" 木の住まい " に出会って、杉の家 -204ページ目

見学会のチラシ(2000.11.21)

設計事務所から、わが家の「建前学校 のお知らせ」が届いた。
チラシの発行はT建築設計事務所、後援「木の住まい」「木と生活」。
わが家の概要と、案内図、裏面には、私の殴り書きの道順。
殴り書きだけど、丁寧な内容で書いたつもりだ。
目印の建物や看板を確認したり、距離まで測りに行ったんだから。
今なら、そんなことしなくてもほとんどの人が
インターネットで探せてしまうのだけれど、当時のわが家にはなかった。
(あったら、もっとスムーズに事が運んでいたに違いない)

この家を建てる決め手となったのは、Hさんの「木の住まい」による、
伊那のSさんの家の建前学校に参加したこと。
夫が、自分の目で確かめて、やっと納得して同意してくれたから。
反対していたわけではなかったのだけれど、
ふんぎりがつかずにいた夫の心を動かした建前学校だった。
聞きたいことも聞けずに、帰ってきたのだけれど

そして、まだひょろひょろの(なんだか色白で細かった記憶が)
大工Nさんに会ったのは、それよりずっと前に
(設計士Tさんが遠方各地に足をのばすうんと前に)、
「木のすまい/名古屋支部」と称して開催された、
日進町のお宅での完成見学会だった。
木の住まいなど叶わぬ夢、と、大手の展示場めぐりをしていた頃。

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みんな違ったって、いいんだよ

浜松大学健康プロデュース学部こども健康学科学科長の
久保田力(くぼたちから)教授の講演会。
こどもたちには、海外渡航時の体験をもとに
文化の違いについてをお話されたのだけれど、
その中に、「カレーを手で食べる」話があった。
それを一生懸命聴いていた小3の息子。
「いっか~?みんな、今度、カレーを手で食べてごらん。宿題だよ。」
という問いかけに、どんな反応を示していたのだろうか。

以前、私の仕事でインドからの留学生が料理を教えてくれたときに、
プーリーとカレーを右手だけでちぎって食べるという
食文化体験を盛り込んだのだが、うちの子たちは別用にて不参加だった。
私も手でチャレンジしたのだが、
このときのカレーはたまねぎを炒めたもので、
どちらかというと、プーリーをいかに上手にちぎれるか、
ということに熱中していた。

そして、タイミングがよいというか、なんというか、
家に帰ると、カレーの話など知らぬ夫がカレーを作っていた。

「宿題だ・け・ど、俺はやらないよ。」
と言いながら食べていた息子、3分の1ほどスプーンで食べたところで、
「やっぱりやっていい?」
と、右手で食べ始めた。
説明通りに、2本の指の上にのったカレーライスを親指で口の中へ。
これが、結構上手で、残りを全部手でたいらげた。
「なんか、こうやって食べるほうがおいしいみたい。」
とまで言った。(実はちょっとお調子者)

はたして、次回のカレーライスも
彼は今日のことを思い出して手で食べるだろうか。
今回、写真を撮り損ねたので、次は記録におさめておきたい。

久保田先生のお話の中で、息子の心にちゃんと残しておいて欲しいのは
「自分と違うからといってその人を馬鹿にするのは、
 自分の国の文化しか知らない、勉強不足の人がすることだよ。
 みんな違ったっていいんだよ。それがあたりまえなんだよ。」
ということ。
私はこれを一番心得ておかなくてはならないのは、
子どもたちよりずっと長く、日本の文化しか知らないおとなたちだと思う。

実は、外国人の子の中には、言語の壁が原因でいじめられてしまって、
学校をやめてしまうケースが、私が知っているだけでも結構ある。
(けれど、外国人は義務教育ではないので、問題にもされずに終わってしまう。)
ともすれば、学校の先生までが、日本の子の言葉のみをまるのみにして、
うまく説明できない外国人の子の話を聞こうと努力もせずに、
一方的に責めてしまうので、こどもが荒れてしまう。
こどもだけ自国に返した方がよいのか悩む親も多い。

そして、この「文化のちがい」は国レベルではなく、
最終的には各人の「個性」にたどり着く。
個性の善悪は別の話として、わが子の個性も認めてやらなくては。
(かなりの努力が必要かも)

みんな違ったって、いいんだよ。

施主(住まい手)の考える家つくり?

大工Nさんから、11月18・19日に三重県伊勢市にて開催される、
とある会議へのお誘いメールが届いた。
企画もりだくさんツアーのようで、とても魅力的なのだが、
残念ながら両日とも、こどもたちの用事があって、旅に出るわけにはいかない。
実は、同じく三重県で年に数回開催される別の会への参戦を狙っているのだが、
いつも用事が重なって行けずじまいで、毎回指をくわえながら、
参加者の報告ブログなど読ませていただいている。

さて、今回は、

分科会で「施主の考える家つくりと大工・設計士の考える家つくり」 をテーマに
普段つくり手側の論理でしかかんがえない傾向を見直そうと
住まい手側の意見も平等の立場に立って意見を聞いてみようとなりました。

ということで、
円座になっての意見交換に参加しませんか?というお誘いだったので、
「住まい手側の意見」とやらをここで書いてみようと思う。
大工Nさんには書きかけの原稿を渡して、
意見だけ円座の仲間に入れてもらえることになっているのだけれど、
テーマの的を得ていたかどうかは定かでない。

だって、
違う立場から、相反する意見を提供しなくてはと考えるのだが、
設計士Tさんも大工Nさんも、私の意見を聞こうとして下さったし
私も本音を隠しておくような奥ゆかしさはなく、
その都度討議の末、解決されたので、
住まい手はつくり手でもあるのでは?と考えざるを得なかった。

設計の段階では当然、住まい手の意見が反映されるわけで、
例えば意見の食い違い等は両方が納得して折り合って
...もし、「妥協」があったとすれば、
我が家の場合は、おそらく設計士側ではなかったかと思うのだ。
設計側に押し切られて納得がいかない設計図ができあがったのなら、
今ここで、文句たらたらの意見など書き連ねることができるのだが、
はてさて、思いつかない。

強いて言えば、
図面を書くにあたって私の膨大な要望書を読むのが大変だったのなら、
直接「どうだっけ?」と確認してくれても良かったのに、ということくらい。
当時我が家にパソコンがあったら、もう少しスムーズだったのかも。
しかし、これもまた、設計事務所が遠方だったという特殊なケースだったわけで...。
それより、これは今回のテーマには関係なかったりする。

そして、その図面が形として出来上がっていく段階では、
つまり、大工さんとの関わりでは、またまた我が家の場合、
一緒に作業をしていたという事実がある。
もちろん、素人にもできる範囲程度のものだけれど、
オイル塗りをしたりだとか、塗装をしたりだとか、
予定にはなかった外壁の土壁厚塗り作戦にて、
冷たい風に吹かれつつ、なぜかひたすら土を壁に塗り続ける羽目になった私。

「ねえ、一緒に作ってたよね?」と大工Nさんに同意を求めると、
どの作業を思い浮かべたのかは知らないけれど、
電話の向こうで爆笑しまくり。これはYesと受け止めていいのだろう。

本来、大工さんとは別に設計事務所が存在する場合、
施主は大工さんとの「打ち合わせ」は存在しないのではないだろうか。
例えば、住宅メーカーの場合は、営業マンとしか打ち合わせないように。
実際、大工さんとは話をしてはいけないと営業マンに言われた友人もいる。
設計士Tさんと大工Nさんが、
そのあたりをどう取り決めていたのかは知らないのだが、
施主側の選択肢があるときには、大工Nさんは意見を求めてくれたり、
途中で思いついた提案などを取り入れてくれたので、
やはり、一方的に作られてしまったという思いはない。

強いて言えば、この丁寧さも加わってか、工期が予定より長引いたのがつらかった。
新入園、新入学のこどもたちを校区外から時刻別に送迎しながら、
自分もまた職場へ行かなければならないという環境の中で、
「あと少し」と期待させられるよりは、
「もっとかかる」と腹をくくらせてくれたほうが気楽だったと思う。
そしてこれもやはり、テーマと関係なかったりする。

ただ、急ぐあまりに納得がいかない家が仕上がるのは、
「住まい手」としては、一番避けたいところ。
もちろん、「つくり手」だって同じ気持ちではないだろうか。
となると、私の頭の中では、
「住まい手は『住まい手とつくり手の意見は一致している』と思っている」
という結論になってしまうのだ。
どちらかというと、住まい手がつくり手の本音を聞きたいよ、といったところだ。

この意見交換会のまとめはどんな風になったのだろう。

で、前置きが長くなってしまったのだが、
大工Nさんに送った「ご意見」は以下のとおり。
家つくりがスタートしてから8年と8ヶ月たっても思いつくことだけ、
思いつく順にとりあえず書きはじめたものの、
自分の仕事の締め切りに追われて、作業が途中のまま渡すことになってしまった。
他の書きかけのもとのともにもっと簡潔にまとめるつもりだったのだけれど
今さら無理矢理まとめるのも面倒なので、
ここに載せるのも、作業途中のものをそのままで、あしからず。
残りはこのブログにて、その場面ごとに思い出したら書こうと思う。

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<費用について>
私の思い/例えば一定の金額が使えるとしても、できるだけ費用をかけずにすませたい。
だけど、ちょっと追加して別の希望すべき選択肢があるのなら、そちらを選びたい。
(このちょっとが重なると膨大な金額になることは、ちゃんと頭に入ってたよ)

小さなことだけれど一番に思い出すのが、土壁の中の竹小舞を組む紐。
相談がなければ、おそらく、今一般的に使われている合成樹脂系のひもだった。
昔ながらの藁紐を使うと数万円(1~2万円だった?)高くなる。
自分は昔ながらの藁紐にしたいくせに「どうする?」という言葉で聞いた中村さん。
もし私が「安い方でいい」と言ったら、次に何と言おうと思ったのかは定かでないが、
私の「隠れるところだからこそ、藁紐にしたいよね。」という意見に大賛成だった。
たかが紐、されど紐、誇り高き土壁の中の藁紐。

<設計サイドへの要望について>
素人だから、いろいろと考えるのだけれど、
常識から考えれば無理かなぁと躊躇する気持ちがある。
けれど、たとえば「バナナと里芋を一緒に煮る甘いデザートがあるなんて信じられないけど、
食べたらおいしかった。」なんてこともあるように、
もしかすると、素人ならではの考えが実現することもあるのではないかという葛藤のすえ、
恥をしのんでいくつか提案したのを覚えている。
実現して時々便利なのは、脱衣室とトイレにそれぞれつながる浴室のふたつの扉。
実現しなくて良かったのは、台所から入室するトイレ。

<身長>
*窓
私にあって、設計事務所数人の誰にもなかったもの。
身長の低さとそれに伴う腕の短さ。
手前から外に押し出して開く「横滑りだし窓」というのがある。
これが二段になって高い位置のものや、手前に棚があるような場所では、手が届かない。
かろうじて押し開けることは出来ても、今度は取っ手に手が届かなくて閉められない。

*キッチンの吊り棚
自分で実際に手を伸ばして決めた、最低限床から必要な高さだったのに、
そして図面にもちゃんとその通りになっていたのに、ひょんなことからそれより高くなってしまった。
嫌な予感はしていたのだけれど、事の重大さを忘れていてその話が決まった時に反対しなかった。
結果、毎日使う物をしまうはずの棚が、手が届かなくて使えなくなってしまい、
それを収納するために、余分な物を置かざるを得ないはめになってしまった。
せめて、あと1cm低ければ、その棚は使えたのに。

<「設計士さんはプロだから何でも知っている。」という思い込み>
教えてくれればいいのに。と思ったけれど、知らなくてもしょうがないかな、と思ったこと。
*防犯目的で1階の窓ガラスにワイヤー入りのものを使ってもらったのだが、
 これ、実は、犯罪を手助けするものだった。音がせずに割れるので、いいらしい。
*同じく防犯目的で、ルーバー窓のFIXの網戸を格子入りにしてもらったのだけれど、
 格子があってもなくても簡単に網戸枠がはずせるというものだった。
 格子なしより余分な費用をかけた気分。
*窓からゴキブリが入るのがいやで、普通の窓の外側をFIXの網戸にしてもらったのに、
 窓枠との平らな隙間は、普通のサッシ用網戸より入り易かった。

<むっとしながらも、作業してくれたこと>
穏やかな中村さんをむっとさせた、本当に数少ない事件のひとつ。
お風呂の壁の中の柱。一部分、灰色になっていた。
「中で腐ったらいや。」「それは有り得ない。」「絶対やだ。」
その部分をくり抜いて、木片をはめこんでもらった。
クサイものに蓋をすると、何が起こるかわからない。という不安。

<家つくりには関係ないけれど>
もう、どうでもよいのだけれど、ひとつだけ恨んでることがある。
初めての台所に水道が開通したとき、
一番に使いたい私の目の前で、中村さんと北山さんが使ったのだよ。
自分たちの食後の茶碗をあらうために。
しかも、納豆を食べたやつ。 ヽ(`⌒´メ)ノ←付け足し