【実録】右へ倣えに反発し続けた | 癒し処・水晶宮

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幼いころの私は、とてもイイ子で
親の言うことは絶対だと思ってたし
学校にあがってからは先生を
聖なるヒトのごとく思っていました。

小学校3年生のときのことです。
運動会のポンポンを作ってくる宿題がありました。
先生の見本はナイロンのひもを手で裂いただけのもので

ペラペラとしていて可愛く感じられず

ふと閃いてクシでといてみたら
ふさふさと可愛くなったので褒められると思い

自慢げにそれを学校に持っていくと

酷く叱られました。

「どうしてあなたは先生が言った通りにできないのっ」

ポンポンはごみ箱に投げ捨てられました。

みんなの前で。
自信作だったので悲しかったですね。

自分を否定されたみたいで。

「ヒトと違うことしたらだめなんだ・・・」
「言うとうりにしなきゃいけないんだ・・・」
この頃、幼児期から抱き始めていた

大人に対して違和感に確信を持つようになりました。


そして小学校5年生の写生の時間。テーマ「山や木々。」
見えたとおり思ったとおり、描いた。


またしても怒られた。

「なんで木がピンクや紫なんだ?木は緑とか黄色だろ?」

このひとには太陽のきらきらいろも
風のさらさらのいろも見えないのか。


さらに6年生。夏休みの自由研究の宿題で
邪馬台国についての論文を書いた。
所在についての予測や、
その考えに至るまでの資料などなど
地図なども手書き、本に載ってた写真を
コピーしたりして張り切って提出。

またもや怒られた笑
 

「おまえっ 親にやってもらっただろう!
それか変に難しい本ばっかり読んでるから
妄想癖がついたんだろうな!」


悲しいの通り越して笑いが出てしまいました。


結局このヒト達もお給料もらって
日々、面倒が起こらないことを願って働いているだけ・・・

そんなウラガワに気づいて かなり冷めましたね。

すべてにおいて平等、なによりも子供の心を大切にし、
悪から守ってくれる正義の味方。
ちっちゃい頃にもっていたそんなイメージは消えてなくなりました。

このままじゃ潰される

そう思った私は
事なかれ主義で思いやりを持てない
   右へ倣えなニンゲンへのレールから、脱却を決めたのです。


「この頃から自由に楽しく生きる方法を探し始めたんだ」

 

なぜ幼児期から執拗なほどイジメを受けていたのか

今ならわかるのですが、そのお話はまた今度。