この部屋で瞑想会します。
この妖精さん達も手伝ってくれます
この部屋で妖精さん達が心地良いって遊んでいるらしいです。
アカシックに繋がる瞑想とか、前世療法など、セッションする部屋です。
フカフカのソファーに座って、深く意識が落ちる様に、アカシックに繋がる宇宙図書館まで旅立ちます。
この瞑想で殆どの人がちゃんとメッセージを頂いて戻ります。
どんなに慣れてない人でも、必ず何か感じ取っています。
この時頂いたメッセージ通りに行動したら難を免れたり、深層心理に気付いたりしています。
皆さんピュアな魂で、スピリチュアルな世界を深く認識していなくても、ハイアーセルフとの一体感とかの認識が浅くても、ちゃんと自然体で繋がっているのです。
少しづつ、全ての出来事は地球での体験の一コマであり、全てはエネルギーが現実化しているだけだと理解を深めています。
支配的な人への恐れはエネルギーの荒さを感じ取っているだけだから、その荒れたエネルギーをピンクのオーラで包んでみると良いよとアドバイスした事を実行されたら、威圧され無くなった体験をされた方もいます。
不安の元をハイアーセルフに取って貰うイメージで、自分の中から負のエネルギーを手を繋いだハイアーセルフに送ったら、本当にそのエネルギー体が流れ出るのを感じた方もいます。
誘導している私は、いつもその純粋さに感動してます。
やればやる程、観えない世界の認識が少しづつ深まって行く様子に、嬉しくなります。
これだけで、目の前の問題をクリアーして行けている人達が増えていますから。
人に浄化して貰わないと取れない深いトラウマも有りますが、本来はご自分の中にいる神との対話を深める方が覚醒が成されて行くので、自分で気付ける道を歩む方が依存が無くなって良いかなと思います。
いつ迄も、この問題をどうしたら良いでしょうとか、何故こんなになるのか教えて下さいと頼み続ける人は、次々とピンとくる人を探し続ける事を繰り返しています。
短い時間のセッションでは、納得のいく言葉を貰えなかったりするから。
最初は仕方無いけれど、それと同時に自分の意識の覚醒を深くする方向にも向かった方が良いです。
makotoさんも言われていましたが、自分のハイアーセルフに尋ねてみると良いのですとの事です。
でも、本当に自分のハイアーセルフと対話できているのか、違う何かと繋がって思い込みで対話していやしないかと自分を信頼できないのです。
いつか準備が出来て時が満ちた魂は、もう依存から抜け出して、自分の足でちゃんと歩こうとするのです。
いつまでも、補助輪をつけて貰ったままで無く、ヨロヨロしても、フラフラしても、馴れたらちゃんと補助輪無しで自転車もこげる様になるから。
makotoさんの、チャネリング技術指導を同じ感覚を持つ友達と受けてみるのも、良いかも知れません。
そして、仲間と少しづつ練習して、検索し合って、求めたら道は開きます。
もうすぐ、観えない世界の認識を恐れる人と、恐れずに一つの学びの扉を開ける勇気のある人との差が大きく顕れて来ます。
学ぶだけで、別に死ぬ訳でも無いのに、取り殺される訳でも無いのに、やたらと恐れている人もいます。
過去世の人格さんが何かを恐れるかの様に、拒絶する人もいます。
それも、いずれ遅かれ早かれ、扉を開く時期が来ますけど。
全てはエネルギー、恐れも、怒りも、憂いも、恨みも、哀しみも、嬉しさも、喜びも、感動も。
何かの記憶が、反応しているだけ。
裏腹や偽善は隠し様が無くなります。
昼の世界、太陽の時代になったから。
感謝していますと口先だけで言ってても、腹の中は不安や妬みが隠されてたら、それが言動にポロリと出ます。
語るに落ちるのです。
裏腹では、通らない世界になってきます。
それは、自分の魂が気付いています。
本当は、憎いんだ。
本当は、羨ましいんだ。
本当は、淋しいんだ。
本当は、愛されたいのだ。
本当は、本当の心は何と叫んでるの。
それを誤魔化しているから、又振り出しに戻るんだよ。
いつか、飽和状態になった時、本当の自分の本音が漏れ出て来ます。
その時はおめでとう。
やっと、本当の自分を認めてあげられて。
それに気付いて、外に泥を吐き出した時、やっと心の中は綺麗に掃除されてるよ。
私も、忍耐強くて、我慢強くて、辛抱強くて、遠回りしたけど、真剣に叫んでみて、スッキリしました。
ふざけるな~、舐めるな~、って露わな本音を書き表す事が出来たら、終わりました。
こんな偽善な私が正体を現して、本当に自分の分を知りました。
無理をしても、やり直しが必ずやって来る。
ええ格好しいは、後で必ず破綻する。
どんな綺麗事書いてても、本物なら大丈夫だけど、色々乗り越えて来た者には解るよ。
口先だけの、感謝だなって。
裏腹隠してるな~って、解る。
本当は、妬みで一杯でしょうとか、
本当は、良い人と思われたい行為の奥には、人を支配している事に気付かず、人に尽くし続けて、否定される事が怖いんでしょうとか。
自分が通って来た道だから、同じ道を歩いている人が観える。
そこをクリアーした人の言葉は、何処か違うのです。
闇を出し切った後の言霊は光っているエネルギー体で解ります。
ありがたいですとか、感謝していますと言っても、何と無くエネルギーが浅くて、口先だけで裏腹に沢山隠したまま、曝け出す勇気がまだ無いんだなと解ります。
それって、光のエネルギーの差かも知れません。
語った時、あぁ、この人は本当に感動しているんだと人を感化させます。
感化とは、エネルギーの伝達です。
重たいエネルギーと、軽やかなエネルギーの差がハッキリと解ります。
映像も観えないし、声も聞こえないけど…。
エネルギーの高い人や物には、感動が生ずるのです。
多くを語らずして、感化を受けるのです。
そんな、体験をしている人は沢山いると思います。
真理と愛と光に魂は鋭く反応します。
汚い心も、闇の感覚も越えたから解る感覚。
綺麗事だけしか見ていなければ、闇を見抜けません。
両方必要なレッスンです。
沢山痛い目に合ったし、恨んだし、憎しみを覚えたし、嫌いになったし、色んな感情を体験しました。
だから、傷付きやすかったし、囚われたし、恐れたし、泣いたし、喚いたりして来ました。
だから、この世の全ては体験しただけ。
王族の時があれば、乞食の時があり、学者の時があれば、浅はかな智慧の無い時があり、人助けをした時代があれば、人殺しをした時代がある。
良い行いと、悪い行いの後に感じる喜びと苦しい想いを体験しただけです。
だから、どんな身の上話しでも吐露する事が恥ずかしいと感じないのです。
一つのえぐい体験の一コマを、同じ苦しみの中で悩む人の為のたたき台としてシェアしているだけだから。
国境を越えて、人種を越えて、血を越えて、人の愛と痛みを知る為の経験を、したかっただけだから。
だから、腹を痛めない血の繋がらない子供の問題を題材として、まずは小さな世界で学んだだけだから。
子供が今だに憎いんじゃない、甘やかした姑が憎いんじゃない。
そのテーマから逃げ出さずに取り組む私のエネルギーの減殺にも気付かずに、傍観者でいるパートナーに気付かせたかっただけ。
実の親が逃げ出してどうするよと。
自分が決めてきたテーマに向き合わず、母親に任せっきりで、妻に尻拭いばかりさせてる事の認識薄く、覚めた目で示唆ばかりするんじゃないと、逃げる魂に喝をいれただけです。
なんせ、傷付いて直ぐ泣くくせに、強靭な魂ですから。
いつも、自分で自分を褒めちぎっています。
パパに聞こえよがしに…。
「あ~、何て私は素晴らしいんだろう。よく、逃げ出さずに、色々な問題を解決して、乗り越えて来たよな~」って。
「こんな、後妻は中々居ないね~」って。
パパは、「うん…そうだね…」と、多くを語りません。
ポロリと反感買う言葉がこぼれ落ちた時の、必殺ボコボコ返しが怖いから。
ふぁ~、又、長くなり過ぎた…。
反省だ…。
そうだ、瞑想だ…。
今日は、新月だ。