こころ絵 『慈』
NHKの『ダーウィンが来た』が好きでときおり観ています。
迫力の映像の数々で生きもののすばらしさを伝えてくれるのですが、時には涙を堪えるのに苦労する感動的な場面もあります。
両後ろ足が不自由で歩くこともままならない子ライオンを、なんとか群れからはぐれさせまいとピッタリとつきそう母ライオンの姿には我慢できずに涙しました。
子を守るためにどう猛な敵に立ち向かう母オオカミ。
独り立ちさせるために、冷たく突き放す野生ネコもいました。
そんなの母と子の間柄を観ると、どうしても人間社会を思い出してしまいます。
母が子を殺し、子が母を殺す姿はこの番組の野生動物には見られません。

日本は古来、母親が子供をいとおしみ、いたわることを「慈しむ」と表現してきましたが、この“イツクシム”は“ウツクシム”の転で、“ウツクシイ”という言葉を派生させています。
今では“ウツクシイ”といえば『美』の字を当てますが、そういう点で『慈』と『美』は一体と言えます。
ですから本当に美しい為には、視覚的・聴覚的に“ウツクシイ”ばかりでなく、ライオンの母子のように“ひたむきに慈しむ心”が必要なのでしょうね。
こころ絵 『正』
『正』という字は「一」と「止」という字の組み合わせですが「一」は城郭で囲まれている「邑」(まち)であり「止」はそれに向かって進撃する意だと言いますから、目標めがけて真っ直ぐ進むことと言えましょうかね。
孔子は「政治とはなんですか」と問われた時に「政は正なり。子、帥(ひき)いるに正をもってすれば、たれか敢えて正しからん」とこたえたそうです。
『正』を心の根底において統率すれば、不正をする人はいないと言うこと
でしょうか。
たしかに政治の政には正が含まれていますね。
・・・・と言うことは、いまの日本の政治は政治ではないと言うことか・・・・こころ正しからざる政治家の下では、こころ正しからざる公僕もいれば民も沢山いますものね。
なにかブレている感じのこの国ですが、せめて私たちは正しい判断をしようとする時には、一度止まってみましょう・・・・止まるから、正しい判断ができるのかもしれません。

今日の『こころ絵』は甲骨文字を参考に原義での「正」を描いてみました。
いまの政治のことが頭にあったとは言えすこし怖いかな・・・・この字(汗)
こころ絵 『身のまわり』
身のまわり かたづけて 山なみの雪
山頭火
種田山頭火の晩年のころの句です。
山頭火の日記にはよく身辺整理という言葉がでてくるのですが、物欲にとらわれない生き方をしていたので、余計なものはいつも捨てていたのでしょうね。
それに比べたらワタシなんぞは身の周りの物ひとつひとつに、想い出が染み込んでいるような愛着があり、思い切りよく捨てることができません。
それらの価値は自分のこころの中にあるだけなので、家人にはゴミやガラクタなんです。
以前、うかつに自分の部屋の掃除を頼んだら、古くて価値のある物も情け容赦なく山ほど捨てられたことがあります。
その時は想い出まで捨てられてしまったように情けなかったです。
でも歳を重ねる度に“身のまわりのかたづけ”もそろそろ必要かなと思うようになりました。
禅の言葉『 放下着』(ほうげじゃく)はそんな躊躇や未練のこころさえ捨ててしまえと教えてるのでしょうね。
・・・・ということはガラクタをサッサと捨ててくれた家人は、禅の教えを諭してくれたのかな・・・・と思えるようになってきました(笑)
こころ絵 『一炊の夢』
一炊の夢
いっすいのゆめ
人の世の富や栄華、人生のはかなさの例える言葉にはいろいろとありますが、古代中国・唐の時代に書かれた“沈既済”(しんきせい)にある話が好きです。
貧しい身なりの盧生という若者が、邯鄲(かんたん)という町の茶屋で一人の道士から枕を借りてうたた寝をします。
その枕は栄耀栄華を極めることが出来るという不思議な枕でした。
その枕で眠りについた盧生は、良い家庭に恵まれ出世をし富貴を極め、
そして八十歳まで長生きするという自分の憧れていた一生を夢に見たのです。
ところが目覚めてみると、自分が眠る前に茶屋の主人が炊きかけていた黄梁(こうりょう)がまだ炊き上がっていませんでした。

この故事から盧生が夢に見た人生の栄華も、黄梁を炊くほんのわずかな時間であったとの悟なのですが、どんなに平凡だろうが派手であろうが、人生わずか八十年あまり・・・・。
儚いと言えば儚いですねぇ。
こころ絵 『守株』
守 株
しゅしゅ
古代中国の宋の国にこんな話があります。
ひとりの農夫が畑を耕していたところ、いきなり飛び跳ねてきた兎が木の切り株にぶつかって、ころりと死んでしまいました。
それをみた農夫はまた同じ様なことが起こると考え、畑を耕すことも止めて何日もその切り株のところで、兎が跳びだしてくるのを待っていたのですが、二度とうさぎを飛び出してこず畑は荒れ明日の食い物もなくなったという故事です。
この言葉は古い習慣を守るあまり、時勢に応じた処置ができない愚挙を意味しています。
とにかく人は何事も穏便に過ごせばそれで事足りるという及び腰の傾向がありがちですが、どこかの国の政治家どもを見るにつけ“ウンウン”と妙に納得してしまいます。
韓非子は“昔の聖人のやり方のまねで、現在の政治ができると思っている者は、この切株を見張った男の同類である”と言っていますが、日本が日本らしかった明治時代の政治家を思えば、その真似も出来ない昨今の政治家には落胆するばかりです。
北原白秋の童謡『待ちぼうけ』でも歌って貰いましょうかね。
48年目のメリークリスマス
昭和45年12月・・・・。
クリスマス・イヴ近くともなるとキンキラの‘とんがり帽子’をかむり、ビニールの‘ロイド眼鏡’をかけた酔客が、関内の街を肩を組んで大騒ぎしながら歩いていた・・・・そんな時代だった。
有線放送からはビング・クロスビーの「ホワイトクリスマス」や、少年少女合唱団の「ジングルベル」が繰り返し繰り返し流れていた。
街中の喧噪とは別に人一人居ない店内では、少しばかり着飾ったホステスが手持ちぶたさに、それでも心無しかウキウキとしてクリスマスキャロルを口ずさんでいる。
「おゝ寒い寒い!」
という声と一緒に重い木の扉を背中で押して入ってきたのはKさんだった。
見ると、大きな包を両手がこいに抱えている。
Kさんは40を少し越えたでっぷりと太った人で、この店に来始めてまだ間もないお客様の一人である。
「七面鳥持ってきたぞー」
その包をカウウンターの上に置いた。
開けてみるとそれは大きく立派な七面鳥のローストだった。
「俺がネ昼間からさっきまでかかって焼いたんだ・・・・立派のモンだろ!」
浅黒い顔をほころばせて自慢している。
「あゝそれからこれはみんなにプレゼントだ・・・・」
女の子一人一人にリボンの架かった小箱を手渡しながら悦に入っている顔は、サンタの顔、好々爺そのものだった。
Kさんは手際よく七面鳥を切り分け、一緒に持参したソースをかけ回して皆に勧めた。
誰言うとなく「メリークリスマス!」と言い交わし、時ならぬクリスマスパーティとなった。
時が経ち一人二人と常連客の来店もあり、その人達も加わってゆく。
「やっとクリスマスみたい!」
すっとんきょうな声ではしゃいだ一番年下の女の子が、爆笑されたりして楽しい時は過ぎていった。
「ヤァ、雪だ!雪が降ってきた!」
帰る客を送りだした子が大騒ぎをし、どれどれと外を覗きにゆく人が居たりして「これでホワイトクリスマスだネ」と、一層盛り上がる。
フト気がつくとKさんの姿が見えない。
トイレにでも行っているのだろう・・・・と待ってみたが一向に帰ってこない。
そして、閉店。
女の子達は時ならぬプレゼントに喜びながら「お疲れ様ぁ」と帰り、一人きりになった店でKさんの事を考えた。
時間をかけて焼き上げた七面鳥を囲んで、クリスマスを過ごすのはKさんの家族こそふさわしいし、常連客でもない彼が女の子一人一人にプレゼントを用意してきたことも不思議だった。
ほかの客が「本物の七面鳥を食べるのは初めてだぁ」とか、年若い客が「今夜来て良かった~、こんな楽しい豪華なイヴが過ごせて・・・」などと言いながら、七面鳥に食らいつく姿をカウンターの隅から、終始ニコニコしながら見ていた彼・・・・・。
一体どこにいっちまったんだろう。
「今夜はこれでやってくれ」と、手渡された金は充分すぎるもので“幾らかはお返ししなくては”と、考えていたのに・・・・。
それから数日後、今夜で年末年始休暇に入ろうとする夜の遅い時間に、彼はひょっこりと顔を出した。
従業員全員やイヴに来店してくれた彼女も居ない若い客たちに、思わぬご馳走を振る舞われたお礼を言われると「イヤァ・・・」と、照れくさそうに苦笑いをしながらカウンターの隅に座り、いつもの‘ブランデーの水割り’を注文した。
「クリスマス・イヴの時は黙ってお帰りになったんで心配しました・・・・これあの時の清算分です」
封筒にいれた釣り銭を手渡そうとした。
「俺も楽しんだょ、そんなモノ受け取れないネ。マスターが要らないんだったら女の子にでも‘餅代’としてやってくれ・・・・」
そのKさんが、東日本最大の暴力団、I会Y一家の大幹部だと知ったのは、それから数カ月後の事で、たまたま来合わせた、銀座某百貨店‘M’の部長から「随分お世話になっているヒト」として改めて紹介を受けての事だった。
「Kさんがこの店に来ているなんて思いもよらなかったですよ」
追従ぎみに語り懸ける部長に、不機嫌な顔でボソボソと言った。
「住まいから近いしね、それに知った奴のいないトコで遊ぶのはいいもんサ。ココが気に入ってたんだけどバレちまったから来づらくなっちまったなァ・・・・」
だけど彼は以前にも増して変わる事なく来店し、運転免許を持たない彼のために故郷の銚子まで付き合うほどの関係になっていった。
家族を持たない彼が、一人ぽっのクリスマスがチョッピリ嫌で、七面鳥をお土産にしてまで、この店で楽しみたかったと知ったのもズーッと後の事だった。
Y一家の大幹部と言ってもその仕事はほとんどが会長の渉外関係や、熱海の総本家との折衝とかで、手下を持たない一匹狼的な存在である事とか、雰囲気も風貌も温和なKさんだがその、若い頃に“命のやり取り”など日常茶飯事の如くやらなければ渡って来れなかった道であったとも知った。
最初の出合から7・8年経ったある年のクリスマス・イブの事である。
「Kだけどねエ、今近くのホテルに居るんだ。そっちへ行こうとしたんだけど、どうも具合が悪いんで済まないけどチョット来てくれないか」と、店に電話が入った。
久しぶりに見るKさんは別人のように痩せこけて、ドス黒い顔には精気が無かった。
「Kさん、どうしたの!口のトコ血が着いてるヨ」
「歯の治療したからその血かな・・・・なぁに大した事無いよ、それより頼みがあるんだが、以前一緒に行ってもらった銚子に別れた女房との間にできた娘が居るんだ、その娘にこれを届けてくれないか、俺が行っても逢おうともしないし、実家に頼めば勝手に使っちまうし、フト思い出して石さんに頼もうと思ってよオ・・・・なあに、うまい事言って押しつけて来てくれりゃいいんだ」
手渡されたのは背広の内ポケットに、ようやく押し込めるほどの厚みのある茶封筒だった。
年が明けて早々に頼まれ事を片づけた二週間後、Kさんがよく使っていた‘T’と言う関内の小料理屋のおかみさんから電話が入り“昨夜、Kさんが死んだ・・・・”と、哀悼のかけらも感じられない口調で知らせてくれた。
「オレに何かあったら“ぼんそわーる”のオヤジだけには知らせてくれよ・・・・」日ごろ冗談まじりで言っていたのだという。
閉店後、Kさんがよく座っていたカウンター席で、彼が好きだったブランディの水割りを飲んだ。
孤独な初老ヤクザの死、そして死の直前に見せた家族愛、その切なさがその夜の追悼の酒を底無しにした。
48年前の聖夜・・・・大きな七面鳥を抱えてやってきたサンタクロースがいたことを知るのは、もうオレだけになってしまった。
今年の夜もKさんと二人であの夜と同じ“ブランディの水割り”を飲もう。
メリークリスマスKITAさん!!






