自分のこころと身体を慈しむこと | 魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

無意識のストレス反応を意識的に変化させて
気づきと自然治癒力を高め 自分や周りのひとの存在に光をみる人生を楽しんでいます

私に医療の専門知識はないけれど
私自身や家族の こころと身体の健康を
日々の生活のなかに
タッチフォーヘルス・キネシオロジーを使って
わずかでも感じることができているように想う
 
疲労でダウンすることもあるし
病気にならないとか、けがをしないということはないけれど
大切な唯一のこころと身体を
使いっぱなしにしないで
慈しむことができる身近な方法ではないかと想う
 
自分のこころと身体を 自分が大切にすることは
自分の人生に責任をもつことになっているのではないかと
そんな気がしている
 
 
 

進路に 迷っている、娘の話を聴く

 
娘の迷いが どこにあるのか
 
娘自身が 自分の内側にある答えにたどり着くために
 
娘の、今の「もやもや」を整理するために
 
私の意見ははさまずに、ただただ 聴く
(「答えは その人のなかにある」・・・禅カウンセリングという手法 )

http://ameblo.jp/little-rinda/entry-12265946093.html

 

 
 
娘の口から出てきた、
繰り返された ことばを伝えたり
 
ざっくりとしたあいまいなところを
具体的に 数字や時期にあらわしていく
 
一晩で 答えにはたどり着かなかったものの
 
娘の「もやもや」の整理にはなったようだ
 
「問題」だと捉えていたことが 
「問題」ではなくなったり
 
「変わらない」と捉えていたことが
「変わる」ということに 気づいたり
 
これから「答え」にたどり着いていく作業が
少し 楽しみな感じになったようでもある
 
娘が 娘の内側にある「答え」を探そうとしていることが
うれしくて たのしい
 
 
 
 
そんな 姉と母のやり取りを見ていた息子
 
翌晩
 
「かあさん、ここが 痛いんよ」
 
実際 痛みはあるのだろうが
 
自分と母の時間を持とうとするようにも見えなくもない
 
 
かかとを痛め、
整骨院に通い、
サッカーの試合も途中交替だったらしい息子
 
「いいよ」
 
さわるところ、さわるところ
「痛い、痛い」
 
左右の脚の開き方や
左右のお尻、太腿(ふともも)の張りが違う
 
ボールを蹴るとき
不安定な体勢で
左足で踏ん張って
右足で蹴り出している様子が
試合を見ていなくても 伝わってくるようだ
 
私のものではない、息子のからだのことを
ふれることで 感じられることが
たのしくて うれしい
 
息子の身体にふれはじめたとたん、
ついでに? 私の痛かったところの痛みも
すぐに 感じられなくなった
 
ひとの身体に向かうとき
まずは
自分の身体の使い方や姿勢を整えたり
呼吸を整えたりするからかもしれない
エネルギーというものは 繋がっているからかもしれない
 
不思議なようで
いつものことで
とっても おもしろい
 
 
 
 
何にせよ、
 
私を 自分の調整に使ってもらえて
 
しかも、それが 私のしたいこと だということが
 
おもしろくて
 
幸せだ