酒場人生覚え書き -9ページ目

こころ絵 『今日という日は』

今日という日は、

       残りの人生の最初の一日。

 

わずか一枚になったカレンダーを見ていたら、今年もなにも為さないままに去っていく事の焦燥にかられます。

過ぎ去った時を凝視すれば、その中に浮遊するのは、色褪せた想い出ばかりです。

それならばと未来の中に夢を見出そうとしても、積み上げた砂の山のように儚い・・・・そのような空虚なこころで、ただ生きることはあまりにも悲しいと思い出したのは映画『アメリカン・ビューティー』の中の台詞として使われた言葉です。


    今日という日は、残りの人生の最初の一日。

 

酒場人生覚え書き

 

過去は過去として、昨日は昨日として過ぎ去った時を振り返るよりも、

新しい人生は陽光とともに訪れた今日という日から始まるのです。

毎朝がこんな気持ちで迎えられたら、どんなに気持ちが良いだろう・・

・・そんな想いで描いたのが今日の『こころ絵』です。

 

禅語で言う「無常迅速」もまた、瞬く間に過ぎ去っていく人生なのだか

ら、時間を無駄にしないで懸命に生きなさいと教えてくれています。

 

 

 

 

 

こころ絵 『かえりはひとり』

かへりはひとりの月があるいつぽんみち

                                  山頭火

 

ホロホロと酔っての帰り道、ネオンサインも消えたビルの谷間から、薄

墨色に貼り付いたような月がのぞいていました。

荒涼とした寂しげな道を家路に向かう山頭火も、酔いざめの目に浮か

ぶ月を見て、何を考えたのでしょう。           

             酒場人生覚え書き

わたしもまた老いた漂泊者のような人生。

おんなじ月を見て胸に迫る念いは一緒かも知れません。

 

月澄むほどにわれとわが影踏みしめる

これもわたしの好きな句です。

 

 

 

 

こころ絵 『一如』

一如

  いちにょ

 

平たく読めば「一つの如し」ですが、岩波国語辞典には“絶対的に同一である真実の姿という意味の仏教用語である”とあります。

もとは古い中国における道家(老荘思想)の思想概念にある“一でありつつそれは異なるが、異なりつつもそれはそれは一である”という、ものの真実の姿(真如)を弁証法的に表現した語からきているのだそうです。


            酒場人生覚え書き


中国の老荘思想の基本概念が、仏教用語として取り入れられ、やがて剣禅一如のように“禅の精神と剣の精神は『一如』である”と剣の道の崇高な境地として取り入れられることになりました。

江戸幕府の創生期から将軍家剣術師範となった柳生宗矩は、剣の道を究めるため沢庵禅師について禅の修行をつみ、この境地に達したと言われています。


世のどんな分野でも精進を積みかさねていけば、どんな道であろうとや

がて“同じ頂点”にたどり着くものということでしょうか。

 

 

 

 

 

こころ絵 『脚下照顧』

脚下照顧

 

お寺の玄関や入り口に『脚下照顧』の四文字が、木札に大書してあ

るのを見ます。

脚下”は足もとのこと“照顧”はよく照らして顧みることですから『脚下

照顧』とは「足もとをしっかり見よ」という意味なのだから“履き物をだ

らしなくぬぎっ放しにするな”と言うことだろうと、ことさら神妙に靴を揃

えてからあがったものです。

 

ずっと後になって脚下は単に履き物のことだけではなく、“自分の足も

”言い換えれば自分が立っている場所であり、それがいまこの時の

出発点となるのだから『脚下照顧』とは“自分自身をしっかり見なさい

であることを知りました。


            酒場人生覚え書き

 

オレは理想のみを追い求めて現実を忘れていないだろうか。

屁理屈で己の愚行を正当化していないだろうか。

目標を定めそれに向かって歩いているか。

怯懦なこころに囚われていないか。

近ごろ安易な道ばかりを探していないだろうか。

・・・・等々、自分を見つめなおすと反省点ばかりだけど、その自省する心

が大切だということなんでしょうね。

 

いまになればもの凄いスピードで変化する現代に、追いすがって生きて

いくのも大変なことですが、それでも時には自分の足元をしっかりと見

据えて生きていきたいものと、今さらながらに描いてみました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こころ絵 『傾城』

傾城(けいせい)に傾国(けいこく)を続ける『傾城傾国』の出典は漢書だそうです。

城を傾け国をも傾けるとはいったい何事ぞ・・・・と思わず凋落とどめない某国のバカ殿を思い浮かべたら、原意は美貌で主君の心を惑わせ、町や国を滅ぼしてしまうほどの美女という意味なのでした。

まさに絶世の美女ということですね。

 

 

少し長くなりますが『漢書』にある挿話をご披露しましょう。

漢、武帝の時代。李延年(りえんねん)という宮廷楽士がいた。武帝も

彼を気に入っていた。

また、彼の奏でるすばらしい音楽に感動をおぼえない者はなかった。

あるとき、李延年は武帝の前で次のような歌をうたった。

 

   北方有佳人、       北方に佳人有り、
   絶世而独立。       絶世にして独り立ち、
   一顧傾人城、       一たび顧みれば人の城を傾け、
   再顧傾人国。       再び顧みれば人の国を傾く。
   寧不知傾城与傾国、   いずくんぞ傾城と傾国を知らざらんや。
   佳人難再得。       佳人再びは得難し。

武帝はこれを聞くとため息をついて「本当にこの世に、そのような美人がいるのか」とたずねた。
すると、平陽公主が李延年には妹がおりますと言う。
武帝がさっそく召しだして見ると、まさしく類い稀なる美女で、舞も見
事であった。

こうして彼女は武帝に寵愛されるようになり、一児をもうけた。
しかし、李夫人はほどなく病にかかり、若くしてこの世を去った。
武帝は彼女の死を悼み、甘泉宮に肖像画を掛け彼女を偲んだ。
その人が傾城傾国のもととなったとは言いがたいが、慢心に陥った
武帝は悪政の中でやがて国を滅ぼすことになった。


          酒場人生覚え書き

・・・・とまあこういうことですが、日本でも江戸時代、遊郭が華やかだ
ったころ『傾城に誠なし』といって“遊女が客に誠意をもって接するはずがない”とか“遊女の言うことを信頼できない”等という男の遊び心を戒める言葉があったそうですよ。


どこかの国のバカ殿さんも美ぼう才媛の妻や、近年まれに見る極悪政治家に鼻面を引き回されて、この国を亡ぼさなければいいのだけど・・・・

こころ絵 『刀瘡易没』

刀瘡易没 悪言消難


刀の傷はなおせるが、言葉の傷はなおせない」ということですが、不用意の発言で相手を傷つけてしまうこともあれば、相手から言われたことに傷ついてしまい、いつまでも引きずることもありますよね。

人情こまやかであった江戸時代の人は、このように心を傷つける言葉、刃物で相手を刺すのになぞらえて「刺し言葉」と言い、口にすることを極端に嫌ったといいます。


             酒場人生覚え書き

 

いまは子供達の世界にさえ、意図的に相手を傷つける言葉を集団で浴びせかけ、しまいには自殺にまで追い込んでしまうような“イジメ”が横行していますが、弱い者を取り囲んでみんなで“刺し殺し”ているようなものです。

他にも先生が児童や生徒に、また親が我が子に向かって酷い言葉で“めった斬り”にするようなことさえありますが、平成の日本人は江戸時代の人達が嫌ったという“刺し言葉”の持つ意味を学びなおさなければいけません。

 

言葉”に宿る霊力から“言霊”(ことだま)とも呼ばれるように、言葉そのものが大きな力を持っていることをこころすべきですよね。

傷つけるのではなくこころを込めた“ひと言”が人を幸せにしたり、元気にしたり、自信を取り戻したり、傷ついたこころを癒す力があることを思いながら、言葉を大切にした会話でありたいものです。

 

そんな思いを込めて描いたのが今日の『こころ絵』です。

 

 

 

 

 

 

 

 

続・続 人間機雷 327

第六章 夢幻泡影
三 歳月 


3 国士への道 1 (7)
余談だが“昭和”は、日本の歴代元号の中で最も長く続いた元号でもあった。これは外国の元号を含めても最も長く続いた元号である。歴史上60年以上続いた元号は日本の昭和が64年それにつぐ長さでは清の康熙が61年である。
20世紀の大半を占める昭和という時代は、急速な技術進歩を続ける今世紀にあって、2度の世界大戦に象徴されるように、それまでの時代と異なり、国土そのものを破壊する大規模近代戦争を伴う動乱の時代でもあった事を考えれば、皮肉にも思える改元でもあったろう。
昭和6年9月の満州事変を皮切りに、じつに15年におよぶ戦争に突入し、大井秀敏も昭和18年、15歳になるのを待って海軍予科練習生に志願した。
敵の上陸用舟艇に人間機雷として百死零生の特攻をかけるべく猛訓練の日々を送ってきた。しかし、日本は敗れ命の捨て場も失った秀敏は、復員するとまもなく極道の世界にも足を踏みこんだが、いまいちど祖国のために命を捧げる気持ちを抱いて、剣の道にすがりながらここまできた。
その身にとって同じ書経の中にある『過ちを恥じて非を作すなかれ』は身につまされる重みを持っている。過ちを改めることをためらって、過ちを重ねるようなことをしてはならない・・・・おのれに言い聞かせての7年間でもあった。

 


また『天の将に大任を是の人に降さんとするや、必ず先ず其の心志を苦しめ、其の筋骨を労せしめ、其の体膚を餓えしめ、其の身行を空乏せしめ、其の為さんとする所に払乱せしむ』・・・・天が、その人に重大な仕事をまかせようとする場合には、必ずまず精神的にも肉体的にも苦しみを与えてどん底の生活に突き落とし、何事も思いどおりにならないような試練を与えるのであるという 孟子の教えはこころの奥底にくすぶり続けていた情念を想起させ、『自ら反みて縮くんば、千万人と雖も吾往かん』に見るように、“自分が正しいと確信が持てるなら、阻む者がどれほど多かろうと、信じた道をオレは進む”の名言に触れたとき、これからの人生をどのように生きていくかという命題の帰納するありどころを示唆してくれるかのようでもあった。

元々は『礼記』の中の一篇だったが、宋の時代以降に独立した書物として扱われるようになった。『大学』は成立年代も作者も不明であるが、『論語』『孟子』『中庸』と合わせて四書の一冊としたのは南宋の朱子にはじまる『大学』であるが、そのなかにみる名言では『物に本末有り。事に終始有り。先後する所を知れば、則ち道に近し』物事には必ず本と末、終わりと始めがある。そこで常に何を先にして、何を後にすべきかを知って行動すれば人の道に大きく外れることはないとか、夏王朝の暴君である桀を征伐した商の湯王は、自らが桀と同じ『道徳的な過ち』を犯さぬように、毎日見る洗面盤に彫り込んで自戒としたというエピソードが伝わる『苟に日に新た、日々に新たに、又日に新たなり』。どんな立場の人であろうと、毎日の生活や仕事というのは同じことの繰り返しが多い。うかうかやっていると、すぐにマンネリになってしまう。そうならないためには、常に意欲を奮い起こし、“日々に新たに”の決意で取り組む必要がある・・・・これもいまの秀敏にとって心して生きるための教訓となった。


また『大学』にみる『小人閑居して不善を為し、至らざる所無し』も自戒に心に刻み込んでおくべき名言である。偉人だったら、一人静かに田舎に暮らしても思想を深めたり真理に達したりするのだが、大した見識もない凡人が同じような環境で暇にしていると悪いことをたくらんだりしたりするという意味と解釈されているが、月心老師の解説によると“本当は君子は一人で居る時に自ら慎み律するが、小人は他人が居ない所ではろくな事をしない”という意味だという。その後に続く言葉も教授された。
  小人閑居して不善を為す、至らざる所無し。
  君子を見て、而る後に厭然として、その不善を蓋いて、

                                                                  その善を著す。
  人の己を視ること、その肺肝を見るが如く然り。
  則ち、何の益かあらん。
  此れを中に誠あれば、外に形(あらわ)ると謂ふ。
  故に、君子は必ず、その独を慎むなり。
これは、君子に対する警告である。
家来が、本当の家来か、そうでないかを見破る必要があるとしている。本当に心から忠誠心のある家来と、そうでない家来とは、その言動や態度、行いから見破ることができる。しかしながら、見破るには、君子自身が、真の誠ある言動と行動をしなければならないという諭しである。
小人は、基本的に、まだ精神的にふらふらして迷いのある修業途中の人物を指しているとおもってよいだろう。あるいは自分自身をコントロールを十分にできない世間知らずを指しているとも言える。よって、修業中の身の内は、独りにさせず、多くの監視の下に、餅つきのように、突き込んでいって、人格形成を行う必要があるのだという。

大井秀敏は昭和31年の初冬まで、約2年間を昼夜を問わず四書五経の解読と剣の修練に明け暮れた。
すでに28歳になっている。論語で言うところの“三十而立”・・・・三十にして立つ年齢に近くなってしまった。焦燥感に似たこころのざわめきを感じながらの切磋である。

                                                                                  続

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こころ絵 『捨てきれない』

 

捨てきれない荷物のおもさまえうしろ

                              山頭火

一里塚のような“54周年”を越えて、また旅が始まったとおもったら今年もあとわずか・・・・過ぎ去る歳月の早さに焦燥にかられます。

残りの旅の里程は定かではないけど、ともあれ歩ける間は歩き続けようと思ったときに、思い出したのが山頭火のこの句でした。

何もかも捨て去ったかのように飄々として旅を続けた山頭火にも、こころの中には重い荷物があったと知る句でもあります。


きっと自殺した母への悲しすぎる思い、地元の名家であった種田家を潰してしまった悔恨と懺悔、妻も子も放り出して放浪の旅に逃避した自責の念、酒や女への欲望を絶てない自分を嫌悪する情・・・・どれもが重い荷物となって山頭火を苦しめていたのでしょう。

 

         酒場人生覚え書き

 

 

自分にもまた人知れない“捨てきれない荷物”のなんと多いこと・・・・それらを振り分け荷物のように肩にして、また歩き始めました。

歩き続けていくうちに、過去に背負ったいくつかの荷物は肩から外すことが出来るかも知れないけど、それにも増して荷物は増えていくのでしょうね。

 

貴方の荷物は重いですか・・・・?

 

 

 

 

 

 

 

続・続 人間機雷 326

第六章 夢幻泡影
三 歳月 


3 国士への道 1 (6)
 また論語の中の名言でも『学びて時に之を習う、亦説ばしからずや。朋遠方より来る有り、亦楽しからずや。人知らずして慍みず、亦君子ならずや』とか『吾十有五にして学に志し、三十にして立ち、四十にして惑わず、五十にして天命を知り、六十にして耳順い、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず』などはその存在さえ教えられなかったのはなぜだったのか。


しかし、今になって老師から教えられるとまったく違った感慨がこころを満たす。十五の年に聖賢の学に志し、三十になって一つの信念をもって世に立った。しかし世の中は意のままには動かず、迷いに迷ったが、四十になって物の道理がわかるにつれ迷わなくなった。五十になるに及び、自分が天のはたらきによって生まれ、また何者にもかえられない尊い使命を授けられていることを悟った。六十になって、人の言葉や天の声が素直に聞けるようになった。そうして七十を過ぎる頃から自分の思いのままに行動しても、決して道理を踏み外すことがなくなった・・・・というのである。
秀敏は己の命が限りあるもので、またそれが天命を知る歳までも長らえるとは思ってはいないが、改めて人生というものを考えるには味わい深いものである。


『徳は孤ならず、必ず隣有り』、すなわち報いを求めず、陰徳を積んでいる者は、決して一人ぼっちではない。必ず思わぬところにこれを知る者がいるものだという言葉もスンナリと理解できた。
わたしは天を怨むこともなく人を責めることもなく、日常の問題から出発して、ひたすら自分を向上させることに努めてきた。そういう私を理解してくれるのは天だけであろうかという『天を怨みず、人を尤めず。下学して上達す。我を知る者はそれ天か』とか『士は以て弘毅ならざるべからず。任重くして道遠し』の言葉の通り、指導的立場にある人物は、広い視野と強い意志力を持たなければならない。なぜなら、責任が重く、道も遠いからであるも心に刻み込んだ。

 

                              

礼記の名言も秀敏のこころをとらえるところが多かった。
人の子たるを知りて、然る後に以って人の父たるべし。
人の臣たるを知りて、然る後に以って人の君たるべし。
人を事うるを知りて、然る後に能く人を使う。
“子としての務めをしっかりと果たしてこそ、自分が親となった時、親としての責任を果たすことができる。臣下としての務めをしっかりと果たしてこそ、自分が君主になった時、君主としての責任を果たすことができる。部下として上司に仕えた経験があってこそ、自分が上司の立場になった時、よく部下を使いこなすことができる”とか、せっかくの玉も、せっせと磨き上げなければ立派な器にならない。それと同じように、人間も学ぶことによって自分を磨き上げていかなければ、人たるの道をわきまえた立派な社会人にはなれない事を教える『玉琢かざれば器と成らず。人学ばざれば道を知らず』 は予科練志願前の中学時代に恩師から聞いた言葉だった。
  大井秀敏は昭和3年生まれである。年号が大正から昭和に変わって3年後だ。
年号の由来は書経の中の言葉『百姓昭明にして万邦を協和す』からとったものだった。
広く人民の生活が成り立つように取り計らい、さらに他の国々まで仲よく共存せしめる。言いかえれば“国民の平和および世界各国の共存繁栄を願う”という意味を持たせた改元である。

                                                                              続

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こころ絵 『赤とんぼ』

『赤とんぼ』

 

今ごろの季節になると思い出すのが、♪夕焼け 小焼けの 赤とんぼ
負われて 見たのは いつの日か
♪という童謡の『赤とんぼ』で、アンケートよれば
日本人の好きな童謡”の第一位だそうです。

この歌詞を口遊びながら、近ごろ頭をよぎるのが、山頭火のいつも ひとりで 赤との句です。

毎日を家の軒下にたたずみ、一握りの米を押しいただき、一銭の喜捨にも手を合わせながらの旅にも辛い“冬”が近づいてくるなかでの一句だったのでしょう。

 

子供の頃、透き通る青空のなかで、黄金色の稲穂の上を“赤とんぼ”が、羽を燦めきさせて群れ飛んでいたのを思い出します。

赤とんぼの鮮やかな紅さに、残り少ない秋を急がせるような切なさも感じました。

山野を旅する山頭火が見たのは、きっと仲間はずれのような“赤とんぼ”だったのでしょう。


               酒場人生覚え書き

慾や執着を捨て、ただ一人になろうとしても、どうしてもなりきれない
山頭火の矛盾した思いが、秋空の中に溶け込み損ねた“赤とんぼに語り掛けます。

それにしても何故にああまで、美しくも、どこか哀しい“紅”なのでし

ょう・・・・。