先日プレゼントしていただいた こちらの本
男性から本をプレゼントしていただくのは
…いったいいつぶりでしょう???
私が「インストラクター」として タッチフォーヘルスを伝えることを仕事にしたのは
学ぶだけより 教える側になることが
より自分が深く学べることに繋がると思ったからです
誰かに伝わるようにするには 自分が理解できていないと伝わらないですよね
また
質問されたとき答えられないことがあれば
自分が理解できていないことを知ることができます
インストラクターになってからも くりかえし学びに出かけていますが
私がタッチフォーヘルスの講座を受けるときは
自分が講座をするときのことをイメージしながら学んでいます
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同じようなことを 友安さんが話されていました
「アウトプットすることを前提に インプットする」
そうすると 積極的に受け取る姿勢になるのでしょうね
アウトプットすることも
「完璧」に 理解できてから / 準備できてから
でなく
少しずつ / とりあえず
が いいらしいです
このときも 同じようなことを言われました
「ただやってみればいいですよ」って…
一冊の本を読み終えてから アウトプットするのではなく
読みながら
少しずつ / とりあえず
感じたことを出してみるために
ふせんにメモをしながら読んでいます
本の中の一文に
「与える」という行為は、精神的に余裕がないとできないことです。
「自分は必要以上に、たくさん持っている」と言う感覚がない人は、人に与えられないでしょう。
興味深いのは、「十分に持っている感覚」を、何もないときから持てる人もいれば、
大富豪になっても、持てない人もいます。
と あります
…まったくですわ
「十分に持っている感覚」って いつになったら持てるのか?
「持っている」「ある」って自分で決めることなんじゃないか?
「持ってない」「ない」ことにしていることの
自分にとっての「いいこと」「メリット」って 何??
「自信がない」ことは「やらない」理由にはならないとは思っています
だけど
「持っている」「ある」ことにしたら
それ以上 手に入らない / もしくは 今あるものを失ってしまいそう
と 私が不安に思っていて
「持ってない」「ない」ことにしていることがたくさんある(← これは 「ある」んかいっ)
⇒ これは 大富豪になっても、持てない人 の感覚です
「不安」「恐怖」の対策としての行動を 私はやめたいのです
「不安」「恐怖」でなく
「喜び」「貢献」のために行動すると決めたら どうなるか?
何にしても 私が「持っている」「ある」と感じられるくらいまで
「私の満足の器」の方を小さくしていくイメージをしたら
「持っている」「ある」がじゅうぶん満たされてきそう…!?
そうすると
少しずつ でも とりあえず でも
気軽に出してみることができそうです
…そうね
一冊の本を読み終えないと 本を読んだことにならないのではない
少なくとも ○○ページは読んでいるのだから
そこまでで感じたことは 私にとっての事実
これはこれで 「ギブ」のヒントへのおもしろい感覚になりそうです
…が
「不満」を感じることも 私を育てることには役立っていることではあるので
葛藤は続くかもしれません