以下は、きょう読まれるところのマタイ伝からの抜き書きであります。
なんで右の頬を殴られたら、
左の頬を向けなくてはならぬのか、
理解できぬ人が殆どであろう。
(そうすれば戦争はなくなるが、敵に征服されてしまう)
でも、最近はすこしこの部分の意味がわかりつつあるように
なってきたようにおもえるのです。
ほんのちょっとですよ。
いずれわかるときは、或は、わかるときがあるとするなら、
おそらく自分が死ぬときになるのではないかなとおもいます。
5:38「目には目を、齒には齒を」と云へることあるを汝ら聞けり。
5:39されど我は汝らに告ぐ、惡しき者に抵抗ふな。
人もし汝の右の頬をうたば、左をも向けよ。
5:43「なんぢの隣を愛し、なんぢの仇を憎むべし」
と云へることあるを汝等きけり。
5:44されど我は汝らに告ぐ、
汝らの仇を愛し、汝らを責むる者のために祈れ。
5:45これ天にいます汝らの父の子とならん爲なり。
天の父は、その日を惡しき者のうへにも
善き者のうへにも昇らせ、
雨を正しき者にも正しからぬ者にも
降らせ給ふなり。