぁ、それはそれで悪いものではないのだが、当たり前過ぎてちょっとつまらない。

どうでもいいけど、おでんの汁をご飯にかけて食うと、これが結構うまい。ご飯はほかほかよりも、少々冷えている方が良い。朝晩過ごし易くなってきた、鍋物のおいしい季節まで今しばらくである。

ほどほどのナショナリズム

先日新聞の記事で読んだのだが、中国が建国記念の愛国映画を制作したらしいのだけども、出演した俳優のうち何人かが外国籍を持っていたことが発覚し、愛国映画に相応しくないと非難を浴びたらしい。さらっと流し読みしただけなので、しかも先週のことなので詳しいことは覚えていない。

それにしても愛国映画とは…いかにもって感じである。また外国籍であると言うだけで、中国に対する背信行為と捉えてしまうのも、何だかなぁと思ってしまう。

反日思想を喧伝し、漢民族以外には攻撃的なところは、随分と排他的な極端なナショナリズムとしか言いようがない。

しかし裏を返せば、彼らはそれほどまでに、国家というもの意識していることになるのだろう。それが他を攻撃するまでになるのは如何なものかと思うが、国家を意識するのは大切なことだろう。国家というひとつの括りを考えなくなってしまえば、個人ばかりが優先されてどこかまとまりのない、自分の都合が優先されてしまう社会になってしまうだろう。まさしく今の日本が、そうであると私には思えるのだ。

ある程度のナショナリズムはけして悪いものではない。

もうすぐ総選挙である。国旗を切り貼りして党旗を作ってしまうような民主党のような集団もあるが、彼らには国家という意識がないのだろうか。彼らには党利党略が最も重要なことなのだろうか。こともあろうに、次期総理大臣になるであろう鳩山さんが国旗を切ったという事実を反省するどころか、「神聖な党旗」を用意しなかったことを悔いてるとか、ピントのずれたことを言い出す始末である。

日本はどこへ行ってしまうのだろうか…。