宝塚は贔屓という方が多いですが、全国的(?)には【推し】呼びの方が多そうですよね。
最近知り合った仕事上の人に
「推しとか、います?」と聞かれました。
スマホを見つめてしばしフリーズ。
コミュニケーションの一環としての質問というのはわかります。
ご自身の話のきっかけな場合もありますし。
しかし正直に答えるかどうかなかなか悩む(変な人)
今は誰が推し(贔屓)というわけじゃないけど宝塚愛はまだ十分にある(心の中に)
そして推し(贔屓)については誰もが真剣(たぶん)
「こまきさんに宝塚愛語られちゃったよー」と言われるのもしんどいので正直に答える相手は選ぶ(嫌なやつかしら私)
私はちょっと熱かった宝塚ファン時代、そのことを正直に答えると
宝塚に興味を持ってくれる(様子の)人と
あら、(相手が)なんか引いてる?かな?
と思う反応の人がいました。
「宝塚って何がいいんですか?」って聞かれたこともあった。
何が、って言い方だとアレですが「どういうところが」という意味だと自分にいいように解釈する。
…宝塚の良さ。いや!(何)
それは一言では言えない。
私うなりだすけどいい?それに愛とか夢とか聞いてあなた引かない?いや簡単に愛とか夢ってそういうことでもないのよね、どっちやねん自分。となることがありました。
相手が少しでも興味を持っているならいい、それなら話しやすい。
そうでなく誰かから私が宝塚ファンと聞いて世間話にそのネタを選んできている場合。
まじめに答えるや否や。
あと、逆に「私○○推しなんです!」と言われると何て答えていいかわからない時もありますよね。
こちらに全くその○○の知識がない時。私でいうとアニメ、プロレスとか。
私は興味がなくても知らないことを教えてくれたら嬉しいと思う派ですが、あんまり初歩的な質問して相手をイラッとさせたらどうしよう、とも思う。
あまり時間もない場合、相手が軽くにしてもこの時間内に語り切れるか?と思ったりもする。
その結果、「あー、あー、人気ありますよね?」みたいなフワッとした返しになってその自分の残念さに頭を掻きむしりたくなったりして。
語りたい、語ってほしい気持ちはあるけどコミニケーションは相手のあることだし、そもそも力の入り加減というか抜き加減というか、好きなことの話になると冷静さを欠くことがあるから難しい。
その結果、私の布教活動恐る恐るになりがちでした。その代わり狙った獲物は逃さない(怖いって)
観劇して感激してしゃがんで膝痛いとか言いながら宝塚ブログ書いてその出来の悪さに自分でイライラして(あの魅力を伝えられない!的な)
そして時々布教して少し仕事する(そこはいっぱいやれ)
なんか全然時間が足りなかったけど
懐かしいわ、楽しかったわ
若かったわ(今よりは)
と思い出しながら冒頭の質問に結局
「ううん、いないです〜推しとかいたら楽しそうですよね」と返信した私。
本当のような嘘のような。
ちょっとつまんないな、息子を愛でるような気持ちでFCとか入っちゃおうかな。
…でも、誰の?笑