自分のURLブクマから削除しちゃってw タイトルで検索したら、同じようなタイトルが死ぬほど出てきたので そっこー変えてみたww

もともとURLに含まれてはいたんだけど、光あれば影ができるのは当然のことで、表裏の現象に過ぎないのに、ダークサイドってなにやら悪いものとされて直視されてない、忌避されてるっていうのに小さい頃からずっと違和感覚えてたんだよね…もうめんどくさいのでwそのままタイトルにしてみたけど。これもまあ類似は多そうだね。いいやもうw そもそもが自己満ブログだからww

あかるいほうへ、って金子みすゞは詠ったけど、それは彼女がダークサイドから光を見ていたということにほかならないと思う。うつしくやさしくかなしい言葉が紡がれた場所を、なぜこうも過小評価するのか。それはみんなが不安すぎるからなんじゃないかな。いくらポジ信者に哀れまれようともw 私はもう少しここにとどまって、彼女が見た光をさがしてみたい気もするんだ
ここでこんだけ毒吐いてる私が言うのもナニだけど、「○○が嫌い」とかいうタイトルの板が林立し、そこに群がる見知らぬもの同士が、気に入らない何ものかを貶め合う姿には、そうとう違和感を覚えるよなぁ。まあ有り体に言えばドン引きってやつ。仲間を得て増長していく姿こそが私にはイタいものに映る。

何かを憎悪嫌悪したりするのって極めて個人的なものだし。私には連れション連れ便の変態趣味はないので。まあ往来で吐いてることに変わりないけどw 他人の吐瀉物を見たければ勝手に見に来ればいいさ。ただ吐くときは独りで吐きますよ、と。ツレなんぞイラネ。

私はスピリチュアル系や、ポジティブシンキング系の価値観を押し付けられるのは我慢ならない人間だが、他人が自分のなかで何を信条とし、何を好み、それに基づいて行動しようが、パワハラモラハラなど実害を被ったり絡まれたり同調を強要されたりしない限り、はっきり言ってどーでもいいと思っている。

たとえば連れ合いとか、一つ屋根の下に暮らしているもっとも身近な人物くらいは、自分と近い感性を持っていてもらったほうが平穏に違いないが。あとは親兄弟や友達でも関係ないし。全然違ってても、まーいろんな人がいるからね。で済ませる(実生活ではねw)

もちろんはなから理解はできないしw、カチンときたりムカついたりうんざりすることは限りなくしょっちゅうあるけど、イコールぜってーつき合えねー、ってことにはならない。

だいたい 人と人がわかりあえるとか、所詮幻想だと思っているクチだしねw

別に違ってるということ自体、よくも悪くもないんだから咎めるものでもないじゃん。つべこべ言われたくねーから、こっちもつべこべ言わない(実生活ではねw)っていう暗黙の了解。これが最近成立しにくなっているのは、やっぱネットのせいじゃないかと疑ってる。

ネットで仲間探しができるようになる前って、自分と違う考えや感覚の持ち主に対して、もう少し寛容だった気がするんだよね。内心ムカつくのは同じかも知れないけど、まあ少なくとも無視できるレベルの嫌悪感で流せてた気がする。

文句垂れ流す場所ができて、すっきりすればいい…いいのか? まあ是非はともかくwゴミ溜めも使い方次第ってことw 同種の嫌悪が仲間を得てキャッチボールの末、雪だるま式に肥大していく様の不気味さよ。果てには本来の些細な事柄に対して不相応過ぎる,仮想空間に収まりきれない大きさと凶悪さになる。んなところに出入りしてたら、誰彼構わずぶっ殺したくなる、って輩が続出してもまったく不思議はないね。

わるいけどそんなことに加担する気もないのでね。ここを公衆便所化したくもないから。今年も引き続き、コメもTBも読者申請も全部拒否でいきますんで。あしからず
すべては自分の鏡であるとか、そういうタイトルの本が流行ったこともあったな。私も読んだ。なるほどと思ったこともあった。すべてのことに原因と結果がある。意味がある。因果応報、とか。ついでにいうと楽観が善で悲観が悪とか。そういう類い。…でも今、特に震災後の今は はっきりいって、ムカついてしょうがないんだよね。

例えば、いじめられっ子に いじめられるほうも悪いとか言うのはいつも、いじめられたことのないヤツの台詞だ。それと同じ匂いがする。

時間が一方通行である以上、物理的には原因ー>結果という流れにあるとしても、だ。すべてに意味が、自分に原因が、と一把ひとからげに言い切る、その無神経さにいらだつ。

じゃあこの震災はどうだ。おとなしく歩道を歩いていて、突っ込んできた車にはねられる子らはどうだ。弾圧や飢餓や貧困に喘ぐ国に生まれくる赤子はその運命を自ら選んでくるというのか(じゃあ助けてやらなくてもいいよね?ってことになるだろうが)。

被災した人たち、恐ろしい目ひどい目かなしい目にあった人たちを前にして あなたがたの日頃の行いや選択の結果ですよと、涼しい顔で言えるのか。前世のカルマだとか?教訓とか課題とか学びとか?ナニソレおいしいの慰めになるの?

ファァァァァァック オフ! である。

地球温暖化や原発の事故は、人為的な因果もあるといえるだろう。 

でも地震に 引き込まれたプレートのひずみがたまる>戻ろうとして反発 という物理的な因果はあっても、それ以上の意味なんかねーだろうよw 地殻変動はこの星のデフォルト仕様だ。

純粋に不条理は不条理としてただ存在する。と私は思う。いつでもどこでも誰でも、無作為に突然に巻き込まれる可能性のある一方的な受難である。そういってしまっては何か不都合があるのか?なにか教訓とか意味やらを引き出さないと気が済まないのか?ワケの分からないもの、受け入れ難いものにオチどころを与えて安心したいだけだろう?

むしろ 他人が被った不条理に対して 軽はずみに意味を付与しようとする、そうすることで不要に傷を深くする人がいる、と想像もできないような人間を 私は信用できない。

意味は常に事後決定的で、それは時間やその後の行動や現象の積み重ね要因によって左右される。つまりはカオスだ。てめーらが決めることでも 頭の中からひねり出すものでもねーんだよ。自分が信じるのは勝手だが、ご親切にご注進いただかなくてけっこう。サンキュー・バット・ノーサンキューだ。

ついでに書いた楽観が善で悲観が悪とかいう決めつけも同様にやれやれと思う。同時に楽観が軽率でアホで無神経で、悲観が思慮深くてアーティスティックで賢いふるまいと(ちょっと思わなくもないけど)頑なに決めつけてもいない。まあここはこういう場だからww敢えて極端に偏った部分を吐露してバランスをとろうとしてはいるが。現実日頃の自分自身はできるだけニュートラルでいようとつとめている。

とにかく、何につけ、自分が信じるのは勝手だが。善意にせよ、他人に精神論とか世界観的なことがらを進言するのは、極度の注意とデリカシーを要することで、それができないなら自分の胸にとどめておいたほうがいい。以前ジャーナリストの江川紹子さんが「自分の想像力が及ばないなら、せめて黙っているだけのデリカシーを持ちなさい」とツイートしていらしたが、こころから拍手喝采を送りたい。
だいたいそんな感じ。孤独は好きだけど、ときどきうんざりするよね。物事ってときどき俯瞰する必要があるから 信頼できる他者の目がどうしても必要になる …なかなかいないんだけどねコレがwww
昨今のポジポジ信仰の隆盛ぶりも大いに関係してるはず、と私はひそかに思っている。ネガティブワードは口に出すのもNG的な、口に出したら「負け」みたいな。何なのこの空気。まったく息もできないわ



日本の年間自殺者数が3万人を超えたのは98年、以来13年連続。40万人に迫ろうとしている。ナチスによるユダヤ人犠牲者が約580万人といわれるのは破格として、原爆投下後5年間で亡くなった犠牲者の数を(広島長崎合わせ約34万人として)越えた。そしてまだ続いている。21世紀になり、世界中合わせても戦争内戦での直接的死者は年間2万人強とされる。それでも多い、飢餓や貧困を合わせればもっと多いはずだが、それにしても。一国で。一年で。3万人超という数がどれほどのものか、感覚としてとらえられよう。1日あたり80人以上とか。

...アタシは絆とかつながりとか、うさんくせーし好きになれない。リア充になりきれなかったひとたちの自己実現ツールっぽくて。それでもね。どうなのよ、と思う数字ではある。この腐り切った世界はテメエらにくれてやるぜ!アバヨ!wと いつ自分がそこに+1してもおかしくないという感覚は持ってるから、上から目線でなんとかして救ってあげなきゃ!とも思わないけど。ただ、同じ戦線で名も知らぬ同胞が次々撃たれてゆく気分かな。なんというか、うーん。くやしいっていうのと、ヤベェっていうのと。
ある習い事やってて わりと和気あいあいとした雰囲気で、みんな仲いいんだなーと思ってた矢先。お金払った払わないでひと悶着発生(汗)

教室(というか先生の家)を出て、生徒だけになった途端、でるわでるわの批判に私がびっくり。え、だってついさっきまで、仲よしこよしのお友達♪みたいな雰囲気だったんですけど? アタシいちおう女子だけど、女子のこういうところ、めんどくさくて苦手なんだよねー昔っから

まぁ何でもすぐに顔に出ちゃって場の空気を凍り付かせる(←私)ってのも、大人としていかがなものかと思うけど。別れた途端陰でいろいろ言うってのも、同程度に褒められたもんじゃないと思う

落ち着いてよくよく考えてみると、先生の言い分のほうが合ってるような気がするんだけど。「私はちゃんと手帳に付けている、この記録に間違いはない。(だから請求金額がおかしい)」とのっけから自信たっぷりに言張る人がいて。その他の人にはなんの記録(論拠)もなく、うっすらとした記憶のみ、だからその後からはもう誰も何も言えなくなっちゃって。反撃も援護射撃もなかったことで、引っ込みがつかなくなったのかなー…とにかく大層なご立腹。いちおうひょっとしてひょっとするとこっちが間違ってる可能性もあるかもしれないけどどうかしら?的なことを、それとなーく言ってみたのだが。金額の正誤から→そもそもオフィシャルな控えや領収証がないなんて信じられない、ってところに批判の矛先を移されてしまったw そーゆーすり替えもわけわかんなくて、女子の会話ってヤダ

まー お金のことに限って言えば、ちゃんとするほうが正しい!的な 錦の御旗が与えられている雰囲気が一般的にあるので、お金にすんごく細かい人にたいして、あんまり批判めいたことも言いづらいんだけどね 

私はもともとのレッスン料が他に比べてかなり安いので、教材費が高いとか気にしたことは全くなかった。テスト問題やカリキュラムを考える手間ひま考えたら、それでもトータルでは安くていいよなーというくらいにのほほんと考えていた。お金に関しては確かにどんぶり勘定といわれてもしかたないが、受けるサービスと釣り合いが取れていると思えれば、細かい内訳は気にしないタイプだもんで。他のみんながそんなにも非難囂々な思いを抱えつつ、いままでの和気あいあいな雰囲気が演出されていた?ということに愕然とした

。。。あることを すごく気にする人と、まったく気にしない人がいて(もちろんその間には無段階にグレーゾーンな人々もいて)、両極に近いところにいる者同士は、お互いに到底わかりあえないんだけど、かといって感情論でこき下ろすという行為は、みていてなんだか不毛だなぁ。。。と 少し離れたところで勝手に疲労感に包まれてみたり

まあ気持ち的に受け付けない状態、というのもわからなくはないんだけど。そこは大人同士

共有している場に設定されているルールに明らかに違反する場合でも、そこはルール違反ですよーと、その人のその行為「doing」に限り苦言を呈して、あらためてもらえればそれでいいわけで。
(意図的にやってたら それはオイオイ、となるけど そうじゃなければの話)

あの人ダイジョウブ?おかしいんじゃない?仕事できないんじゃ?ww…などなど、その人の存在「being」まで否定するのは、だいぶやりすぎというか。(しかも陰で言い合ってたりするのは、傍目にも見苦しいもの)

まぁせめて。あなたが許せない!と感じるのはあなたの尺度であって。さほどそうも感じていないかもしれない周りに同調を迫るのはやめましょう。(そーゆーところで女子怖い、ホントに。)

私は同調も否定もできなかった。…それは断定するには検証材料が足りないから、できない。と思ったのだ。でもそれもすごくご不満だったご様子(汗)

いつもこうなのだ。こうして私は女子の中では次第に浮いた存在になっていく。べつにいいけど。めんどくさいからwww

まあそういうひともいるよねーwと思って認め合って暮らせないものかね?…多分に自戒も込めてだけどwwwていうかいろんな人がいるからこそルールってやつができるわけで、いわば当たり前の前提で自然なこと。それにいちいち腹立てるなんて、エネルギー余っててある意味うらやましいなww とさえ感じるわ。正義の味方おつ!
このまえ「リア充」ってなに?とオットに聞かれたので リアルライフが充実している人だよ、と教えてやった。そして今日、いろんな人のブログを見ていてると、どうも「リア充」って嫌われているらしいけど、どうして?と聞かれた。リアルライフが充実してるって、いいことなんじゃないの?

そりゃあまあそうだ。多分に嫉妬も含まれているだろうけど、と前置きして、私はこう答えた。

少なくとも、ネット上に現れる「リア充」は演出臭く、嘘臭く、自分大好き臭、あるいは自己喧伝臭がプンプンする、よってうざい。と答えておいた。間違ってる?まあ間違ってても知ったこっちゃないけどw ようするに私見。

自分大好きでも、それはそれで構わない。自分がどんなに頑張っているかとか、自分が次々とビッグな人に会ったとか、出会いに感謝とかwww 嬉しかったらブログでもツイートでも何でもすればいい。そりゃ得手勝手。でも記事やツイートがそれだけで埋まってたら、セルフブランディングとか、どっかの成功術セミナーで教わってきたんじゃねーの?みたいなニオイがする。

えてしてこういうニオイを発する人間は、一見キャパ大きそうに見せかけておいて、自分と異なるベクトルの人間をいっさい許容しない。見下して無視しようとする。間違ったポジティブ信仰の信奉者だ。

無視するだけならべつに実害ないのでw 暑苦しいやっちゃなーと思いながらこちらも看過しておくが、うっとーしいことに意外といつまでも根に持ってチクチクと絡んでくるwww こういうことを言う人がいますが、かわいそうなひとですよね、ね、ね?と。自分の周りにはそういう、人のやる気を↓↓↓ような攻撃的な人はいません、あーしあわせ♪みたいな。(攻撃的って…ただ丁寧に質問しただけですけど? もちろん回答はなし。どっちが攻撃的やねんw いちいち書かんでも、もう近寄らないよw うっとうしいからww えんがちょー♪www)

発言者がどんな意図であれ、受け取るほうが傷ついたらそれはイジメです。あーかわいそうな私。みたいなこという割に、自分は小出しにイヤミ垂れ流すしねーw 罠だとわかってるから反応しないけどww どこがポジティブなんだwww ネタかよ?超笑えるんだけど

滑稽というか哀れ、それら自体が自分の狭量さ&コンプレックスを露呈してしまっているのに。そのポジティブキャラは実はハリボテであるということを自ら明かしてしまっている。異なるスタンスをただなるほど、と受け容れることは出来ないくせに、自分のことだけは全力で100%受け入れてもらいたがっている、というところが必死過ぎて、手前勝手で、要するにうざいんだよねー

本物は、寡黙なんですよ。たぶん。どの分野にあってもね。これも私見だけど、実はかなり確信してるw 「こんなにも充実してる自分」を喧伝し出した時点で、眉に唾だよね
週休2日が定着したいまは休みじゃない学校もあるそうだが、昔は都内の公立学校はすべて休校だった。

そして 毎年学校で組織的に販売された「カッパのバッジ」。予約販売で、お金を持ってきて申し込みをした子は、後日HRの時間に一人一人名前を呼ばれて、先生から受け取ることになる。セットで買える裕福な家の子を、軽く憎んだものだ。だってほとんど使えもしないバッジと知って、親がお金を出してくれるなんて、私には信じられなかった。

都心から電車で40分以上、さらに駅から30分ほどもバスに揺られてようやくたどり着くような町に育って、都立の博物館だの美術館だのが無料とか言われても、本気でなんのことかわからなかった。唯一隣の市にあった民間の遊園地で割引になるというのだけ、辛うじて理解できて(ふーん)と思った。バッジの値段さえ高いといって却下されるのだから、どのみち連れて行ってもらえるはずもないのだ。ことさら、大人たちにとっては平日にすぎないのだし。

バッジは、単純に、コレクションとして小学生たちに人気があったのだ。兄弟間でも、兄たちはバラ売りだけどちゃっかり買ってもらっていたことがある。私も欲しいと言ったら、お兄ちゃんが持ってるからいいでしょ、おまえはいいの。というわけのわからない理由で却下された。やっぱり、とは思ったけど。女親というのは男の子がかわいいのだ。よその家の子の同級生よりも、身内のほうがもっと憎らしく思えた。まあ私にしても、当時みんなが持ってるから欲しかった、という しょーもない動機は否めないから、文句は言えまい。

ただ、私だったら、いまも大切に持っていたかもしれない。何でも昭和を代表するアイテムとかで、プレミアムがついて取引されているらしい。兄たちなど、自分も気付かないうちに、とうの昔にどこかへやってしまっているに違いないのだ。ザマーミロ