「エホバの証人の「避け」について 21 [聖句の検証]⑤ 」
まで、エホバの証人が、排斥・断絶者を「避け」ることについて、その根拠となっている参照聖句を文脈から確認する作業をしてきました。
私は、エホバの証人が、厳格な教義を誇っていることも、またその教義に違反した者を排斥処分にすることも、宗教団体としての1つのあり方だとは思います。
でも、その排斥処分を課した信者は、その時点で
「エホバの証人」
ではなくなるわけですから。。。
もはや
「外部の人間」
であるはずの排斥・断絶者に対してどんな形であれ「避け」を行なうことは、まったく
「聖書的ではない」
ことだと思います。
協会が「避け」の根拠としている聖句は、実際の文脈の中では、どれも、直接、排斥・断絶者を指しているものではありません。
それなのに、その聖句だけを切り取って、元々の意味以上に協会の都合のいいように拡大解釈することは、まさに聖書に何度も警告されているような、
「聖書に何も付け加えてはいけない」
ということに違反しているのではないでしょうか。。。
(申命記4:2、申命記13:1、箴言30:6、啓示22:18)
とはいうものの、人は信じたいものを信じる生き物です。
どんなに、エホバの証人の聖書解釈に無理があろうとも、家族間の絆を断ち切るような教えであっても、それを信じ切っている人は、やはりそれを「真理」だと信じたいのでしょうから。。。
でも、せめて、エホバの証人のこの「避け」の教義によって、罪悪感にとらわれている人がいるならば。。。
それには何の聖書的根拠も見出せないことを知って、不要な罪悪感から解放されてほしいと思います。
そして、もし、よりもっと聖書的でありたいと思うならば。。。
自分の権限をかさにきて、他の人に費用の面で重荷を与えるような無秩序な人間を「避け」てくださいね☆
それが、パウロが「避け」るようにと、明確に指示している人間ですから(*^^)v
それに。。。
ずいぶん前の私自身の記事
にも書いたように、私には、イエスが律法を守れない人々を「避け」たとは到底思えないのです。
どちらかと言うと、そのように律法を守れないような生活をしている人々にこそ、寄り添いたいと願ったのでは。。。
と、思うのですが。
次の記事では、そんなイエスの言動を追ってみたいと思います。