癒し処・水晶宮

癒し処・水晶宮

癒し人紅月水晶の不思議な体験・見えない世界のお話など。
お電話/Skype/LINE通話でのご相談も承っております。
さまざまな経験を乗り越えて得た、愛と強さであなたを受け止めましょう。

Amebaでブログを始めよう!


「水も買えない貧乏人はどうなってもいい」
とでも言うのでしょうか?

一番大切なライフラインである水を金儲けの道具になど
絶対にさせてはなりません!!

サービスの向上・値下げなどメリットを謳っていますが
儲かるのは一部の企業や権力者だけでしょう。
外資の参入や水質の悪化なども懸念されます。
私たちが暮らす日本のインフラを
他国に支配されて良いのですか??


インフラ老朽化など問題はあると思いますが
民営化されることによって良い方向に行くとは思えません。



以下、真実を探すブログさまへのリンクです。

拡散】大阪市がコッソリと水道局民営化のパブコメを募集中!締め切りは5月30日まで!平成28年までに完全民営化を目指す!

【民営化】大阪市が水道の運営権を2300億円で売却! 来年度の完全民営化を目指す!第二の東電が誕生か!?


※パブコメの提出方法

パブコメのことは書いていても具体的に提出方法など書いていないので
慣れていない方はわかりにくいと思いますので
実際に役所に問い合わせた結果を併せ掲載しておきます。

パブコメ提出方法←このページの
5 ご意見の応募方法から、選びます。

ファックス・送付・持参の場合は
下部のパブリック・コメントご意見記入用紙
をプリントアウトなどして
(2)(3)(4)を参照してください。

(1)の電子メールの場合、極端な話
件名に
「水道民営化反対!」だけでも良いそうです(汗)
私は意見記入用紙を参考に本文を書きました。


もう、人任せや見てみぬふりで
安心して住める国ではなくなってきています。

国民はちゃんと見てますよ! 
ということを知らしめるためにも
出来る限り提出しませんか?



 

 

笑顔で元気に爽やかに挨拶されると、とても良い気持ちになりますねチューリップ
このような挨拶をされて気分を害する方って
おそらく、ですがいらっしゃらないと思います

私はフィットネスに通っているのですが
人が多いこともあってか、会員さん同士の挨拶は
あまり目に付きませんでした

リアルでお会いした方はご存知でしょうが私は
顔ピアスを減らしたので以前よりは少しマシに?なった?ものの
肘から手首までのガッツリtattooや風貌がアレなのでうまい!
常に「怖がらせないように」と気を配っていて
どこに行っても”笑顔で挨拶・ありがとう”運動(!)を実践しています。

世の中”見た目”で判断されるのはある程度仕方のないこと。
「やっぱり、あんな格好してる人間は・・・」と
思われるのがイヤで始めたことなのですが
今ではそのときにいただける笑顔の虜になって
すっかり習慣というか趣味というか
そんな風になっています晴れ

このフィットネスでも初めの頃は
「おはようございますexclamation ×2」と元気よく言うと
「あ、おはようございます」と返してはくれるものの
目を合わせようとはしない方が多かったのですがうまい!
めげずにいつもニコニコと話しかけていたせいか
今では一緒に通っている母が
「あなた知り合い多いわねぇ」と驚くほど
私が覚えきれない方々からも声をかけていただけるようになり
お店の雰囲気自体、明るくなりました晴れ

ある方が”無縁社会をどうするか”というテーマの番組を御覧になって

「”おせっかいの復権”とか要はかつての近所付き合いが
盛んだった時の日本の様な社会にするのも
一つの手とか言われたけど逆に
そういうウザいのが嫌で今の社会ができた、なんて反論もあった。 」
と書いておられました。


現代社会をみていると昔のような”カミナリ親父の説教”とか
”ちょっとお醤油貸してもらえる?”などの近所づきあいは
「ウザい」と言う意見もわからなくはないですが
そういうのがなくなったから
子どもの育て方がわからないで虐待をしてしまう親とか
誰にも気づかれないまま孤独死というような
切ない事件が増えたということもあるのではないでしょうか?


”あいさつ”という絆で繋がっていると
いざと言う時でもお互いが声をかけやすいと思うのです。

街なかでも席を譲ったり、荷物を持ってあげたり
一期一会的な”おせっかい”は平気でやりますチューリップ

「二度と会うことがないであろう相手なのだから
断られても恥ではないし偽善と思われてもいいさ。
もし喜んでくれたらOk手(チョキ)

くらいの気持で。

断られたとしても皆さん必ず「ありがとうねわーい(嬉しい顔)」と
言ってくださいましたし無駄なことをしたとは思いません。
もしも、その方々が「今度から私も声かけてみよう」なんて
思ってくだされば素敵じゃないですか?チューリップ

ちなみに「ありがとう」の代わりに「すみません」と
おっしゃる方もいらっしゃいますが
やはり感謝の言葉は「ありがとうわーい(嬉しい顔)」が最強だと思います。

”ありがとう”が持つ言霊を意識してほしいと思います。

1人じゃできないことでもみんなが集まればきっとできる。
不可能だと諦めていたことも不可能じゃなくなるかもしれない。
それが子供たちに伝わり、未来に伝わっていけば・・・

そのための「縁と繋がり」がどんどん増えていくといいな。
そんなことを考えながらワクワクしていた雨の日曜日でした。


人と人との繋がりに必要なのは

”思いやり”と”ほんの少しの勇気”クローバー

 

____僕の見ている世界をキミにも観せてあげたい



「最近、なんだか景色が違って見えるんだ
なんていうかこう、それが例えば木だとする。
太陽にただ照らされてキラキラ輝く感じではなくてね。
木が内側から発光しているように見える」


「光を受けて物質化しているんじゃない、これは多分・・・
自らエネルギーを発する波動体としての存在が
視覚化したものなのだろう
宇宙のエネルギーを地球上の生命体に
与えるための存在としての在りかた
太陽は惜しみなく降り注ぎ大地はすべてを抱き慈しむ 」


物質界での肉体を持つ生命体な僕らも
生息している地球も、精神界での魂も
全ては意思を持つ意識体であり
”愛”という宇宙そのものに繋がっている
波動体だということ
波動は色であり音であり光だということ


  存在させてもらっていることへ感謝


____意識を高く持つこと


崇高な精神を宿し宇宙の愛を正しく地球に伝えることで
(それは波動というエネルギー。心地よい音楽を奏でている)
地球の波動も呼応するように移り変わる



「組織の中の独り、ではなく
 個の集団を創っている自分を自覚するということ」


「怒り・憎しみ・欲望を癒し
あらゆる波動体・意識体に感謝し
ただただ、宇宙の意思を正確に
地球とそこに生きる生命体に伝えるのみ」


人間としての僕らは欲望からなる思考によって
それを地球に正しく伝えることが
出来なくなってしまっていた


宇宙の意識はあくまで宇宙の意思であって
僕らが創った言葉ではない
驕り昂ぶってはならない
        
     とても簡単で大事なこと

         ”ありがとう”が持つ言霊 


____そして自分を愛すること



「”世界が平和になりますように”
というような言葉はよく聞くけど
あまりにも漠然としすぎてる。
もちろん、そうなればいいなという気持ちはあるよ。
でもその前にまず身近な人の笑顔が見たい。
自分も笑顔になれるから」


愛という波動で包んであげる。

「自分のことが好き!」って
笑って言える子供達を育てるために・・・・・





三省堂 大辞林

こてい-かんねん ―くわん― 4 【固定観念】

心の中にこり固まっていて、他人の意見や周りの状況によって変化せず、行動を規定するような観念。固着観念。



weblioより

http://www.weblio.jp/content/%E5%9B%BA%E5%AE%9A%E8%A6%B3%E5%BF%B5


このページにこのようなことも書いてあります。

人は未知なことや、よく知らないことについて
実証的な根拠に乏しい「思い込み・先入観」を
持っていることが多い。
何らかの理由で思い込みに拘泥し、
どのような例を出されても説明を受けても、
思い込みを変えない場合には、
この思い込みは固定観念になっている。


いろんなところで気になる言い回し
というか言い切り形の 文章を
目にすることがあります。

人類にとっては未知なものや大昔の
定かでなくなってしまったことに関して
「○○は~~なんです。」と
自分の言葉で言い切っている。
とても不思議に思います。

「あなたそれ、実際に見たんですか?」と。

そういう風に書いてしまう思考については
良くわからないですが
「みんなが知らないことだから言い切っても大丈夫。
自分には 確信がある」
といったようなものなのでしょうか。


そのことが良いか悪いかは別にして
このような思考の人には特徴があるように思います。


・「自分が正しい」というような根拠のない自信を持っている。
・指摘や意見されると
「はいはい、聞いてあげますよ。私は出来た人間だから」
というように自分の非は認めようとせず
勘違いな”広い心”を持っている。
・頭で、損得のことを優先して考えてしまうため
自分に不利益なことと感じると相手を敵視する。

挙げていくとキリがないですが
このようなタイプの方々に
”気づき”が訪れることは少ないようです。



だって、人の話聞かないから。



また別の話になってしまうのでここでは、はしょりますが
これからの時代価値観や思考が大幅に変化していくらしいです。
固定観念を外し、頭と心を柔軟にしていかないと
対応できなくなるんじゃないかなぁ。



自分にとって損か得かだけで物事を見ていないか。
過去にあった出来事だからと言って警戒しすぎていないか。
目の前の変化を受け入れず
今までの価値観だけを頼りにしていいのか?


以前デパートのランドセル売り場でみた一家の会話

おじいちゃま「女の子なんだから赤とかピンクじゃなきゃダメだろう」

女の子「やだー水色かわいいもんっ」

おばあちゃま「なんでこんな男の子の色がいいの?」


女の子「男の子の色じゃないよっアリスのお洋服は水色だから

    女の子の色でもいいの!可愛いんだもんっ」


不思議の国のアリスのお洋服は水色にホワイトのエプロンドレス。
子供の素直な感覚に目からウロコの出来事でした。



過去日記のこのことも関連してると思いました。

http://ameblo.jp/lilya-vezel/entry-10557411051.html




聖職者といわれる人たちの思い込みが子供の純粋な心を破壊する!


柔らか頭じゃないとこれからの時代についていけないんだからねっ

ヽ(´∀`)9 ビシ!!




「今日は送り火。帰られるまでになにか
メッセージがないかと思いまして・・・」 


数十年前の終戦記念日。 

まだ幼なくして亡くなられたお身内の女の子。 
彼女がちゃんと成仏しているのかどうか
私たちの気持が伝わっているのかどうか・・・ 知りたい

というようなご依頼をいただき 

「お話してみないとわからないですが、お役に立てるなら」 
とお受けしました。 


依頼者様が話し始めたとたん、背後に先が細く
葉っぱのような形のものを背負った? 
観音様に重なってお年を召した女性が視えました。 
その顔はとても穏やかで微笑んでいらっしゃいます。 


その様子を告げると 

「その観音様!今居る部屋の、私の背後にあるものです!!」 と。


あの世の仕組みなどは未だにわからないのですが 
どうやら女の子は亡くなってからの、 
この世での修行を長くする必要があり、姿は成長を続けてきたようで 
今後はこの方のお家の守護をすることになった
というようなことを伝えられてきました。 

その魂は観音様に見守られ、次の場所に行く準備も整っているようです。 


「これからは、護りに参ります。」とおっしゃられていました。

すでに人間としての欲のようなものはなにもなかったのですが 
何か彼女が望むお供えものを・・と思う依頼者様のお気持を察してか 
彼女は当時の姿に戻り幼い可愛い声で 

「あんず・・・あんずが食べたい」と、つぶやきました。 


依頼者様にそのことも告げたのですが 
ピンと来ていないご様子。 


私も「あんず」のことはよくわからなかったので 
とりあえずはなにか甘い果物かお菓子でよいとは思いますが、 
と話を終えました。 


その後、依頼者様より連絡をいただいたのですがその内容に 
ほんわかと温かいものを感じました。 


「早速、母に先ほどのことを伝えましたら 「あんず」は 
何と実家の庭にあったのです! 
ただし小さい頃は食べるとお腹をこわす!食べたらダメ!
としていたのですが、幼い彼女は親に内緒で
口にしてたのかもね~と母と話しました。


その後、お供え物を買い物に行きましたら 
なんと「あんず」があったのです!
山形産のプックリ大きくって完熟のが。 
まさかでしたが間に合いました。 
本当に感謝の気持ちでいっぱいです!!」 


「ありがとう!」とうれしそうな笑顔で消えていった 
彼女のかわいらしい仕草に 
思わず微笑んだ暑い夏の一日でありました。 


☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ ゜゚*☆*゚ 

依頼者様から後日頂いたmail------

戦争を経験された方々それぞれに辛い思いがあるでしょうが 
当時を知る人達も少なくなっているのが現実です。 

亡くなった祖母(女の子のお母様)が毎年この日を迎えるたびに
思い出していた辛い気持ちは想像を超えたものがあったと思います。 
よりによって終戦の当日に。日本中が忘れられない日です。 
つくづく戦争の悲惨さ悲しさに想いを巡らした一日になりました。 

紅月さんからのメッセージを祖母が知れば 
少しは気持ち報われたのでは?と思いますが 
代わりに毎年「今、生きてれば○歳」と言っていた母(女の子のお姉様) 
に伝える事が出来、心が安らいだと二人して喜んでいます。

実家の庭は広くて何処にあんずの木があるのか私は知りませんでしたが
本当にあったのです。 
当時、庭の一部に爆弾が落ちて削れたそうですが
それでもそのあんずは枯れずに花を咲かせていたそうです。 


今回相談して本当に良かったです。

ありがとうございました

幼いころの私は、とてもイイ子で
親の言うことは絶対だと思ってたし
学校にあがってからは先生を
聖なるヒトのごとく思っていました。

小学校3年生のときのことです。
運動会のポンポンを作ってくる宿題がありました。
先生の見本はナイロンのひもを手で裂いただけのもので

ペラペラとしていて可愛く感じられず

ふと閃いてクシでといてみたら
ふさふさと可愛くなったので褒められると思い

自慢げにそれを学校に持っていくと

酷く叱られました。

「どうしてあなたは先生が言った通りにできないのっ」

ポンポンはごみ箱に投げ捨てられました。

みんなの前で。
自信作だったので悲しかったですね。

自分を否定されたみたいで。

「ヒトと違うことしたらだめなんだ・・・」
「言うとうりにしなきゃいけないんだ・・・」
この頃、幼児期から抱き始めていた

大人に対して違和感に確信を持つようになりました。


そして小学校5年生の写生の時間。テーマ「山や木々。」
見えたとおり思ったとおり、描いた。


またしても怒られた。

「なんで木がピンクや紫なんだ?木は緑とか黄色だろ?」

このひとには太陽のきらきらいろも
風のさらさらのいろも見えないのか。


さらに6年生。夏休みの自由研究の宿題で
邪馬台国についての論文を書いた。
所在についての予測や、
その考えに至るまでの資料などなど
地図なども手書き、本に載ってた写真を
コピーしたりして張り切って提出。

またもや怒られた笑
 

「おまえっ 親にやってもらっただろう!
それか変に難しい本ばっかり読んでるから
妄想癖がついたんだろうな!」


悲しいの通り越して笑いが出てしまいました。


結局このヒト達もお給料もらって
日々、面倒が起こらないことを願って働いているだけ・・・

そんなウラガワに気づいて かなり冷めましたね。

すべてにおいて平等、なによりも子供の心を大切にし、
悪から守ってくれる正義の味方。
ちっちゃい頃にもっていたそんなイメージは消えてなくなりました。

このままじゃ潰される

そう思った私は
事なかれ主義で思いやりを持てない
   右へ倣えなニンゲンへのレールから、脱却を決めたのです。


「この頃から自由に楽しく生きる方法を探し始めたんだ」

 

なぜ幼児期から執拗なほどイジメを受けていたのか

今ならわかるのですが、そのお話はまた今度。

 

 

 

 

生命の生まれくる深く暖かい暗闇が子宮と繋がっているように
宇宙(すべて)の色々な意思が肉体と繋がっている
そうして今僕らはこの青い星に存在する

_____________________

鏡の作業が出来る一番身近な相手が家族。
両親・パートナー・子供。

”子は親の鏡”と言います。

親の嫌な部分を自分もしっかり受け継いでいることに気づき
( ゚д゚)ハッ!としたことないですか。

それは、自分の子供にも引き継いだりするのですよね。

自分のことはわかりずらいですが
子供は親の鏡。


子供の言動を観察してみると
彼らはびっくりするほど親の言動をよく見ています。
口癖なんてそっくりそのまま言ってたりね。

微笑ましい・・・で済まない事もあります。

ソレを見て
「もうっ、嫌なとこばかり似て!」などと言うだけで
自分の悪癖を直そうとしない。
それではいくら子供を怒鳴りつけようが叱ろうが
子供は改めない。
だって、子供にとっての一番のお手本は親なのですから。

注意してきた人間のアラを少しでも見つけ、
「あなただって出来てないでしょ!」と勝ち誇った気分になる前に
ちょっと考えてみて?

「親がそうだったから私がこうなった。仕方が無い」と
言わずに、気づいたところから、気づいた人から
改善していけばいいのよ。
親が気づけなかったら自分が。
自分が気づけないことは子供から教わることもある。


感情に任せた言葉で子供を傷つけていませんか?
「まったくダメな子ね」
「ホントに言うことを聞かないわねっ」
そういうのって、子供をその通りに育てることになってます。
ダメな子ね、といわれ続けた子はダメになっちゃう。

それに、感情に任せた言動というのは
子供を戸惑わせます。

ニコニコしていたと思っていたらいきなり大声で怒鳴られる。
子供にしたら、親の感情についていくのが必死になってしまい
機嫌を損ねないように顔色を伺ったり
嘘をつくようになる。

こうなってくるとだんだん手がつけられなくなってきます。

そうやってどんどん深みにはまってしまう前に
自分を棚にあげず、振り返って考えてみてほしい。

人間、何事も完璧に成し遂げるのは難しいです。

だからこそ鏡の作業のつもりで
子供の言動をよく観察してみてください。
自分のことがよく見えてきます。

著作権のなんたらがあるので引用しませんが

ドロシー・ロー・ノルト(レイチャル・ハリス)著の
『子どもが育つ魔法の言葉』という
子育てに関するシリーズ本があります。
読んでて納得すること、気づくことが多いです。


 

 

 

 

 

 

 

「人の振り見て我が振り直せ」ということわざがあります

「他人の行いの善悪を見て自分の行いを反省し、改めよ。
  [ 大辞泉 ]から引用」

ということですがこのところ
コレを体感させられることが多いです。
こういう状況のときは「乗り越えるべき課題なんだな」と
覚悟を決めることにしてます。

思っているだけではなにも進みません。
宝くじも、買わなければ当たりません。

でも向き合うことが大きな問題であればあるほど
行動前に慎重になってしまいます。
考え込んでいるときに、独りで堂々巡りになってしまうこと
ありませんか?

一人だと比べるものがないからそこで諦めてしまったり、
もういいのではないかと自分を納得させたりしてしまって
成長できない。


失敗は怖いです。
でも人間である以上失敗はつきもの。
大事なのは失敗したときに、人のせいにして逃げるのと
周りと比べたり、第三者の意見を聞いて自分を見つめなおし、
どう対応して乗り越えるかを考えるのとでは
ぜんぜん違ってきますよね。


いつもは偉そうにセラピーで言葉を紡いでいても
お客様の行動を見てから、自分が動くこともあるのです。
でも、恥ずかしいことだとは思いません。


だって人間だもん。

 

こういうのも鏡の作業だと思います。

教え、教わって学んでいく。
生きている限りそれはずっと続くのだと思う。
学びに終わりは無い。

なので”段階”はあっても
人間の魂に優劣や上下はないと思います。

せっかく”出会い”をしても
お互い自分を隠し、当たり障りのないことを言いあい
表面的な付き合いしかしないと深く知り合うこともできないし
自分のこともわからなくなってしまう。

近年の世の中では、「人の振り見て我が振り直せ」を実践する
謙虚さを無くした方が多いと思います。

「他人が悪い」
「自分さえ良ければいい」
と、自分と向き合うことをしなくなっていたり

「思ったことを言い過ぎて敵を作りたくない」
「人と同じことをしていればよい」
と人と真剣にぶつかり、本気で交わることを止めてしまったり。


人と関わり、その人を鏡として 自分を見つめなおす

勇気がいること。
だけど、とても必要なこと。



*†*:;;;:*†*:;;;:*†*:;;;:*†*:;;;:*†*:;;;:*†*


とうりゃんせ とうりゃんせ
此処は 鬼と神の棲むところ

学び足りぬ者には
魔法のような力を

愛にみちみち溢れる者には
生きることの素晴らしさを

お見せしましょう

行きはよいよい  帰りは怖い