きょうは、ヘンデル大先生の若いころの傑作をば

ご一緒に聴きましょう。



こちらで(←)。




訳が読みにくくて、相済みませぬ。




Dixit Dominus Domino meo:   神が私の主に言われる
sede a dextris meis   「私の右に座れ、
donec ponam inimicos tuos    私はあなたの敵を
scabellum pedum tuorum.    あなたの足台にしよう」

Virgam virtutis tuae  神はあなたの力の杖を
emittet Dominus ex Sion,  シオンからつかわされた。
dominare in medio inimicorum tuorum.  治めてください、諸々の敵の中にあっても。

Tecum principium in die virtutis tuae,   あなたの民は、あなたがその軍勢を聖なる山々に導く日に
in splendoribus sanctorum:  心から喜んで己を捧げるであろう。あなたの若者は
ex utero ante luciferum genui te   暁の胎から出る露のようにあなたに来るだろう。

Juravit Dominus et non poenitebit eum: 神は誓われ、み心を変えられることはない。
Tu es sacerdos in aeternum   「あなたはメルキセデクの位にしたがって、
secundum ordinem Melchisedech.     永遠の祭司である。」

Dominus a dextris tuis,   主はあなたの右に立ち、
confregit in die irae suae reges.  怒りの日に諸王を打ち砕かれる。

Judicabit in nationibus, implebit ruinas, 主は諸国を裁き、屍をもって覆われる。
conquassabit capita in terra multorum. 広大な地の頭となる者を撃たれる。

De torrente in via bibet, 彼は道ばたの渓流から水を飲み、
propterea exaltabit caput. それによってこうべを上げるであろう。

Gloria Patri, et Filio, et spiritui Sancto. 願わくば父と子と精霊とに栄光あれ
Sicut erat in principio, et nunc, et semper, 初めにありしごとく 今も いつも
et in saecula saeculorum. Amen. 代々に至るまで。 アーメン。





以下は、この3月末に行われるある勉強会の案内文の全文であります。





大都会の狭間に生きる若者ホームレスは極度に不可視化された存在である。



若者ホームレスの大半は退職や解雇を契機に安定した仕事を失い、正社員→アルバイト

 


→製造業派遣→日雇い派遣・・・・と労働力としてダンピングされていった過程も明ら



かになっている。一度路上に出てしまうとホームレス状態を完全に抜け出ることは容易



ではない。また彼らの多くは学歴が低い、貧困家庭に育った、頼るべき家庭を持たない、



などホームレスになる前から非常に非常に困難な立場にいる。



また路上にいることによって、うつ状態になり、ますます社会復帰を困難にするケー


スもある。 しょぼんメラメラ



おいら並びにうちの家族が、かろうじて喰ふことができることを


感謝している。








田中宇の3・4付国際ニュースより。

全文は、↓で。

http://tanakanews.com/110304dollar.htm



▼基軸通貨は米欧中の三極体制に

 3月2日には、米国の最有力経済紙WSJが
「なぜドルの覇権が間もなく終わるのか」と題する論文を掲載した。

この記事によると、ドルは近いうちに単独の国際基軸通貨という
特権的な地位を失い、今後10年ぐらいかけて、中国人民元やユーロ
とともに多極的な基軸通貨体制を共有するようになる。

 論文によると、従来の世界の為替取引の85%がドル建で
世界が保有する債権債務の半分以上もドル建てであり、
この市場占有率の高さ
がドル利用の拡大と高占有率の維持につながり、
米国債は最も安全な債券であり、ドルは有事の資金逃避先として
頼られていた。

だが今、こうしたドルの利点が次々に壊れている。
米政府は財政赤字を急拡大し、多くの投資家が米国債は過剰発行で
債務不履行の恐れがあると考えている。

貿易業者にとっても、米国以外の国々の間の取引が増え、
保有通貨を多角化した方がよい状況になっている。
ドルの独占的地位が崩れると、米国債の売れ行きが落ち、
ドルの価値が20%下がると論文は予測している。




(この記事は昨晩書いたものです)



毎日バタバタして更新が遅れています。

ごめんなさい。。


首記の件は、やっと馬鹿糞野郎の特定ができたと

報じられている。

調べれば、すぐ分かるはずなのに

てめぇーが特定されないとでも思ったんだろうかNG禁止はてなマーク

その程度のノーミソしか持ちあわせない阿保なのだろう。


こんな奴は、受かりっこねぇーンだよってんだダウン、バーロップンプンパンチ!!!


(その後、4校受かったと報道ありむかっビックリマーク クソッうんちDASH!




おととい来やーがれってんだッむっ爆弾DASH!!!



きょうは、年輩の方には懐かしい旺文社の大学学校受験ラジオ講座

テーマ曲を含む、ブラームスの「大学祝典」序曲を

ご一緒に聴きましょうビックリマーク

クレンペラーの1927年録音といううんだが、ほんまかいな?。。



こちらで(←クリック)。








タイトルを見て、そんなことはできるわけねぇーぜっ、て

皆さんもおもう筈だ。

それが、われわれのフツーの感覚である。

だれも好きでもない輩と、たとえ一分でも一緒にいたくはないものだ。


この世の倣いである。

小さいときから大のおとなに至るまで、みーんなそうなんだよ。


だからみんな群れをつくる。


おおきな組織では、学閥、閨閥、県人会、等など。。

そのなかでも、また気に入ったどうしのお付き合いとなる。

群れたがるんだよ、ニンゲンという動物も。。


厭なヤツを愛するなんてことは、到底できねんだってんだ禁止DASH!ダウンむっグー爆弾!!



ここで、前回(2・22付)の記事に戻る。


「怨憎会苦」


大司教ですら、こう↓云われる。


「会いたくはない、一緒にはいたくない嫌いな奴、怨み憎む相手」

のことではないでしょうか。

人間が他の人に好悪の念を抱くのは避けられないことかもしれません。



あとはそのまま引用するが、どう思いどう振る舞まれるかは

勿論読者の自由である。

少なくともボーイは努力して参りたい、と志向している。

生身のニンゲンだから、できないときも多いとおもうが。。



敵を愛することを考える前にまず自分自身を愛しているか、

自分を敵にしていないか、考えてみる方が良いような気がします。

まず自分自身の欠点を受け入れ、弱さを認めることが

必要ではないでしょうか。

わたしたちは自分自身を受け入れ、愛しているだろうか?

神様の広い心を知って自分自身にも寛大でありたいと思います。

そうすれば兄弟を受け入れやすくなるのではないでしょうか。

(2011年2月20日 五井教会にて)








タイトルのこと、きょうのネット・ニュースより(フジ)。


何度も書くけど、八百長が当たり前なのでいまさら騒ぐのはおかしい。

NHKとマスコミの頬っかぶりと怠慢が、そうさせたのである。


自業自得なのだNG禁止ダウンプンプンDASH!


ざまぁーみやーがれってんだパンチ!爆弾むっうんちダウン!!




元若ノ鵬が告発した力士


魁皇(大関)、琴欧洲(大関)、琴奨菊(関脇)、

霜鳳(前頭)※、豊桜(前頭)※、千代白鵬(十両)※、

安壮富士(十両)、旭南海(十両)※、清瀬海(十両)※、

春日王(十両)、北勝力(十両)、十文字(幕下)、

白乃波(幕下)※、千代大海(佐ノ山親方)、潮丸(東関親方)、

皇司(若藤親方)、海鵬(谷川親方)※、春日錦(竹縄親方)、

玉力道(荒磯親方)、琴光喜(解雇)、駿傑(引退)


(カッコ内は現在の地位、※は八百長メールに名前の上がった力士)




「最初は仲間の中だけで競馬や競輪、野球で賭け事をしていただけだが、

賭け金が大きくなると、資金力のある外部の暴力団関係者が胴元として

入り込む。

そこで借金が膨らんだ力士が、胴元の相撲賭博に協力し、彼らが都合良く

勝てるように八百長に加担させられるようになる。

つまり、“バクチの借りを星で返せ”と脅されるんです」(元力士)





以下は、きょう読まれるところのマタイ伝からの抜き書きであります。


なんで右の頬を殴られたら、

左の頬を向けなくてはならぬのか、

理解できぬ人が殆どであろう。

(そうすれば戦争はなくなるが、敵に征服されてしまう)

でも、最近はすこしこの部分の意味がわかりつつあるように

なってきたようにおもえるのです。


ほんのちょっとですよ。


いずれわかるときは、或は、わかるときがあるとするなら、

おそらく自分が死ぬときになるのではないかなとおもいます。



5:38「目には目を、齒には齒を」と云へることあるを汝ら聞けり。

5:39されど我は汝らに告ぐ、惡しき者に抵抗ふな。

人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。

5:43「なんぢの隣を愛し、なんぢの仇を憎むべし」

と云へることあるを汝等きけり。

5:44されど我は汝らに告ぐ、

汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ。

5:45これ天にいます汝らの父の子とならん爲なり。

天の父は、その日を惡しき者のうへにも


善き者のうへにも昇らせ、

雨を正しき者にも正しからぬ者にも


降らせ給ふなり。




きょうは書く時間がないので、前に挙げたフランス語版の

タイトルの曲をもういちどお聞きください。


作曲者は現代の方のようですが、静かで穏やかで(おんなじかっ!)

やさしく慈愛に満ち充ちた曲は、短いながらほんとうに魂が

癒されるのであります!!


生きていてよかったな!という実感が味わえるのです。



こちら(←)。



Notre Père

Notre Père qui es aux cieux,

que ton nom soit sanctifié,

que ton règne vienne,

que ta volonté soit faite

sur la terre comme au ciel.

Donne- nous aujourd’hui

notre pain de ce jour.

Pardonne-nous nos offenses,

Comme nous pardonnons aussi

à ceux qui nous ont offensés.

Et ne nous soumets pas à la tentation,

mais délivre-nous du mal.




天にまします我らの父よ

願わくは

み名の尊まれんことを

み国の来たらんことを

み旨の天に行わるる如く地にも行われんことを

我らの日用の糧を今日我らに与え給え

我らが人に許す如く我らの罪を許し給え

我らを試みに引き給わざれ

我らを悪より救い給え

アーメン







いま旧教で唱えられているタイトル「主の祈り」は、いわゆる

新訳=口誤訳で、最初に聞いたのは、二年少し前の母親の葬儀ミサの

ときであった。


「天におられるわたしたちの父よ」という出だしで始まる。

(マタイ 6章9節~13節より)

気に入らぬ事、甚しいものがある。

ミレニアムにあたり、改訳したらしい。

つまり2000年から使用開始。


全文を挙げておく。



天におられるわたしたちの父よ、

み名が聖とされますように。

み国が来ますように。

みこころが天に行われるとおり地にも行われますように。

わたしたちの日ごとの糧を今日も お与えください。

わたしたちの罪をおゆるしください。

わたしたちも人をゆるします。

わたしたちを誘惑におちいらせず、

悪からお救いください。

アーメン



前の「主祷文」↓で不都合があるのだろうか?

格調高く良かったのに。。

文語っていうけど、誰でも意味は取れますよってんだ!



天にまします我らの父よ

願わくは

み名の尊まれんことを

み国の来たらんことを

み旨の天に行わるる如く地にも行われんことを

我らの日用の糧を今日我らに与え給え

我らが人に許す如く我らの罪を許し給え

我らを試みに引き給わざれ

我らを悪より救い給え

アーメン



親しみやすいからと称して、薄っぺらで迎合的な訳は

いかがなものか?