望郷の父・・・16 父の背景「妻の存在」 | 魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

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無意識のストレス反応を意識的に変化させて
気づきと自然治癒力を高め 自分や周りのひとの存在に光をみる人生を楽しんでいます

望郷の父・・・目次



母は 亭主関白というか、独占欲・支配欲が強いというか・・・


そんな父から 離れる時間、ひとりで自由にできる時間を持ちたがるように見えた



父は「この女は わしのおもうようにならん・・・」 と ぼやくこともあった



父は 母に対して 傍若無人、人権無視みたいな言動をするが


娘たちより 母のことが第一なんだと


想えるできごとが ぽつぽつあった





私が小学校高学年の頃、父は 数カ月のアメリカ出張に行った


母にあまえっぱなしで、「昔の日本の父」みたいな父が


初めての異国で、英語も話せないのに どうやって暮らしていたんだろうか


洋食・・・ナイフやフォークだよ?



日本を発つときも パニックになっていたようだが


滞在中も ホームシックだったようだ



時差を考え、日本の夕方頃 国際電話があった



父の不在がさびしかった私は、久しぶりに耳にする父の声に 涙が出そうだった


そんな私の話もそこそこに


「おかあちゃんは?」


と 母に代わるよう、促す父


電話口の母の様子で、父が弱っているのを感じた





私が高校生だった頃には 母から父の愚痴をよく聴くようになっていた


「父のために 母の代わりにしっかりしなくては・・・」だった私は、「暴力的な父から 母をまもらなくては!!」に シフトしていた


母をまもろうと 父にたてついて


父の理不尽さや、矛盾を突くと


「妙子が そんなことを言ったら、おとうさんと おかあさんは 離婚するはめになるんよ??」


と 変な切り返しをされた


・・・え? 私のせいか? 事実を伝えると、そうなるのか?


父と娘のやりとりを目の前にして


母は 沈黙の一手だった



娘を身代わりにするんじゃない・・・



そう想いながら、父は 母と離婚したくないんだな と 改めて知り、驚きもした





60代後半になった父は 病に倒れた


突然のことだった


娘たちにも すぐには 知らされなかった


入院中 お見舞いに行くことも断られた


父は、おもうように身体がきかない状態を 誰にも見られたくないらしい


父の実家の親戚から 私が責められた


「なんで 病院にも行かれんのや」


「うん・・・私ら 娘も行かれんのよ、ごめんね」


「ひとりで生きとるんじゃないんで」


「うん・・・うん・・・」


叔父からの電話に 何も言えなかった



病室の父に逢えなかったので メールをした


父は 私からのメールを読んで


「妙子に 怒られる」


と 母に言っていたらしい


私は 何も怒っていなかったし、責めてもいなかった


私が送ったメールを読んで、母も そんな内容ではないことは わかっていた



・・・父は なぜ そんなことを感じていたのだろう



誰とも逢わず、できることなら 病に倒れたことを 誰にも知らせずにいたいと想っていた父は


病院での介助も 看護士さんではなく、母にさせていた


トイレから 清拭から なにから・・・



父が弱みを見せることができるのは


母 だけ なんだろう





「母の代わりをやってやる、しっかりと気の利いた女になってやる」


と 息巻いても、何をやっても くつがえされるものでは なかったんだな




・・・それは 「おとうちゃんっ子」だった幼い娘には 嫉妬の対象だったかもしれないが


幸せなことだよな