身体が融けだしそうな酷暑続きの中、出先で思わず空を見上げた時にふと思い出した言葉がありました。
それは「陰翳礼讃」という言葉。1939年に出版された文豪谷崎潤一郎の随筆の表題です。戦前に書かれた本で私が読んだのも半世紀くらい前なのですが、何故か突然読み返したくなり、青空文庫で読んでみました。
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陰翳礼讃【文学国語・現代文B】教科書あらすじ&解説&漢字〈谷崎 潤一郎〉 (youtube.com)
「陰翳礼讃」のあらすじ紹介&物語の意味を解説【谷崎潤一郎】 (youtube.com)
何というか、凄く腑に落ちました。この世界は陰陽のバランスで成り立っている、と言われていますが現実はそうなっていない。敗戦からずっとアメリカの影響もあるのでしょうが、陽の面ばかりを追い求めてきたように思われます。終戦後には陽の力が絶対的に必要でしたが、精神的にも陽を善とし、陰を軽んじ、忌むべきものとしてきました。建前はともかく、現実はそうなっていると思えます。その証拠に全国の教育現場で起きているいじめも、標的にされた生徒は暗いとか陰気という言葉を投げかけられています。
一見陽が陰を押し潰しているように見えますが、いじめや様々なハラスメントの背景にあるものは、ねじ曲がって先鋭化した陰の気があることが多いような気がします。
陰気という言葉の響きはとかくネガティブな言葉として通用していますが本来は絶対に必要な要素や資質を表わす言葉なのです。
それが、存在してはいけないような忌み言葉のように世の中に浸透していくことを私は恐れます。
陰気と思われないように元々は陰の気が強い素質の人であっても、陽気に振る舞わなければ生き難い世の中になっています。子供から高齢者にいたるまで。
この世をより良く生きるためにポジティブであることは大切ですが、必ずしもネガティブであることは忌むべきことばかりだとは思いません。危機管理や兵法、あるいはお役所仕事などもネガティブな思考が必要な場合が多いと思います。
私は専門家ではないので詳しくは語れませんが、いじめに象徴されるような陰気を無き者として、撲滅しようとすような風潮が高まってくると、押さえ込まれた陰のエネルギーが暴走しそうな気がして、やはりこれは自然なことではないと思うようになりました。
そんな時に「陰翳礼讃」を思い出したのでした。
今、ネットで怪談や都市伝説系の動画が人気なのも人々の心の中に陰陽のバランスをどこかで戻そうとする無意識な渇望があるような気がしてなりません。
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