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芸能の世界とマネジメント

芸能界、芸能人のために論じます。

前回は北海道と福岡の地域性とそこに住む人々の心の問題へ接近いたしました。これは接近しただけの話でありまして、詳細ではありません。詳細については人権の問題がありますので、情報の開示ができません。ご了承いただきますよう、お願いします。そして今回は何をやるかといいますと、具体的な戦術についてです。戦略と戦術とを区分して話をしておりますが、実際のところこれらを区分することはあまり意味のないことですが、戦略を中・長期的な図面、戦術を短期的、ないし実行レベルでの図面とさせていただきまして、話を進めていこうと思います。

 

前回におきまして北海道は「メタル(クラスター)」であり、それ故に九州の人とはマッチングしやすいであろうという命題を与えました。これを完全ではないにしても、妻の宗子を事例とし、解説を行いました。しかしながら、九州の人が北海道へ来ればすべての人がステージ上で成功するわけではなく、やはりある程度芸能の訓練をした人でなければ認めてもらえません。しかし、少し訓練すれば北海道にて成功を収めることができるであろうと思われます。逆に、北海道の芸能人が九州地区で成功しやすいともいえ、この相互の作用があれば面白いことになるであろうと思われる反面、地理的なこともあり、実現は困難を極めます。福岡から新千歳まで飛行機で2時間、航空運賃やホテルの価格も安くなり、国内旅行の質も格段に上がったとはいえ、「距離」という考え方は人の心の中に大きな壁を作っておりまして、ここが地域創生の実行を難しくする大きな要因の一つであるといえます。

 

話を戻しまして、では、福岡からLinQが北海道にて具体的にどのように活動すればよいのかという問題なのですが、まず、メタルで連想するものは何かを考えてみましょう。この作業が大事でありまして、実は、私のような学者が考えるよりも、各種の芸術家、小説家や演出家が考えたほうがよほどマーケティングを忠実にとらえるのですが、ここはひとつ、私の乏しい考えの中でお付き合いいただくことをお許し願いたいです。

 

まず、メタルといえば「ゴシック」でしょう。いわゆる「ゴス」ですが、これはいろいろな解釈がありますが、肉の部分を取り除いて骨の部分だけにしてみますと、要するに、概念的に一言で表現すると、「白黒はっきり」となるかと思われます。何事も明白であり、理解しやすい状態を示すものであるかと思われます。ここから逆に肉付けを行いますと、例えば、食べ物であれば、「辛い、甘いをはっきりさせる」とか、お酒などでは「濃厚」であるとか、「淡泊」など、「はっきり」したものが好まれるということになるでしょう。また、服や靴なども実用的なものか、ファッションを重視したものというように、どれか一つの機能に特化したものが好まれると思われます。ファッションと実用性の両機能を備えたような靴や服を購入する人もあるかと思いますが、主流にはなれないと仮定することができます。ここからさらに突き詰めると、「北海道の人はその人の特徴がくっきりと出ている人を好む傾向にある」と仮定することができます。ここで一つ、ステージ上でのキャラ設定ができまして、それは何かというと、「方言を使いまくる」という手法であります。ゴス文化の地域においては「地方性」がそのまま武器となります。その地方性を端的に表現できるものは「方言」であるかと思われます。これは私のバンドで実際に実行していることですが、これは関西弁が北海道でウケているわけではなく、強い地方性が受け入れられている状況でありますから、博多弁をステージ上で放たれた場合いを考えると、会場は熱気に包まれるであろうと思われます。

 

ここで問題となるのはステージ上でのパフォーマンスをどうするかですが、地方性という面からすると「九州の踊りや音楽とは何か?」という問題が出てくるかと思います。しかしながら、私たちの例を思い出していただきたいのですが、私たちは地域が変わっても演目は変えません。ここで着目すべきは「白黒はっきり」でありまして、これを例えばギターでいえば、やはりメタルなどに代表される、とんでもない速弾きをするなどのスーパープレイが好まれます。曲芸に近いものが受け入れられやすいのが特徴です。これが白の部分であるとすれば、黒の部分はどうなるかというと、ずば抜けて「ヘタ」な状況です。実はこれも北海道では受け入れられます。かつて私はノーマルチューニングの曲をドロップDにて弾き続け、大失敗したことがあるのですが、それでも北海道の人は受け入れてくれました。またある時に、泥酔に近い状態でステージに上げられたことがあるのですが、当然、演奏は無茶苦茶で、MCもボロボロで、ステージとしては全く成り立っていないにも関わらず、客席は大ウケしているという現象がありました。これは北海道の人々の懐が広いというのもありますが、成功している状態や失敗している状態が「はっきり」している状態がウケているわけでありまして、同じ失敗でも中途半端な失敗では受け入れてもらえないことを意味します。

 

さてここで具体的にLinQがステージに立つときにどうすればよいのかについて、具体的な方法論ですが、「方言を駆使し、ダンスは極端なほど大胆に踊る」ということになるでしょう。そして、失敗しそうなときは思いっきり失敗させることも重要です。このように、失敗も芸のうちです。失敗をも芸に変えてしまうテクニックを身に着けることにより、「パーフェクト」という状況が出来上がります。その意味で、北海道や九州地区は芸能のテクニックを身に着ける、ないしは磨くためには非常に優れた地域でありまして、沖縄県も芸については非常に厳しい地域でありますので、これら3地域で鍛えられた芸は、是非とも海外を含めた全世界で試していただきたいものであります。

 

ご高覧、ありがとうございました。

これまで実学道、このブログ、ロンドンフリークの三つのブログにおいて布置に関する議論をコンプレックスとともに解説してきました。それを時にはプロファイリングと呼んでみたり、できるだけ読者の皆様方に間違いのないように書いてきたつもりです。その結果がどうなっているかについて私には不明な部分が多いのですが、これ以上に説明を行ったとしても意味はないと思われますので、とりわけ、現役の芸能人の皆様方は実践をしていただきますよう、お願いします。そこで今回は布置における地方創生論の応用編を行ってみたいと思います。それは、LinQを北海道で売っていくにはどうすればよいかというものです。

 

これまでも何度もいっておりますように、布置から出てくる地方の特性はマーケティングに直結します。ですから、戦略論というよりも、むしろマーケティング論と考えたほうがよいでしょう。しかしながら、布置は長い歴史から出てくる地域の特徴であるということを考えると、同時に戦略、それも差別化戦略の議論みなすことも可能であります。布置を使用してでてきた答えは、実はこれら二つのことを同時に含んでおります。マーケティングと戦略は対立するようで対立しないことを表します。これはバリューチェーンという考え方からしても正しいかと思われます。バリューチェーンというのは言い換えれば「布置」のことでありまして、どの業種に対して、各種業者がどのように「配置」されているのかを知るためにバリューチェーンという考え方があるわけですが、これは要するに布置のことでありまして、ゆえに、布置の技術を使うとより詳細な「バリューチェーン」を見出すことができ、問題点をあぶりだすことが可能となると考えております。事実、ロンドンフリークにおいてロンドンのパブの事例研究を行った際に明らかとなりましたが、あるつながりの中でパブは成り立っております。バリューチェーンの場合は横一列の配置しかはっきりしませんが、布置を使うとY軸、ようするに、空間軸までも明らかとなります。ゆえに、円の考え方と同じように、すべてを総合してものを見ることができ、ここに布置によるマーケティングの意味が出てくるわけです。しかし、このバリューチェーンが問題となり、経営の状況を悪くする例もあるというご意見もあるかと思います。近年ではこのバリューチェーンの負の部分も学会にて議論されるようになってきておりますが、深層心理学的にはそれは当たり前のことでありまして、むしろチャンスであるとみなします。例えば、バリューチェーン、地域においては歴史にとらわれ、一方通行になってしまい、身動きが取れなくなり、企業や地方が崩壊するという事例があります。崩壊とまでいかなくとも、例えば関西のある地域などはまさにこの状況により窮地に追い込まれておりましたが、ここに無意識の作用が働き(英雄元型とでもいいましょうか・・・)、超越機能が発動される瞬間にまでいったという例があります。いずれにせよ、歴史などからくる強いしがらみが一方的に悪いわけではなく、起爆剤はむしろその「しがらみ」なわけですから、そのしがらみを有効に使うことに「布置」の有効性があるわけです。

 

ここで話をLinQに戻しまして、例えば、北海道という100年の歴史がある地域において、それよりもずっと若いLinQがよそ者として100年の歴史の一部分に加わる、言い換えれば100年の歴史の中に布置されるにはどうすればいいのかを考えてみると、いろいろと見えてくるものがあるかと思います。北海道は「メタル」という個性化された都道府県の一つであります。そのメタルに至るプロセスは残念ながらお伝えできませんが、結論だけをいいますと、とにかく「メタル」です。このメタルは金属という意味ではなく音楽の「メタル」を意味します。メタルはかなり激しい音楽でありまして、北海道のイメージにそぐわないかもしれませんが、それは外的なものの見方ではそうかもしれませんが、内的な部分も吟味しますとそのように評価せざるをえないのです。ですから、北海道の人々は実はものすごく「激しい」感情を持ち合わせているといえます。しかし、注意しないといけないのは、「情熱的」という「激しい」とよく似た表現と混同されそうなのですが、私は「激しい」と「情熱的」とは区分しておりまして、ユングによる意識の類型から解説いたしますと、激しいは「思考型」、情熱的は「感情型」と区分しておりまして、激しいと感情的は対極をなし、さらに対立概念であるとしております。少しだけ話を脱線させますが、では、感情的な地域とはどこかというと九州であります。その中でも「福岡県」は感情型の典型例として私が定義する地域でありまして、よって、北海道でLinQが売れるのか?という疑問も同時につながるのですが、確かに表面的には相性は非常に悪いです。しかしながら、タイプ論では「補償作用」ということが盛んに議論されておりまして、対極にあるものは補償されうるものであるという定義があります。ですから、北海道の人は激しさの中に感情を欲しいと感じており、九州の人とは実は非常に相性が良いと仮定することが可能です。

 

ここからは非常に難しくなりますので、さらに事例をだして解説しようと思います。私は地域性を音楽のジャンルで表そうとしておりますので、メタル激しいという「激しい」が表に出ておりまして、これが一見すると思考型とどのように結びつくのかとなるかもしれませんが、北海道民は表面的にはものすごく大人しいですが、その大人しさは抑圧からくるものであるとみられ、かなり意識的であります。その意識そのものは相当な激しさを持たずして抑圧できるものではないと私は診断しておりますので、メタル(激しさ)→思考型と北海道においては定義しております。ここで実際例を見てみましょう。例えば、私たち夫婦を見てもらえばよくわかるかと思います。私は思考型で妻は感情型です。この二つが一つとなってステージに立つと、不思議と皆が喜んでくれます。それは一つにシナジーを生み出しているからだということができるかもしれませんが、もう一つの理由として、妻の宗子が感情型であるがゆえに北海道でのウケが良くなっていると考えられます。宗子はその感情面を表に出すことが得意ですから、北海道でウケるのはむしろ当然ともいえるであろうと考えております。ちなみに私たちは生まれも育ちも関西ですから九州の人とは比較になりませんが、九州の人はもっと感情面が出やすいので、北海道との相性は非常によくなるものと思っております。

 

次回は具体的な戦術に関して考えてみようと思います。ご高覧、ありがとうございまし

昨日は布置に関する話を少しだけ行ったのですが、それにしてもこれだけ科学が発達し、科学の恩恵を受けながらも超自然的な現象を好まれるというのも不思議なもので、とはいっても、そのようになることはユングも既に指摘しており、それに次ぐ人たちや哲学者もこのような状況になる、またはなっていると指摘しているにもかかわらず、実際にその現象、すなわち、私がその超自然的な現象を説明せねばならないという状況になりますと、いささかの混乱が生じるもので、ここにより一層の慎重さを要求されるわけでありますが、このよくわからないが因果関係がありそうだという「共時性」なるものを信じるか信じないかは読者の姿勢によるのですが、例えば、ある魚釣りが好きな男性が夢の中で波止場で釣りをしていたところ、突如として沖へ行きたくなり、海を歩いて沖へ向かった夢を見たという例があります。しかし、その男性は2か月後、沖の岩場で魚釣りをしているときに波にさらわれお亡くなりになりました。このように、夢など何の意味もないものだと思っていると、実はそれが人生のおいて大きな意味を持つこともあり、あなどってはいけません。信じるか否かは読者の姿勢次第ですが・・・

 

このように前置きしておきまして、では、布置を読むという、いわゆるプロファイリングの技術を少しだけ触れようと思います。これも不思議なもので、プロファイリングと表現すると科学的に聞こえますが、布置と表現すると超自然現象のような印象を与え、それを使うものは超能力者や霊能力者のように見られがちなのですが、実はそうではなく、それなりの根拠があり、その状況を把握し、真実を見ていこうとするものであります。これを詳しく解説すると犯罪に転用される可能性がありますから、あくまでも概要として見ていただければと思います。また、LinQの皆様方は何かどこかで交渉しないといけないような場面に出くわした時、この布置の技術を使うとスムースにことが運ぶ可能性が高くなります。いろいろと練習し、メンバー同士でシミュレーションを行い、技術を習得していただければと思います。

 

前回はパーティーに来場している有名企業の社長と交渉を試みることを例とすることを予告しておりましたが、予告通り、この例を使ってみようと思います。ちなみに、この例は私が実際にロンドンのあるパーティーにて経験したことでありますが、そこで行ったことの全てをお伝えするわけではありません。相手の人権を尊重することにおいても、すべてを語ることはできません。あくまでも概要として把握していただければと思います。しかし、できる限りリアルな空想を描けるように書くつもりであります。そして、これはロンドンでの話ですが、応用すれば日本でも使えるかと思いますが、失敗しても私も内閣官房も一切の責任を負いません。

 

1:社長の外的環境の状況

 

では、ある有名企業の社長があるパーティーに出席しています。これも前回に書きましたが、有名企業の社長というのは通常、非常に警戒心が高いです。ですから、接近するものは全て「敵」とみなしていることが多いです。しかしどうでしょう、そのような警戒心が高い人物が人が大勢集まる場所に来ているというのはどのような状況でありましょうか。通常、このような名の知れた社長というのは経営資源、いわゆるヒト、モノ、カネ、情報の全てがそろっている人ですから、人の集まるパーティーに出席する必要などありません。出席するとしても自社の大きな出来事でのパーティーや政治がらみのパーティーに無理やり引っ張り出されるようなことがあれば別ですが、貴族などが主催するとはいえ、そのような一般的なパーティーに出席することはまずなく、その意味で、この社長は人の助けを必要としていると判断して間違いないでしょう。

 

2:社長の内面の状況

 

ユング心理学では意識と無意識など、対立する考え方をトータルして考えることが求められます。ですから、社長の外的な要因が判明すれば、次は彼の内面を知る必要があります。外的環境が「意識」や「自我」を表現するものであれば、内面の世界は「無意識」を表現します。

 

ここで、前述しましたが、それを引用してみますと、「接近するものは全て「敵」とみなしていることが多い」と書きました。これをどのように解釈すればいいのかとなるのですが、ここでユングの「タイプ論」を引き出してみましょう。向かうところ敵だらけというのは典型的な内向型の人になりますが、では、なぜそのような人物が社長として成功し、かつ、大勢の人が参加する場に存在しているのか?と考えるとき、この内向型の選択肢はなくなります。すなわち、彼は内向的に見えながら、実は外向型の人間であると判断することが可能です。人間のタイプを大別すると外向型と内向型とに分けることができるとすると、ここで既に彼のタイプを言い当てる確率が格段に上昇したということができます。

 

このようにして社長の内面に入っていく準備が二つ進みました。三段跳びの例で行くと、次はジャンプとなります。

 

3:内面と外見の態度

 

相手が外向的であると判断したのであれば、もうその人物は100%外向的なタイプの人であると信じ、最終段階へ入ります。タイプ論によれば、人間のタイプは8タイプに類型化可能とされております。その内、大分類としての2タイプの内、一つに絞りましたから残る機能の類型(以下、機能類型)について見分けていく必要があります。機能類型については4つあります。思考、感情、感覚、直観の4つです。この内のどれに該当する人物かを特定することにより相手に接近していく際に有意義となると考えております。そこで、彼のパーティーでの振る舞いを観察するのですが・・・

 

思考型

 

外向的思考型の人が何でもないパーティー出席している場合、それは悩みを持っている場合が多いかと予測されます。なぜなら、このタイプは合理的判断が全てですから、人の手を借りないで過ごせるなら、人の集まるところにそもそも来ないです。思考型ゆえに深く考慮したうえで人に助けを求めている可能性が高く、それ故に、表情も暗いかもしれません。もしそのような表情をしている場合、もはやこちらが助けてもらうこと無理なので、接近することは取りやめるか、悩みを聞くことによって仲良くなり、さらなる状況を見極めて深く入っていくことをお勧めします。

 

感情型

 

このタイプは例えば、私の妻の宗子が該当しますが、このような人物がなんでもないパーティーに参加しているとき、それはただ単に参加したかったという理由からです。外向型ですから表に出ていくことや舞台に上がることが好きで、人と接することも好きです。さらに、招待された人しか来ないとなると自分をフルにアピールできる格好の場となりまして、その意味で、自分をセールスするための場となっていることが多く、このような場で、このような人物に接触しようとする場合、ギブアンドテイクが必要となります。

 

感覚型

 

このタイプの人は外的な事実を取り込みすぎるタイプの人であります。ですから、このタイプの人が何でもないパーティーに来ているということは、これまで出会った人や物以上の人や物を求め、来場していることが多く、強烈な刺激を求めているものと推測できます。ですから、このタイプの人物と接触するときは、外見も実力も強力で、かつインパクトが非常に強い自我の持ち主であることをアピールできれば接近に成功すると思われます。

 

直感型

 

直感型というのはいわゆる直観に生きる人物のことです。このタイプで多い職業は政治家や企業の経営者です。ただし、政治家や企業経営者は「思考型」にも多く、これを見分けるのが大変なのですが、直感型のひとが何でもないパーティーに来ているということは、自身の置かれた現状に満足できず、新しい何かを発見する、ないし、それができるパートナーを探している場合が多く、いろんな人に気さくに話しかけては探りを入れているような人物であれば外向的直感型の人物であると特定できます。

 

そして、私が接近しようとしている人物はまさに「外向的直感型」の人物でありまして、様々な人とまんべんなく会話し、何らかの刺激を求めようとしておりましたから、私もその波に乗り、接触が可能となりました。

 

4:主体の行動のあり方

 

では最後に、このタイプの人物と実際に接触し、心の中に入っていき、スポンサーとなってもらうにはどのようにすればよいのかという、方法論ですが、基本的に外向的な人物には外向的な態度で臨むことがいいでしょう。というのも、一般的態度が外向的だからといって、純粋に外向一辺倒な人物ではなく、外向的な態度の中に内向的なものを内包しており、人の集まるところに来ているということは少なくとも否定的な要素が前面に出がちでありますから、それに対抗するには外向的態度によって行うのが妥当であると考えられます。

 

ここで大切なのは、人間のタイプは一人ひとり異なるということを認めることであり、その違いを認めた中で人間関係を築いていくことです。それを自分なりに納得させるための素材としてタイプ論があるわけですから、相手に食いつくための手法というよりは、自分自身を高めるための手法であるということを忘れてはなりません。これを忘れたとき、相手に幻滅というダメージを与え、信用は台無しになります。

 

5:まとめ

 

以上が布置、ないしプロファイリングの概要です。大切なのは対象となる人物の外的環境と内的環境の両方を吟味することです。そして、対象に接近していくのに必要な予備知識を即興で整える方法としてタイプ論を使用しました。しかしまだ問題は解決しておりません。接近してから相手を「口説き落とす」方法について議論せねばなりません。それを次回以降に行っていこうと思います。

 

ご高覧、ありがとうございました。

なんといいますか、ユング心理学において最も重要なことになる夢分析へ話を移していこうと思っていたのですが、世間様の需要はどうもそこにはあまりないようで、どちらかというと布置の議論を進めてほしいとの要請もありますので、今回もやってみようと思います。見えないものを見ようとする技術なのですが、聞こえはいいですけど、見る側はものすごく辛いわけです。というのも、個性化の過程における個性化についてはカウンセラーではなく、患者が主体となるのですが、布置の議論は主体がカウンセラーになるため、患者のいろんな部分を背負うようになりますから、ものすごく辛いわけです。いいことも悪いことも全て他人のことを自分の問題として受け止めねばなりません。その覚悟があるのでしたら続きを読んでいただいても結構ですが、その覚悟のない人は読まない方が賢明です。そしてなぜ、先に夢分析の話を企んでいたかと申し上げますと、最近のLinQの公演を見ておりますと、これまで以上に「魅せる」方法を獲得していることが実感でき、心理学者である私が転移しそうになるくらいに魅せられました。ステージ後の引き戻しに苦労するくらいに引き付ける力がついておりまして、ここまできたら少だけなら助け舟を出しても問題ないと判断し、苦労している彼女たちが睡眠中に実際に見るであろうと予測される「夢」についての判定方法を書いていこうと思ったのですが、それはまた次の機会に行おうと思います。上述のように、LinQにアドバイスを送っても私が老賢者的な見方をされる心配はないと判断しておりますので、布置の議論といえども少しばかりLinQのためになるように話を進めていきたいと思います。

 

私の実学道やロンドンのブログを見ていただいている方は既にお分かりだと思いますが、布置の考え方は相手の思いを第三者的に見るためのものであり、さらには、主体が布置を見る場合、それは相手の領域へそっと入っていく方法の技術となります。私はこの論文を今は「心の磁力」として書いておりまして、そのことからすると対立概念となります。これも私が運営するすべてのブログを古くからご覧になっている方々はお気づきと思いますが、人が人や物に好意を寄せる場合、それは対象が主体に接近するのではなく、主体が対象に接近するのだとずっと主張してきました。また、その意見を変える気もなく、むしろその意見を立証するために様々なブログにて様々な現象や理論を書き綴っているわけですが、そのような論理と対立するのが「布置による判定法」であります。

 

どこから説明するについて非常に難しいのですが、純粋に深層心理学的な視点による布置というものは、患者があり、そしてカウンセラーがあり、患者が夢や自身がおかれた現状を語り、それをカウンセラーが物語化するために布置を使って診断していくものであります。従いまして、深層心理学的には対象や現象がはっきりしている場合に有効とされる手段であると定義することができます。しかし、私はこれを応用して経営学の領域に持っていき、活用しているのですが、そうなると深層心理学で使用する布置とは少し違った様相となりますし、いわんや「心の磁力」などとは全く逆の考え方となります。ではなぜ私はそのようなやり方で経営学的診断をし、それをニューイシューというバンドに適応させているかというと、それは「地方創生」にかかわる事業であるがゆえに、それに見合った方法を開発したというのが正直なところです。この件はずいぶん前に内閣官房のブログに書いた記憶があるのですが、元型イメージとコンプレックスを援用した、マスプロダクト型のようなやり方をあえて行わない理由を書いたと思いますが、それを実践するには実のところ、主体が対象に向かっていく作業が必要となり、そして、向かって行った先において「元型イメージ+コンプレックス」の方法を使うというのが地方創生という難問に立ち向かう態度であると私は、そのような仮説を持っております。

 

これは余談になりますが、最近では地方のコンプレックスを私は十分に熟知しているにもかかわらず、それを公表しないのはなぜか?という質問を受けることがあります。確かに私は日本全国、それにヨーロッパと北米、そして南米についてのコンプレックスを調べ上げておりますが、これはコンプレックスゆえに公表することは難しく、私の行動をよく観察していただきながら国や地域のコンプレックスを読み取っていただくということで対応していただくしかありません。また、地域や国を知っているがゆえにニューイシューというバンドは「モノ」のように自由に動かすことができると思っていらっしゃる方が大勢で、これも驚きなのですが、実のところかなり意識的に操作している部分があることは否めませんが、しかし、操るために研究活動や音楽活動を行っているわけではなく、努力の結果が実ることに、やはり喜びを感じておりますので、冷静な対応をお願いしたいものであります。

 

ところで、この布置を見ていく作業ですが、これは何度も繰り返しておりますように、自分が相手の中に飛び込んでいく方法であります。ですから、まずは自分が何者であるかを明らかにしないと始まりません。相手の心に入っていくには、まずをもって自分の心が開かれていないといけません。警戒されていては相手は防御の体制となりますから、防御している布置は現れるのですが、それでは知りたいことが知ることができず、失敗に終わります。

 

例えば、あるパーティーで目当ての有名企業の社長を見つけることができました。その社長にバンドのスポンサーになってもらえるチャンスが目前となったわけです。しかしながら、その社長にどうやって近づけばいいのかがわからない。面識はないが、同じパーティーに参加しており、立ち位置的には同じ立場でありながら、面識がないがゆえ、話しかけて悪い印象を与えたらどうしよう?相手は自分よりも20歳も年上で人生を熟知している。しかも、取り巻きの数も多い。警戒心も強いし、何よりも人なれしているに違いない。さて、近づくにはどうしたらいいのか?と考えたりするものです。まず、有名企業の社長であるというのが第一の壁となるかと思います。そして、そのような人はたくさんの人と出会っているがゆえに、私のような若輩者を相手にするか?などと思ったりすることでしょう。そのようなとき、この人の心の中を覗ければ・・・と空想にふけるのが一般的だと思います。このように書くとその有名企業の社長は全てその逆の人物か?と考えてしまうかもしれませんが、実際に非常に警戒心の強い経営者であるかもしれません。通常、有名企業の経営者の警戒心は人一倍強いです。では、その警戒心という壁を超えるにはどのようにすればいいのか。また、最初から警戒心が低い経営者に近づくにはどうすればいいのか。窮極的には、警戒心という壁の高低をどのように判断すればいいのか?など、次回以降に徐々に話を進めていこと思います。

 

LinQの皆様のさらなる発展をお祈り申し上げます。ご高覧、ありがとうございました。

前回は布置に対する考え方は古くから存在し、とりわけ、中国では世界に先駆けてその思想を発展させていったと申し上げました。ユングはいろいろと研究していくうちに中国へ行き、そこで易経とか道教に出会います。その中国思想を学ぶ上で「自己(セルフ)」というものを「道」という道教、いわゆる老荘としての考え方に着目し、考えつくようになりました。実のところ易経という儒教の起源と道教という老荘の起源のもとは対立する考え方であるので、そこの部分を一緒に組み入れたユング心理学をどのように解釈するかについてをいまのところ研究中であるのですが、いづれにせよ、老荘は儒教が発端として起こった対立思想でありまして、古代中国哲学や文学を学ぶものとしてはこれまた不思議と、それらのこと全てを学ばなければいけない事実がありまして、その意味で「対待」という考え方は現代の、それも中国からすると外国の文化にもいまだに強く残る思想であることがわかります。

ところで、今回からは布置を使った具体策をやっていかなければならないのですが、私の基礎研究編の実学道のブログでの進捗を遅らせておりますので、布置における具体策についてはまだ行わないようにします。しかしながら、布置というのは現代においてはより一層に興味をお持ちの方々が増えてきていることもあり、その活用例を見ながら話を進めていこうと思います。布置に関する基礎的な注釈に関しては実学道のブログにて行いますので、こちらのブログにおいては先に実践例を示しますのでよくわからないこともあるかと思いますが、わからなくても無理に理解しようとせず、わからないまま読んでいただいたら結構です。布置に関する本当の理解は臨床経験がなければ不可能なので、その意味で、一般の方々はユング心理学の核心部分についてはほとんど何もわからないままに終わっていくわけですが、それもまたユング心理学の特徴であります。ところで、ユング心理学のもっとも核心とすることは夢分析であります。夢分析を行うことにより、相談者の無意識に治療者が接近しようとするのですが、その理由についてはもう一つのブログにゆずりまして、では具体的に夢分析はどのように行われるのかを見ていきたいと思います。

最近はネットなどで夢分析のことが流行しているとのことで、その関心の高さに注目しているのですが、夢分析とは一言でいうと、相談者の無意識に接近する方法であるわけです。しかし、無意識とは人間が意識できていない部分でありますから、夢において出てきた無意識を人間はそのまま受け入れることはできません。また、治療者は相談者の過去の生きてきた履歴を知りませんから、なぜそのような夢を見たのかということを知るために「布置」という考え方を導入することにより、その夢に「命」を盛り込むのであります。これはユング派の分析家の公演を聞いたことがあるとか、実際にカウンセリングを受けた人ならご存知かと思いますが、その演者が、「その母への投影がアニマがそれ、そこに布置していて・・・」などと専門用語を並びたてて全くわからんわ!!と感じた方も多いと思いますが、夢分析と布置との関係は非常に深く、また、その状況の配置という意味においてコンプレックスを見ていくのにこの布置を導入していくことにもなり、これらのことでもお分かりのように、布置というのは非常に重要な考え方であるといえます。では、実際の夢を皆様方にご覧いただき、布置の実際例を考えてみようと思います。

14歳少年の夢:

それまでの経緯はよくわからないが、突然、家族が居間に集まり家族会議が始まろうとしていた。母親に呼ばれたので行こうとするが、なぜ家族会議が行わるのかについては不明である。

私はそれまでにない不安を感じました。なぜなら、家族が集まろうとしていたからです。そして、家族がすべてそろい、父親が言い出しました。「自分と母親は離婚することになった。お前たちは私(少年の父親)と一緒に明日から別の家で私と暮らすことになった。これは決まったことだ。」

私はその時のあまりに悲しく、辛い感情を覚えた瞬間に目が覚めた。



さて、この14歳少年の夢をどのように見るのかですが、ここでプロファイリング、要するに布置が必要となるわけです。ちなみにこれは初回夢です。まず、14歳少年といえば思春期のストライクゾーンであります。要するに、人生の中で精神的に一番の山に差し掛かる年齢であります。そしてこの少年はなかなか裕福な家庭に育っており、生活に関しては贅沢ができる家庭で育ちました。何不自由ない家庭、そして両親ともども非常によくできたご両親で、お金もあれば人間もできている両親のもとで14年間育った少年はなぜか「トルエン」に手を出します。警察に補導され心理療法を受けることになりました。まずトルエンですが、トルエンという溶剤は通常は少年では購入できません。しかし、ネットから入手し、それを吸引するようになるのです。なんといいますか、布置に「ネット」なるものが入ってくることが最近の布置の傾向でありまして、布置の考え方もアップデートしないとこのようなケースには対応できないこともあります。また、この少年が裕福層の家庭で育ち、理解のあるご両親は少年に事あるごとに現金をわたし、使い道については少年を全面的に信用していたといいいます。というのも、彼は成績も優秀で、さらに、それまで問題行動を起こしたこともなく、トルエンの吸引も常時ではなく、時々使っていたという状況です。常時使用なら親も異常に気付くのですが、時々、しかも少量では気づかなかったということです。要するに、利口な少年であったわけです。

ここで問題となるのはなぜ少年は生きるという行動に対してトルエンを必要としたのでしょうか?生活に苦労はない、しかも必要とあるならば現金は必要な分、手にすることができる。なんの不満があるのでしょうか?その謎の部分が夢に現れております。まず、両親の離婚という部分ですが、その時に母親ではなく、父親に引き取られるということにおいて非常に強い感情を伴ったという点に着目していただきたいのです。いつも困ったときに相談するのは、両親がいる場合、通常は母親となります。この少年も例外ではありませんでした。トルエンを買うお金が必要となった時、別の理由を告げて現金を手渡していたのも母親でした。事あるごとに母親はこの少年のよき理解者であったわけですが、少年は少年から大人へと進化を遂げようとする年齢であります。要するに「親離れ、子離れ」の適齢期に差し掛かっておりました。しかしながら、少年の家庭は非常にいい家庭でありました。そしてその少年も非常に利口な子供でありました。それが逆に災いし、親離れと子離れを阻止しようとしておりました。母親は離れようとする少年を引き戻し、少年はそれに従うしかない。しかし、少年は母親から離れていかなければならないことを無意識のレベルでしっかりと感じ取っています。ゆえに、父親に引き取られることに強い抵抗感があるわけです。いわゆる「グレート・マザー元型」を象徴する布置が見事に出来上がっていることに気づきます。また、少年の夢は私たちにそのように語りかけております。

ここで問題として取り置きしておりました、「なぜ少年はトルエンを必要としたのか」を考えていただきたいのですが、これは少年が一時の快楽を楽しむためではないことはもうお分かりいただけるかと思います。そうです、彼は親離れするためにそのような行動に出るしかなかったわけです。あまりにもいい環境で育ったその少年は親離れするためにそれほどまでの危険を冒さなければならなかったのです。もちろんトルエンの吸引は違法です。しかし、その背景、布置を考慮すると、この少年に「トルエンは違法だからお前は非行少年だ。もう、勘当だ!!」などとやってしまうととんでもない方向へ進んでしまいます。しかし、そのような方向へと導かれ、大切な子供の人生を狂わせてしまう事例が多々あるのも事実です。幸いなことにこの少年は少年自身が利口であったこと、ご家族の素早い対応が功を奏して2回のカウンセリングで解決することができました。

いかがでしたでしょうか。夢分析と布置との関係を明らかにしたわけですが、今回の夢はかなり理解しやすい、深層心理学的には典型例としての夢をお届けしたのですが、このように、夢というのは無意識を可視化するのに非常に有効であるのですが、同時に、心という内界と現実という外界とを結ぶことが必要であり、それの手助けとなるのが「布置」であります。これを応用すると、私がロンドンのパブにて体験したような手法となるのですが、あれもやはり心理学としての臨床経験をもとにしておりますので、訓練をしていない人ではかなり難しい方法であることは確かです。

より詳しいことは次回以降に期待していただくことにして、今回はこれにて筆を置きます。ご高覧、ありがとうございました。