いえを出るとき、


わたしは心が疲弊しきっていて、

とにかく心を休めたいとしか考えて

おらず、


離婚のりの字も頭にはありません

でした。


正常な状態に戻ったらいえに戻って

また元夫と息子と暮らすつもりで

いました。当時娘は大学生でわたしの実家に

住んでいました。





だけど、

自分を取り戻していく日々のなかで

いえに帰って元の生活に戻り、

残りの半生を元夫と一緒に過ごして

いく決意がつかないまま時間だけが

どんどん流れていって、


結果的にわたしは離婚を選びました。


元夫との話は平行線で、

途中からは代理人を通しての交渉と

なり、


息子に対してもどんどん連絡がしず

らくなって、息子からの連絡も一時

途絶えてしましました。




息子は、


 親には親の事情があることはわかっ

 てた。


 (離婚は)仕方がなかったんだと思って

 る。


 お父さんは相変わらずだけど、

 俺のために頑張ってくれてるのは

 よくわかってる。俺が生活できるのも

 大学に行けるのもお父さんのお陰だし

 感謝してる。


 お母さんがいつも俺をどれだけ心配

 して泣いたり笑ったり忙しいのも

 わかってる。


 だけど、、、


 お母さんがいなくなってから、

 お母さんは病気が治って元気になっ

 たらいえに帰ってきてくれるんじゃ

 ないか?


 そう思わないではいられなかった。


 なんで、離婚を決めたとき俺に

 話してくれなかったの?


 お父さんも話してくれなかった。


 俺は姉ちゃんから聞いたんだ。


 どうして俺に話してくれなかったの?


 あれから何かが歪んだまま固まっ

 ちゃって、治らないんだ。


 、、、


 こんなこと言うつもりなかった。

 お父さんにも言ったことないよ。


電話の向こうでそう言いました。