「その日には、エホバただおひとりが必ず高く上げられる。それは万軍のエホバの日だからである。・・・無価値な神々は完全に過ぎ去る。」(イザヤ2:11,12,18)
イザヤ2章には、「エホバの日」という言葉が登場します。聖書の中で「エホバの日」とは何を表しているのでしょうか。どんな日となるのでしょうか。
エホバの日とは過去において、何度もありました。それは、ユダとエルサレム、そしてバビロンのそれぞれの国家に対してエホバが裁きを執行する時でした。それら過去のエホバの日は、「末の日」すなわち「終わりの日」に起こるエホバの日を予示していました。(テモテ第一3:1。ペテロ第二3:3)
今回は、イザヤ書2章に示されている「エホバの日」について調べてみましょう。イザヤの預言は、「ユダとエルサレム」に関連した預言です。(イザヤ1:1)
イザヤ2章では、エホバが「ご自分の民、ヤコブの家を捨て去られた」と述べられています。(イザヤ2:6)それで、エホバの日が神の民であったユダとエルサレムに臨みました。イザヤが予告したエホバの日は、最初に西暦前607年に、ユダとエルサレムに予示的に成就しました。その時、ユダとエルサレムはバビロンによって倒壊させられました。そして、エホバの日は西暦70年に、ローマ軍によってエルサレムとユダヤに臨みました。(マタイ23:38)
しかし、イザヤ書2章は、「末の日」の「ユダとエルサレムに関して」も預言しています。(イザヤ2:1,2)西暦前607年と西暦70年にユダとエルサレムに臨んだエホバの日の特徴は、この終わりの日に臨むエホバの日にも当てはまるでしょう。
この終わりの日に臨むエホバの日として聖書の中で予告されているのは、国際連合と諸国家が大いなるバビロンに対して総攻撃をかけるエホバの日です。(啓示17:16。マタイ24:15)その日は、イエスの予告された未曾有の大患難になります。(マタイ24:21)
昔、エホバの日は、古代の政治的な王国に臨んだのですから、末の日に裁かれる「ユダとエルサレム」もひとつの国家を表しているのではないでしょうか。「エホバの日」に裁かれる「ユダとエルサレム」は、大いなるバビロンであるアメリカ合衆国をも表していたのではないかと思います。なぜなら、大いなるバビロンは、キリスト教国であり、その国の大半の人々は自称クリスチャンで、国家として神の民であると自称しているからです。
エホバの日が昔ユダとエルサレムに臨んだ理由のひとつは、「彼らの地は無価値な神々で満ちて」いるためでした。(イザヤ2:8)
同様に今日、大いなるバビロンの中でも偶像崇拝が満ちています。アメリカに満ちている偶像崇拝のひとつは、国家を崇拝することです。アメリカの教会の中で、国家崇拝が見られます。それで、終わりの日に大いなるバビロンにエホバの日が臨む理由の一つは、大いなるバビロンが聖書の神を崇拝すると主張しながら、そこには偶像崇拝が満ちているからです。
しかしながら、もしかすると、エホバの日とは、これから二度、起こるのかもしれません。すなわちイエスの預言された大患難と、イエスの予告された世の「終わり」の二つの出来事を意味しているのかもしれません。(マタイ24:14,21)どちらのエホバの日も、エホバが高められ、偶像が捨て去られる時になると思います。
イザヤ2章によると、人々は、エホバの日が到来したのを見て、それまで崇拝し頼っていた偶像を捨て、「岩の洞くつ」や「塵の中」や「大岩の裂け目」に「入る」と予告されています。(イザヤ2:19,21)ですから、岩の洞くつや穴に入るという表現は、人々が他の人間、おそらく政府や人間の組織に頼ることを意味しているでしょう。(イザヤ2:22)
昔ユダとエルサレムにエホバの日が臨んだ後、ユダの地では、偶像崇拝は、衰退しました。同様に、終わりの日にエホバの日が到来した後、国際連合の時代になると、真のキリスト教以外の宗教は衰退すると考えられます。大患難の後の時代には、宗教組織が弱体化し、国際連合の支配力や国家主義がさらに一層強まることでしょう。
私たちは、エホバの日が到来する前に、エホバに関する知識を取り入れ、真の預言を見極め、偶像ではなく「万軍のエホバ」を崇拝するようにしましょう。(イザヤ2:12)そうすれば、「エホバの怒りの日に隠される」「だれも数えつくすことのできない大群衆」の一人となって「大患難を出て来る」ことができるでしょう。(ゼパニヤ2:2,3。啓示7:14)
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