こんにちは
少しづつ暖かくなり外を出れば新芽が、木々には鮮やかな緑色の葉が茂り始めて来ましたね。
ここ数日とても雨風が強かったので一気に桜が散ってしまうのでは?と、思っていたのですが何とか咲き続けていますね。有難いことです。感謝〜🙏
皆さま如何お過ごしでしょうか?
今週末は何だか夏日となる予報なので、どうなることやら・・・笑笑
早速ですが
前々回あゝ無情(←クリックすると読めます。)
前回悲しい(←クリックすると読めます。)
と、私にしては超大作?!✨✨✨の記事をアップさせて頂いたので精も根も尽き果てた状態です。
そのためブログを当分の間お休みしようと思っていたのですが、少しお堅い文章もあったために気を悪くされた方もおられるのかも?知れないと思い、どう言う経緯でお堅い文章を書いたのかを念のためお伝えしたいと思いました。
そのお堅い文章はこちらです。
私のブログで申し上げている内省は、日常生活においてのことなので、事件や事故・災害などまた日常生活であったとしても深く心に悲しみや苦しみ・お悩みなどがある方が取り組む内容ではございませんので、ご了承下さいませ。
どなたさまも国家資格のある専門家・病院や公的な機関などにご相談下さいませ。
そしてブログにアップさせて頂いている総べてのお話しや内容は、私の経験からのもの・思いや考えなどを書かせて頂いています。
私の個人的な見解です。
人さまには様々な個性があるように、例え同じ環境で育ったとしても感じ方や捉え方も様々です。決して同じではありません。
もし書かれている内容に興味があり、実際に行ったとしても(例えば内省をご自身でしたいと思いたち始められたとしても)、いかなる責任も取ることができません。
予めご了承くださいませ。
何事も自己責任でお願い致します。
何故このような事を書いているのかと申しますと、内省をして行くにつれて自分では全く気付いていなかった・思いもしなかった奥深くに眠っていた記憶が蘇ることがあったからです。
これは内省を始めた頃には私自身気が付きませんでした。
初めて読まれる方もおられると思うので念のため説明をしますと・・・
内省は、普段日常生活などにおいて家族・友人・知人・会社やボランティアなどのサークル活動などに置いて、何気ない会話から「あれ?なんかモヤっとする」ことなどがあるかと思います。
話が終われば何事も無く、その場限りの感情であったのならば内省をする必要はありません。
ですが、話が終わったのにも関わらず、その後もずーーーーーーーーっと引っかかるのであれば、それは内省をする合図です。
その引っかかった感情(モヤもや感、ムカつくなどの怒り・悲しみなど)や言葉を丁寧に拾い
なぜそのような感情に引っかかるのか?
なぜその様に思ったのか・至ったのか?
をひたすら自分自身に問うて・聞いて行きます。
そして問うて・聞いて行き続けると、ある時「これだーーー!!」というヒット感(全身が震えむせび泣く)が出て来て
と、同時に、
何故ある感情に引っかかった(モヤもや感、ムカつくなどの怒り・悲しみなど)言葉の
原因・キッカケとなった出来事を思い出し「なるほど〜」と納得する事が出来たのです。
※私個人の体験です。
原因・キッカケとなる出来事も分かったので再度味わい尽くます。
この味わい尽くすとは、
「そっかぁ〜そっかぁ〜そう思ってたんだね。」
「そうだよね。そりゃしんどいよね。」
「辛かったよね。」
「悲しいかったよね。」
「怖かったよね。」
など、自分の両手で肩を抱きしめる・ハグをする感じで、溢れて出た感情と一緒に自分を優しく包んで、ただただ本音を他の誰でもない自分の心に傾けて寄り添い聴いて(自分の小さい頃(3歳・4歳児)から話し掛けられている感じで慈(愛)しみを持って聴いて)行き、一緒にその頃の感情を味わいます。
脳はその事を思い出させない様に、自分を守るためにしていただけなんです。
気付けた事で玉ねぎの皮が一枚剥がれた・めくれただけで、また日々を過ごして行くとある日「あれ?」と自分の感情に気付き、その感情が引きずる・引っかかっているならば内省をして行きます。※内省に終わりないと思っています。
その時にまた玉ねぎの皮が一枚剥がれ・めくれ、この「感情」の核心(原因)に近付いて行きます。
そうして内省を進めて行くと忘れていたはずの・覚えていなかったはずの事がフラッシュバックとして何度か現れました。
あれ?!これってやばいやつ??!と、これは臨床心理士さんのところへ行って相談した方が良いのかな?と、思えるものもありました。
私の場合は、身近に大学・大学院と心理を専門にお勉強した方がおられたのでその方に相談しました。
なので、何気ない事でも内省を進めると
ある日トラウマ級のものが見つかる場合があるかもしれないため注意喚起をさせて頂いています。
このことに私は正直に驚きました。
本当に思ってもいない事が蘇ったので・・・。
それでも私は内省をして良かったと思っています。
何故かというと、前にも書いた事がありましたが
自分に価値がない
自分を責める・諦める
ことの
それぞれの原因に気付く事が出来たからです。
もぉ〜「これかーーーー!!!」ってな感じです。
私は、それはある人・人達・環境・社会のせいかも知れませんが、そこを責めるつもりも、今更謝って欲しいとも思いませんでした。
何故ならそのときの私は子供だったので、善悪の区別も又相手を慮って思いやる気持ちも無い自分が悪かったこともあるからです。
例えそれが10歳前後の事だったとしてもです。
私はそこまで追い込まれ無かっただけで「ある人・人達・環境・社会のせいにする」にはしていません。※聞こえがいいように思うかも知れないですね。
ただここはとても大事なことなのですが
「ある人・人達・環境・社会のせいにする」
と言うと、
「何でもかんでもある人・人達・環境・社会のせいにするな!!」
と、仰る方もおられるかも知れませんが、
「ある人・人達・環境・社会のせいにする」事でしか心の拠り所が・支えが無くて生きて行けない方もおられるのです。
そして本当にこの世界中には「ある人・人達・環境・社会のせい」の方々もおられるのも事実です。
なので
自分と
若しくは
何を基準にして言っているのか正体不明な一般論・正論・世論・常識と呼ばれるもの
などと比較して、分かった風なていで仰らないで頂ければと強く思います。
そう仰っておられる方々のお心にはご自分ではお気付きにならないだけで、もしかしたらお辛い経験をされて来られたんだと・そう思うしか生きて来られなかった人生があったんだと思ってしまい何も言えなくなってしまう自分もいます。
勿論、程度の差はあり、何でもかんでも人のせいにするのは良くない事だとは思います。
ですが、先ずはご自分をそして他人さまのお気持ちを慮って寄り添う事が大事なんじゃないのかな?と、内省を続ける事で分かり始めたのです。
私は、内省のお陰で
誰のせいでも無く
ただただ自分を
愛し・許し・認めて・
自分自身を縛り付けた事から解放する
ことが出来つつあるからです。
内省をすると色々なことが分かって来ます。
トラウマ級の物が出て来ても内省をして本当に良かったと私は思っています。
物事を多角的により視野を広げて階段を数段上がったところから又様々な立場に立って見ることが出来たからです。
またパニックを起こさず冷静に見つめることも出来つつあります。
それと無いとは思いますが念のため
自分では内省をしないで、他人さまに内省もどきをしないで頂きたいのです。
もしそのような方がおられてセッションをしていたら本当にこれはとっても危険なことですので辞めて下さい。
理由は上記の通りです。
以上のことがあり注意喚起している文言んとなった事をご理解頂ければ有り難く思います。
末筆ではございますが
私は聖書を読んだことがありませんが、それでもこの有名な
ナザレ人イエスさまの
人を裁くな。
あなたがたも裁かれないようにするためである。(マタイによる福音書)
の言葉が痛いくらい身に染みています。
さて今回も内省についてお話をさせて頂きましたが、瞑想もとても大事だと痛感しています。
いつもながら
長文をお読み頂き感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございます。m(_ _)m
あなたさまのお心に温かな光が届くのはどんなときですか?
そこに彩りある人生のヒントが隠されているかも知れません。
ほんの少しでもお心にほっこりほのかに暖かく光が見えれば、また、どうぞ必要なお方に、お役に立てさせて頂けるのであれば嬉しく思います。
いつもありがとうございます。m(_ _)m