タイトルを見て、そんなことはできるわけねぇーぜっ、て
皆さんもおもう筈だ。
それが、われわれのフツーの感覚である。
だれも好きでもない輩と、たとえ一分でも一緒にいたくはないものだ。
この世の倣いである。
小さいときから大のおとなに至るまで、みーんなそうなんだよ。
だからみんな群れをつくる。
おおきな組織では、学閥、閨閥、県人会、等など。。
そのなかでも、また気に入ったどうしのお付き合いとなる。
群れたがるんだよ、ニンゲンという動物も。。
厭なヤツを愛するなんてことは、到底できねんだってんだ![]()
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「怨憎会苦」
大司教ですら、こう↓云われる。
「会いたくはない、一緒にはいたくない嫌いな奴、怨み憎む相手」
のことではないでしょうか。
人間が他の人に好悪の念を抱くのは避けられないことかもしれません。
あとはそのまま引用するが、どう思いどう振る舞まれるかは
勿論読者の自由である。
少なくともボーイは努力して参りたい、と志向している。
生身のニンゲンだから、できないときも多いとおもうが。。
敵を愛することを考える前にまず自分自身を愛しているか、
自分を敵にしていないか、考えてみる方が良いような気がします。
まず自分自身の欠点を受け入れ、弱さを認めることが
必要ではないでしょうか。
わたしたちは自分自身を受け入れ、愛しているだろうか?
神様の広い心を知って自分自身にも寛大でありたいと思います。
そうすれば兄弟を受け入れやすくなるのではないでしょうか。
(2011年2月20日 五井教会にて)