笑顔で元気に爽やかに挨拶されると、とても良い気持ちになりますね
このような挨拶をされて気分を害する方って
おそらく、ですがいらっしゃらないと思います
私はフィットネスに通っているのですが
人が多いこともあってか、会員さん同士の挨拶は
あまり目に付きませんでした
リアルでお会いした方はご存知でしょうが私は
顔ピアスを減らしたので以前よりは少しマシに?なった?ものの
肘から手首までのガッツリtattooや風貌がアレなので
常に「怖がらせないように」と気を配っていて
どこに行っても”笑顔で挨拶・ありがとう”運動(!)を実践しています。
世の中”見た目”で判断されるのはある程度仕方のないこと。
「やっぱり、あんな格好してる人間は・・・」と
思われるのがイヤで始めたことなのですが
今ではそのときにいただける笑顔の虜になって
すっかり習慣というか趣味というか
そんな風になっています
このフィットネスでも初めの頃は
「おはようございます」と元気よく言うと
「あ、おはようございます」と返してはくれるものの
目を合わせようとはしない方が多かったのですが
めげずにいつもニコニコと話しかけていたせいか
今では一緒に通っている母が
「あなた知り合い多いわねぇ」と驚くほど
私が覚えきれない方々からも声をかけていただけるようになり
お店の雰囲気自体、明るくなりました
ある方が”無縁社会をどうするか”というテーマの番組を御覧になって
「”おせっかいの復権”とか要はかつての近所付き合いが
盛んだった時の日本の様な社会にするのも
一つの手とか言われたけど逆に
そういうウザいのが嫌で今の社会ができた、なんて反論もあった。 」
と書いておられました。
現代社会をみていると昔のような”カミナリ親父の説教”とか
”ちょっとお醤油貸してもらえる?”などの近所づきあいは
「ウザい」と言う意見もわからなくはないですが
そういうのがなくなったから
子どもの育て方がわからないで虐待をしてしまう親とか
誰にも気づかれないまま孤独死というような
切ない事件が増えたということもあるのではないでしょうか?
”あいさつ”という絆で繋がっていると
いざと言う時でもお互いが声をかけやすいと思うのです。
街なかでも席を譲ったり、荷物を持ってあげたり
一期一会的な”おせっかい”は平気でやります
「二度と会うことがないであろう相手なのだから
断られても恥ではないし偽善と思われてもいいさ。
もし喜んでくれたらOk」
くらいの気持で。
断られたとしても皆さん必ず「ありがとうね」と
言ってくださいましたし無駄なことをしたとは思いません。
もしも、その方々が「今度から私も声かけてみよう」なんて
思ってくだされば素敵じゃないですか?
ちなみに「ありがとう」の代わりに「すみません」と
おっしゃる方もいらっしゃいますが
やはり感謝の言葉は「ありがとう」が最強だと思います。
”ありがとう”が持つ言霊を意識してほしいと思います。
1人じゃできないことでもみんなが集まればきっとできる。
不可能だと諦めていたことも不可能じゃなくなるかもしれない。
それが子供たちに伝わり、未来に伝わっていけば・・・
そのための「縁と繋がり」がどんどん増えていくといいな。
そんなことを考えながらワクワクしていた雨の日曜日でした。
人と人との繋がりに必要なのは
”思いやり”と”ほんの少しの勇気”