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芸能の世界とマネジメント

芸能界、芸能人のために論じます。

LinQがある意味において危機に直面しているということで、これに関して少しだけでもお役に立てないかと思いその思いを書き綴っております。できるだけLinQの運営とは関係のないことを書くように心がけております。というのも、このような状況の中で信じるべきものは自分自身であり、その他の力に頼ろうとすべきではなく、それゆえに、今回の騒動とはほとんど関係のないことを書くことにしておりまして、しかしながら、全く関係ないことを書くことは本ブログのタイトルから逸脱しますので、少しばかり難解なお話をして繋げていこうと思います。

組織において何か危機的状況が起こった時、組織のリーダーは何か原因を突き止めようとします。心理学的に考えると、そのような状況になる前から対処するように心がけるものですが、一般的にはそのような態度ではなく、やはり、事が起こった時に対処することが一般的となっております。その時に例えば、組織の在り方に問題があることがある程度の理解をされたとき、当然のごとくリーダーは組織改革を行おうとします。しかし、それがうまくいかないわけです。人間の心に表と裏があるように、組織図において公式な組織が作り上げられた瞬間から裏の組織が出現するのです。いわんや、そうでないと組織は機能しないと思いますから、裏の組織なるものが出来上がることがむしろ当然と考えるべきであり、その裏組織が元凶であるから、その元凶を解体すればよいというものではありません。よって、組織改革をしたところで、その改革の瞬間から裏組織ができますから、元凶を見つけての組織改革などはほとんど意味を持たず、組織改革を何度も繰り返すうちに企業が弱体化するのが経営の世界では繰り返されております。

では解決策ですが、ここで布置というものを再考していただきたいのです。例えば、私のもう一つのブログであるロンドンフリークにて東ロンドンのパブについて、布置を中心概念として解説した論文を掲載しておりますが、布置というものを見出し、組織全体を把握し、その問題を解決するのではなく、「対決」するという姿勢が大切だというものです。理由は簡単です。元凶を正した瞬間から元凶が現れるからです。そうであるならば「正さない」というのが方法の一つとして考えられるのであって、そこで重要になってくる考え方が布置であります。この布置でありますが、ユング派の心理学でいえばコンプレックスの議論と非常に深い関係にありまして、ゆえにものすごく難しい内容となります。どれほどに難しいかと申しますと、テレビの特番などにおいて時折、アメリカ政府の捜査機関の分析官がでてきて「プロファイリング」というものを行い、未解決事件の「真相」を探るというのを放送しているのを見たことある人がいるかと思いますが、そのプロファイリングというのがユング心理学でいう「布置(コンステレーション)」のことであります。私は先述のブログにて誰もが簡単にできるような感じで書いておりますが、実は非常に多くの臨床経験がなければ獲得することのできない技術であり、なにより、夢分析を行うことができなければ取得することはで不可能な技術であります。

技術の獲得の困難性というものはここで話を終えまして、ここで先ほど申し上げました「真相」というものを考えてみたいと思います。人はなぜ事の真相を探るのかという問題です。この答えは実に簡単でありまして、人間の心には表と裏があるからです。ですから、法律的な表面的な事件の解決というもので一旦は納得するものの、その事件や事故が起こった裏側の部分、すなわち「真相」を知りたくなるわけです。そして、その真相と法律的対処が完全に一致したときに、事件というものは終結します。これは芸能人のゴシップが人々に愛されることにもその起源があります。要するに、芸能人の平素の華やかさというものに対し、実のところ一般の人々は納得できていないわけです。ですから、裏の部分が出ることにより、一般の人々は一般人としての理解を得ることができ、そこに「納得」という「均衡状態」が生まれるわけです。ですから、本当の意味で売れる芸能人はこの均衡状態をうまく利用することにより芸能界という大海原を渡るのであります。

ところで、では、「真相」とはなんでしょうか。法律で解決したにもかかわらず「裏がある」と思うこと自体に人間の心の欲するところは貪欲であることを知るわけですが、この真なる事実を知ろうとする姿勢はアメリカにも日本にもあるようですし、もちろん、ヨーロッパにもあります。そして古くは中国にてこの考え方が存在しておりまして、ユングが曼荼羅を書いたり「道」などと言い出す、その2千年以上前からすでにそのような考え方は孔子という聖人が作り出した思想をもとに、紆余曲折があったものの、朱子という学者が「理」という概念を生み出し、現在の中国においてもその影響は大きいといわれております。日本でも江戸期にあっては儒教思想は必修科目であったそうで、脱亜入欧という概念で有名な福沢諭吉も論語は全編を暗誦していたといわれております。少し話はそれましたが、では「理」とは何かですが、それは「真相」のことです。朱子は「理」と「気」というものを「太極(図)」という宇宙観で示し、それがまた日本でも受け入れられていくのですが、このプロセスを心理学的に見ますと、土台となる儒教思想が素晴らしいから理なるものに日本人が魅力と感じるというよりも、むしろ、もともとそのような気質にあるがゆえ、理に対する理解を得やすかったといえるのではないでしょうか。また、裏の姿を知ろうとする探求心の強さも古典中国思想と非常に似ており、これらの関連を調べることにより、日本人の心のあり様をより詳細に知ることができるのではないかと考えております。

本日はここで筆を置きます。続きは次回とします。ご高覧、ありがとうございました。

本副題における小括を行います。元々は違う意図で書いていたのですが、その途中でLinQが解体ということになり、それではこの題材で書くのがちょうどよいと感じまして、現在に至っております。芸能人にとってペルソナは非常に重要な考え方であるのはいうまでもありません。一般の人は知らず知らずの間にペルソナに覆われます。学校の先生であれば学校の先生というペルソナを知らないうちに覆われるわけです。というのも、「私は今日の午前8時から午後5時まで学校の先生であり、その後の時間は田中誠一という本来の自分に戻ります」という思いで毎日を過ごしている先生は心理学者以外にいないと思います。また、そのような生活は一般の人にとって精神的に相当な負担がかかると思います。

 

一方で芸能人を考えてみましょう。芸能人は本来の自分と舞台上での自分とを二分するところから始まります。その二分はデカルトの二元論で代表されるような対立を目的としたものではなく、中国の古典思想である「対待」に相当する思想での二分を実現しなければなりません。それを実現可能とするのがペルソナであります。ところがもっとよく観察すると、例えば俳優という仕事を見てみますと、役柄によってペルソナを付け替えなくてはならず、本来の自分、自己と役柄であるペルソナ、そしてそもそもの職業としての俳優というペルソナをどのようにしてコントロールするのかというのはまさに芸能人の自己というものを考えていくと、かなり重要なことになると思います。卑近な例で行きますと、私は経営学者であり同時に心理学者でもあり、そうかと思えばプロミュージシャンでもあります。大きく分けて学者と音楽家という二つのペルソナを持つ場合、自己としての運用の方法がかなり大きな問題となってくるのですが、本日はこのペルソナと自己との関係について述べ、小括しようと思います。

 

まず、ペルソナというのはアニマ・アニムス、さらには影などと比べるとわかりやすい考え方です。というもの目に見えるからです。先生なら「先生」、芸能人なら「芸能人」というように、主体が目に見えて実感できるからです。ならばこれを利用して精神生活を豊かにしていくと何かいいことあるのでは?などと簡単に考える人も多いかと思います。そこで少し考えていただきたいのが、例えば、「未練」とは何かです。私の意味するのは皆さまが思っている未練です。LinQでいえば、LinQが解体となりこれまでのLinQとして今後は活動できなくなる、さらに、場合によっては事務所にすら残れなくなるといった場合、それこそ未練が残るメンバーが多いかと思います。これは何かというと、結局のところペルソナに取りつかれた状況のことでありまして、このペルソナが外れたときの不安感が自我を襲っている状況であります。そしてさらに深く考えて、なぜペルソナが外れると不安になるのかということですが、それは自分の名前、いわゆる「自己」で生きているのではなく、ペルソナで現世を生きているからにほかならず、故にペルソナをはぎ取られるような事態に至るとこの上なく不安になるのです。これが一般的には「未練」という形で表現され、文学作品などにこの未練の物語が描かれるようになると、皆様の心に「哀愁」という形で響き、評価されるようになると考えられます。

 

この考え方をさらに進めるとどうなるかを特に芸能人は考えていただきたい。というのも、自分は自分の名前で生きているのか、それともペルソナで生きているのかを考えないといけません。例えば、LinQの今回の解体の騒動を考えながら、彼女たちのその感情面を描いた動画を見ておりますと、大きく動揺しているメンバーがかなり多いことを知ることができます。ということはLinQ、換言すると、アイドルに未練があるわけです。ではなぜ未練がおこるかというと、何度も申し上げておりますが、ペルソナにとりつかれているからです。ではペルソナにとりつかれると実際的にどのような効果を発揮するかというと、それは「自己放棄」であります。つまり、自己実現とは逆の効果を現在のLinQは実体験しているわけです。自己実現があるからには自己放棄があるのも当然の話でありまして、これがあるから自己実現を親身に考えるきっかけとなるように考えられます。

 

これまでのLinQの皆様方は自己放棄という大きな犠牲を払うことにより成り立っていました。自己を否定し、ペルソナの立場で行動していたわけです。ペルソナはもちろん元型ですから活動しているときにはこのことに気づきません。ですから、頭の中では自己とペルソナを二分できているように思っているのですが、ところが、大きな壁にぶつかったときに不安を感じる、ないし未練が感じられるというのはこれが二分できていないという何よりの証明となります。それではどうすればいいのか。これは簡単で「自己実現」であります。自己実現とはもう一つのいい方をすると、本来の自分と向き合うことです。自己も元型でありますから本来の自分はどのようなものであるかは認識できません。しかし、アイドルに未練があるからには、アイドル、ないし、人前に出て芸をするという本来の自分、換言すれば自己があるとするならば、それを本来の自分ととらえ活動いていくことが必要になるかと思います。簡単にいうと、意識的な二重人格者になることを意味します。

 

意識的にこれができるようになるとペルソナが剥がれたとしても自己という、本来の自分が身を守ってくれますし、それだけではなく、ペルソナに頼る必要もなくなり、不安な要素も減りますから、思い切った芸能活動が可能となるかと思われます。しかしながら、ペルソナはやはり生きていくうえで重要であります。なぜなら、不安があるから行動が可能となるわけでありまして、不安な材料がなければ行動に至るプロセスがなく、そもそも芸能人として成功することもないかと思われます。その意味で芸能人は常に何らかの悩みを抱えているものです。私にいつも相談に来る芸能人も多いのですが、その方々が常に口にするのが、「この理由のわからぬ不安感がなくなればもっと活躍することができるのに・・・」というものです。ところが私からすると、その理由なき無意識の犯行が芸能人にとっては最高の贈り物であるといいたいのですが、なんといいますか、このような二律背反した世界の「あいだ」で生きていくのが芸能人や芸術家の真の姿であります。

このようなプロセスの流れは易でいう「太極」という考え方が非常に参考になりますし、これをさらに理解していくうえで「理」、「中庸」、「道」、「天神合一」などの考え方であります。場合によっては陽明学の「知行合一」など、実はユング心理学は古代中国思想の影響を大きく受けておりますので、その意味で、「自己」というものを真剣に考えていくならば、これらの思想を勉強していくことをお勧めします。

ご高覧、ありがとうございました。

LinQが解体ということで、これは大変なことになっておりますが、現状を突破するのはLinQそのものですからご自分たちで頑張ってもらうとして、しかし、今後の活動にあたり私の理論が何らかの参考になればと思っております。このようないい方をするとものすごく冷たいと思われるかもしれませんが、これが実は心理学の世界でありまして、あくまでも主体が自主的に考え、行動することを治療者が導くにとどまることが前提であるがゆえに、何か事が起こるとその主体はつらい思いが倍増し、地獄を体験するのですが、それも人生です。

 

さて、このような私も大学と経営学会を一時追放されてから長期間にわたりいわゆる、「退行期」を経験しておりまして、ハーバード大学にてドクターをとってからもしばらくの間は日本にて学問をすることは許可されず辛い時期を経験しました。おそらく周りの人間もかなり心配したと思います。私の行動を見て、しかし、商売としてのシステムは構築しておりましたから生活はできましたけど、田中は大丈夫か?と思った関係者がたくさんいたから現在があるわけです。ですから、今はおそらくLinQとして何もできることはないかと思いますが、それは創造的過程の一部分ですから、活動はそのままに、時期が来るのを待つように心がけましょう。

 

私の経験からすると、私はやはり基本的には学者ですから、どんな時でも学者としての態度は貫いてきました。雇用してもらう研究機関がなかった時代は無所属の研究者として生のデータを採取し、その分析と理論の構築をすることに日夜努力しました。それが認められるまで8年かかりましたから退行期は8年にもおよび、この期間は活動はしていましたけど、学者として空白の期間であったことは事実であります。しかし、この8年があったが故に今の身分があることを考えると、非常に貴重な空白期間であったと考えるべきではないでしょうか。ここで皆様方にお伝えしたいのは、なぜ8年間も空白期間を継続できたかということです。それはなにより「ペルソナ」というものがあったからです。ペルソナは言うまでもなく「仮面」のことですが、この仮面をつけることによって人間として生きていくことが必要であることの一面を示しております。というのも、もし「学者という仮面」が自分自身に備わっていなければ、そもそも研究者の道から離脱していたと思います。例え偽の学者であったとしてもその仮面をつけることにより、ある種の「ファンタジー」の世界に入っていくことにより研究活動を継続させることができました。ですから、ある意味ではこのような辛い時期においては無意識に身を任せることも、一つの創造的過程においては必要であると考えております。

 

ただし、気を付けなければならないのは、永遠に学者になれない場合はどうなるの?ということです。私は幸いなことに日本政府が拾ってくれましたから、その意味で真の学者になりたいという「自我欲求」とファンタジーの世界での学者の世界が見事に統合され、その結果、いわゆる自己実現したわけですが、そうならない場合、これは自我の崩壊ということになり、何か別の道を探すほかありません。ではそうならないためにはどうすればいいのか?これは大変な問題でありますが、答えは一つでありまして、それは思いを強く持つことであります。個性化の過程にあるLinQの皆様方の今現在の思いは、相当意識化され、マイナスの要因に満ちていると思われます。ここで大切にしたいのは私の例で示した「無意識」、それもペルソナではないでしょうか。今現在の自我は「解体」の文字で埋め尽くされています。しかし、無意識のレベルではそのようなことはなく、何か事を起こしたいはずです。なぜそう言い切れるのか?一つ考えていただきたいのが、無意識のレベルで何もやりたくないのであれば、少なくとも意識と無意識とは統合され、「解体」に関して受け入れられるはずです。しかしながら、現実には「事務所に残りたい」とする心理が働いているわけでありまして、二律背反するその思いは何かというと、「無意識からの問いかけ」であります。

 

その無意識からの問いかけの具体像はやはり、アイドルというペルソナではないでしょうか。その無意識との問いかけに自我として素直に応じ、努力していくのか否かについてはご本人次第となります。ゆえに、第三者の介入を許さず、苦しさは倍増します。しかし、その先にあるかすかな光を追い求めていくのも芸能界の醍醐味であると思っております。

 

人それぞれにいろんな意見があるでしょうけど、苦境の今こそペルソナを活用してのスマートな活動を期待します。ご高覧、ありがとうございました。

本日の午前5時にLinQの運営から大きな発表がありました。それは、LinQが解体するとの報告でした。

 

解散ではなく、「解体」ですからLinQそのものは存続するわけですが、来年のライブが成功しなければ既存メンバーにおいて、適正に合わない場合に限り、脱退を余儀なくされ、成功すれば本体のLinQのほか、新グループとミュージカル集団とに分化させ、合計3つのグループに振り分けられるということです。

 

まずは来年5月のイベントの成功を祈ります。これが成功したと仮定して、3つに分化した組織はやはり「統合」というものを経て大きくなっていかねばなりません。ここが難しいところですが、この点についてもうまくいくことを願っております。

 

経営学的には水平的多角化をより水平的に拡大するとのことで、そうすると、これまでの経験と知識を存分に発揮できるような体制でことを進められることを願っております。

 

来年の5月のライブをもって現在のLinQは死んでしまいますが、再生というプロセスを歩めるように頑張っていただきたいです。私のバンドも何度も死と再生を繰り返しております。しかしながら、その度にバンドは強くなっております。私たちの場合は拠点も移し、再生後にまた元の拠点に戻す死と再生ですが、LinQがこれから行おうとすることは同じ場所で行いますから、その方法に大きな注目が集まるかと思います。私も期待しております。

 

個性化への第一歩を踏み出すということで、辛いことも多くなるかと思います。しかし、その先にある光に目を向けて頑張っていただきたいです。

 

最強の新生LinQが誕生することを期待しております。

基礎編の速度を落としておりますから、今回は余談の時間としてやっていきます。このネタを取り上げるかどうかについてはかなり迷ったのですが、やはり一般の方はこのあたりのことが知りたいと思いますので、思い切って書いてみます。まず、なぜ今回はそれほど迷ったのかについてですが、今回のようなことを書くと必ずや、「では、詳しい方法を教えてほしい・・・」とのご連絡をいただくことです。これが私にとっての恐怖体験でありまして、具体的な方法はあるのですが、死ぬほどつらいことですから多くの人は途中であきらめてしまい、もっと楽な方法を探そうとして余計にダメになるというネガティブ・フィードバックを何度も目にしております。ですから、自己実現とは死と再生をイメージさせるものとして理解していただくために今回は書いてみます。

 

まず、近年においては個性という言葉をたくさん使われております。例えば、服装が派手な人を見て「個性ありますね」とか、少し言動のおかしい人を見て「個性的ですね」とか、音楽ステージで派手な動きをするアーティストをみて「個性あるミュージシャン」といったりします。果たしてこれが本当に個性なのかということです。これを見分けるのが難しいところですが、例えば経験の浅い男性のミュージシャンが頑張って女性に近い姿に変装するような、いわゆるビジュアル系のスタイルをやってみたとします。これが一般的には個性的と見られるわけですが、果たしてそれは本当の個性であるといえるのかどうかという問題です。例えば、ビジュアル系のスタイルは非常にアニマに接近しております。いわゆる男性の女性化であります。もちろん男性には女性的な一面を心の中にとどめております。ゆえに、女性的なスタイルをすることに異論はありませんし、それはむしろ無意識との葛藤であり、非常に素晴らしいと評価するべきだと考えております。しかし、その一方でこのような心配もしております。それはどういうことかというと、意識的にアニマを出しているのであれば結構な話ですが、意識せずにアニマが出てきている場合は大変かつ、大きな問題がその主体の「心」には発生しております。そうです、統合失調症というやつです。また、次の心配もあります。意識的にやっている場合でも、ただ単に「ペルソナ」に自我が侵されているだけの場合もあり、これもまた非常に厄介な問題であります。

 

これは今に始まったわけではなく、フロイトやユングが心の問題に触れだしたころには既に問題となっていることで、その問題は現在にまで至っております。これがなぜかというと、個性化、ないし自己実現というものがやはり、とても難しいことだということが原因であると考えております。途中で逃げ出す人が多いわけです。例えば、ペルソナに自我が動かされている状況では、ペルソナが完全に機能している場合はいいのですが、意識の力が強くなり、自我がペルソナを受け入れられなくなった時、すなわち、仮面を剥がれた時、その主体はただの人に戻ってしまいます。ここから立ち直るには個性化しかないのですが、これまでの話でお分かりのように、剥がれた仮面の人間がどのように復活するかを考えてみたときに、どれほど厳しいものかは簡単に想像がつきます。

 

多くの人は個性化を生まれ変わりと認識されているようですが、そうではなく、あくまでも意識と無意識とのバランスの問題であり、元々の器は既に決まっているわけですから、その決められた枠内で崩れたバランスをどのようにしてとるかを考えていかねばなりません。個性化して違った自分が出てくることではなく、個性化とは本来の自分を認識し、主体そのものに納得させることであります。これは中国の「易」の考え方と非常に似ております。また、この易の考え方は近代化学においては「細胞分裂」の現象と非常に似ております。ある細胞が分裂するとき、細胞がAとBとに分かれますが、それが統合され、分化と統合が繰り返されることにより生命が発生し、維持される仕組みです。例えば人間であるならば人間としての範囲の中で細胞分裂が行われるわけで、細胞分裂が起きた結果として、ついでに猫まで出てきましたということではないことは皆様方も既にご存知のことであります。これは易の太極という円の中で両義になり、両義は四象、八卦になっていく過程とほぼ同じ考え方であり、この「太極」の考え方はユング派心理学でいう「自己」の考え方に通じるものがあります。そう考えると、やはり人の心はもともと容量は決まっており、その決められた容量のなかでのバランスを保つことが非常に重要だといえます。

 

ところが、言葉では簡単でありますが、前述の例でもお分かりのように、実際には非常に難しいことであります。なぜなら、容量が初めから決まっているからです。心は取り換えは不可能かつ、容量の増大も不可能ですから個性というものを考えるとき、それはどのような状況なのかを見極める必要があり、とりわけ芸能人はこの点に関して理解を広めていかなければなりません。これらのことを総合すると、個性的な人間になるために派手な格好をしたいと思うとき、さらに、少しおかしな言動をすることにより目立ってやろうとするとき、いったんは立ち止まり、冷静になり自分の心理状態を見極める必要があります。何の計画もなしに行うと見る側のコンプレックスを悪いように刺激し、「炎上」ということになります。

 

芸能界はモノは作りませんが、目に見えないモノをたくさん作る業界です。この点を常に心しながら日々の活動に活かしていただければと思っております。ご高覧、ありがとうございました。