(知り合いの裏のつぶやき?を読んでしまった、コワっ)的なことを書いていたので。もしかしてこれのことかなー?と読み返してみたけど 自分的には全然コワくなかったのでw まいいや別にww みたいな。

ポジポジ思想は大嫌いな私だが、かといってあるがままの自分を常時垂れ流すのが正しい態度とも思っていないので。裏があっても別にいんじゃね? まぁあんまりギャップが大きいとビックリはするかもしれない。あんまりヘンタイ的だったり、反道徳的だったり反社会的だったりしたら(…ちょっと気をつけようかな)とは思うかもしれないw でも裏の顔の存在自体は否定しないな。自分がそうだからかw 自己正当化かよおいww

正しいとか間違ってるとか、そんなのはしらんw でも少なくとも、その人なりにいろいろ考えてるんだなーという事実がみてとれれば 思考停止よりはむしろ好印象。

まぁアタシも人を怖がらせたくて 世の中に負の思考ヴァイラスをまき散らしたくて 書いてるわけじゃないけどねw しょせん、何をどう書いたとしても、読んだ人がどう受け取るかなんてコントロールできるはずもなく。もしもうっかり拾ったもの食べて消化不良を起こしちゃったら、次からは食べないように「自分で」気をつけようね?という話。

アタシだってしょっちゅう、ポジポジのトラップ踏んでうげーとかなってますよ。でも多くの場合ポジポジ唱えてる人は真剣にやってるんで、そこは評価してるし。マジメでエラいなーと思ってるよ心から。好きじゃないけど。肌に合わないけど。それはアタシの体質の問題だからw そっとトイレに行って吐いてます←つまりココ 勝手に人んちのトイレのぞいておいて コワがらないでください、ってw
たいていのことには降参しちゃってる私だが 嫉妬心、これだけはいまだに持て余す。否定してみたところで消えるわけでもなく、むしろ押さえ込むことでにじみ出る毒性は強くなるから、まぁとりあえず放っとくしか思いつかないんだけど。友人や同僚、後輩の出産・子育てに、心から寄り添えなくなっている自分に気づいて以来、自分から遠ざかったというか。早い話、ほとんどの知り合いとは疎遠になってしまった。嫉妬心の存在を否定はしないが やはり感じるのは苦しい。いつまでもじくじくと膿み爛れ続ける傷口のようだ。あえてそれを刺激する場に近づこうと思うほど、マゾヒストでもない。
友人を大切に思う気持ちをもってさえ、これだけは相殺できない。むしろ近しい友達ほど、のろけも愚痴も、無邪気なブログや書き込みも、子育てに関する言及すべてに腹が立つ。子供いない人生もアリでしょとか、ひとから言われるのも怒り心頭だ。小さい子がいるんだから、しょうがないじゃない?という見ず知らずの若ママの開き直りにも必要以上に辟易する。怒りは悲しみから発するものだから、元にある悲しみを癒さない限り怒りも消えないというが。もう私は産めないのだ、という悲しみは消えることがない。←これあんまり言い募ると今度は「不妊さまw」とか蔑まれるしね。ベビーカーで歩道いっぱいに横並びでベチャクチャ喋くりながらのろのろ歩くお前らにだけは言われたかねぇよ、とか言い返すのも大人げないし空しいし自己嫌悪の種が増えるだけだし。友達付き合いなぞさっさと諦めてひとりでいるほうがはるかにマシだ。というくらいに遠ざけておきたい感情、それが嫉妬心。
まぁどうにもならないことには慣れるしかなくて。この感情にもいずれ慣れるときがくるのかも知れないが。その頃には皆の孫自慢が始まっていることだろう。
たいていの平凡な人、というと意味的に重複しているけれどw 文字通りご多分に漏れず、ほとんどすべての分野で、自分もそのカテゴリに含まれている。「ほとんどすべての」と書いたが、それは自分がこの世のすべてを網羅したわけでもなく、生きているうちにできるはずもないから言い切ることが出来ないというだけのことであって。これまでの人生で知る限りにおいては「すべての」分野で自分は凡庸であった。この年になって隠された非凡な才能が発掘され開花する、という可能性も極めて低い。ゼロじゃないけれども。信じてすがるにはあまりに弱い光であり。ある日突然、机の引き出しより未来からやってきた機械猫が現れるとか、空から理想的な女の子と自分にしか操れないバトルスーツが降ってくるとかいうくらいにあり得ない、まあゼロと言っても大差ないレベルw 巻き返しの可能性は希望というより妄想に近いので、わずかでも持っていることすら厭わしい。

何をやっても、自分よりできる人はゴマンといる、というこの世界で。どう生きたらいいのか。

すでにいちばんになることなど諦めている。いちばんになれないから不幸とか、そこまで思い上がってもいないが、どこに行っても人手不足、チョットくらい足りないやつでもいないよりはマシ、という時代はとうに終っている。そんな世の中で、自分の存在意義を見いだすのはかなり困難だ。しかも労働力としての価値は年々衰えていく。

知的経験的には上がってしかるべきじゃね?という人もいるだろうが、みんながそのバスに乗れるわけじゃない。定員は世間的に考えられているよりは少ないんじゃないか思う。人材育成、自己研鑽の余裕がない零細企業勤務や個人事業主はチケットを手にすることさえ困難だろう。乗れた時点で、その人はすでに十人並み以上のビジネスマンであり職人であり何者かなのだ。この文章ではそのバスを見送ったあとの、とはいえ依然能力差は残されている世界の、真ん中より下あたりでどう生きるかという話をしている。そゆことあっさり言えちゃう人は、すでにそのバスの車窓から世界を見下ろしているのだろう。

とりあえず、自分が好きなことを見つけて、それで楽しければいいじゃん。という理屈で、まずは武装するわね。次に半径5メートルくらいの範囲の人(つまり家族とか友達)に喜んでもらえたり、役に立てたり、たとえば子育て介護とかだけれど、すれば自分の存在意義みたいなものもいくらか満たされる...のではないかと推測する。私には家族友達は少ないし、別にアタシがいなくなっても彼らの誰ひとり困らないと確信できるので、その辺はあまり実感できていないが。私のように身近な縁が薄い人たちは、ボランティア活動とかに熱を上げてみたり。まぁアタシの位置から周囲を見渡すと、そんな印象。

問題は 好きとか楽しいとか、家族友達みんな仲よし♪人助けができてよかった、とかいう「ちいさな幸せ(自己満足)」では食っていけないということだ。楽しければいいじゃん、と開き直れるのは喰えて、あるいは喰わせてもらえて初めて言えることなのだ。(だからこそ、このカテゴリ内の若い女子たちの間では「愛され」熱が高まるのだと思うけれど。女も自立だキャリアだと煽られた世代のアタシだって正直もうしんどい。養ってもらえるものならもらいたいわ、と無理を承知で言ってみるw)

労働は他者を満たすことにより報酬を受け取ることなのだから、自己満じゃお話しにならないというのは当然だ。労働は「創造」と「代行」に分けられると思うけど、乗り遅れ組の真ん中より下に残されている選択肢はまぁ後者だろう。誰でもできるけど、様々な理由によりお金を払って人にやってもらおう、という類いの単純労働。それでさえ自分よりできる人はたくさんいるけれど、喰っていかなきゃいけないから、頭下げまくって、なんとかしがみつくようにして、「お仕事」を頂戴する日々。

それでも、例えば 空がきれい、花がキレイ、猫が可愛い♪などと 重箱の隅をつつくように「ちいさな幸せ(自己満足)」を見いだすことは出来る。辛うじてできるし否定もしないけれども。

基調はブルー、である。辛いことばかりとは言わないけど、おおむね楽しいはずがない。なんといっても普通すぎるほど普通だからww 人を殺して死刑にしてもらおうとかいうほどラディカルにもなれないし。死が向こうからやってくるまでこのまま、ブルーなままなんとか生きてくんだろう。

停滞を生むのは絶望じゃなく諦観だとかいう人がいたけど、そうだね。たぶんそう。若い頃はもっと絶望してた。だけど結局、絶望をバネに来れたとてここまでなんだもの。もういいや、ってなるよ普通w 認めてしまうことでもう楽になりたいんだ。

人と比べるのヤメたら?っていう人がいるかもしれないけど すくなくとも仕事っていう、能力が問われる場で、それをしないでいられるのか?って逆に聞きたい。よっぽど浮世離れした鈍感力Wの持ち主でもない限り、いやでも目に耳に入ると思うんだけどね。

もちろん、能力差で身入りが決まるのは全然構わない。当然すぎて気にもしちゃいない。だけど、自分が相当頑張ってようやく、のことをサラリとやってしまう人が、どこに行ってもいる。飄々と遥か先を行く背中がイヤでも目に入る。それもまあ当然っちゃ当然なのだけれど、なぜかそこは気にならない、とは言えないんだなー。存在価値だけじゃなくて存在意義や努力の意味さえも揺るがされるから、なのかな?感情論と言えばまあそう。

まあいいや。背伸びしてようやく届くところにしか仕事がないのなら、背伸びをし続けるしかないのだ。自分ひとり+α喰わすのだってこの体たらくじゃ、情けないのも仕方がないやね。
アタシがムカッ腹を立てているのは 自分では死ねなくて「死刑にして欲しいから」人を殺した、という点であって。

それは甘えるのも他力本願もたいがいにしやがれ、という嫌悪感と。

おそらく犯罪抑止力と遺族感情の慰撫になりうるという観点から存続している死刑という制度の存在意義そのものを揺るがすやつがまたあらわれて。死刑じゃダメじゃん。面倒くせーことしてくれんなー。だけど死刑「以上」について本気で考えよう、制度化しようなんて話、まあ現代社会ではほぼ実現しないだろうね、という諦めやら苛立ちやら。アタシはハムラビ法典でも甘いと思うくらいなのでねw むしろ利息つけるくらいじゃないと、フェアとは言えないww

でもって取調中から公判中、刑確定、執行まではこいつ生かしておくわけでしょ?何年かタダメシ喰わすわけでしょ?税金で。

ふ ざ け ん な


すくなくとも 人を2人以上殺すと死刑にな(れ)る、とかいう前提をまず変えないと。
いなくならないでしょう、こういう、死刑という「公共サービス」を利用して自殺を試みようとするバカは。
とかいう輩がいる以上、死にたいバカが「でもあの刑でだけは死にたくない」というレベルの刑を考案すべき、と本気で思う。人権とか、は?もはやあるわけないでしょ。この時点でケダモノ以下だし。べつに正義感に燃えて言ってるわけでもなくて、こんなのに費やす諸々がいかにも無駄と思うだけ。動機や原因の究明?何の役に立つの。無差別殺人が起こるたびそれやってるんでしょ、それ。で、何かわかったわけ?防ぐことができてるとでも?税金使って米粒一つも喰わせたくないね。
今朝のモギケンの連続ツイートより。愛するものの中に生きる、のだそうです。仕事を愛した人はその作品の中に、誰かを愛し育んだ人はその人の中に。とな。

なるほどではあるが 仕事キラーイ人間キラーイな私が愛しているのはどうやら猫だけらしいのでww 奴らより先に逝くことは出来ないし 仮にそうなったとしても、ほどなく奴らも死に果てるので いくら愛したところで、モギケン的には「不幸な人」と括られてハイおしまい、ということらしいDEATH。別にいいけどww そもそも死んだあとまでも何らかのかたちで生き続けたいとか思わないし。死んだら大人しく無に帰りますわww

難癖つけたいとかじゃなくて、いったんはなるほどと思ったのだ。で自分の身に置き換えたらどうもそういうことみたいwと。不幸ってあんたちょっと決めつけ過ぎやしないかい、とは思うけど まあおもしろいからいいや。こんだけ毒吐いといてナンだけど、別にアタシは不幸じゃないです。自分でわかってるから、そこは別にいい。腹も立たないし。ちなみに幸せな人は毒なんか吐かないだろ、っていうのは アイドルはウンコしないんでしょ、っていうのと同じレベル。

もちろん揚げ足とりやツッコミのためにフォローしてるわけじゃないし、そこまでヒマじゃないし。ただ自分はとても偏って立っているので、 見えないものも多すぎるという自覚はある。だから自分の死角が見えている(らしい)人たちの話に耳を傾けるのは、別に不自然なことじゃない、というかむしろ当然くらいに思ってるんだけど。

モギケンサイドから見るとよく見えないところ つまり死角なのね、と思うだけ。まあこんだけ角度違えばねwww さもありなんといったところ
まあ人並みに使ってみたりしてますけどね、SNSとか。何かと便利なこともあるので。なにごとにもメリットとデメリットがある。好き嫌いを差し置いても、メリットが勝ると思えばやりますよ。にんげんだもの。

しかし、日に日に強まる息苦しさったら。だってイイことしか書けない雰囲気じゃん。ていうか、顔合わせてないからなんとでも言えちゃうわけで。アタシなんかいま、〆切ギリギリだからすぐやってと言われた仕事ひと晩待ちぼうけで徹夜で、それがもう4日も続いててボロボロで最悪の気分なんだけどw 「おはよう、さわやかな朝ですね♪ 今日も一日頑張っていきましょう☆」みたいなことも言えちゃうわけですよ。演出できちゃう。見えないんだから。

いくらホントのことだろうと、愚痴や悪口、批判ばかり垂れ流すのは感じワルー、というのはわからんでもない。(実に感じのワルいブログだな、ここはwww)それに、だいたいの人は、人からよく思われたいと思っている。こんなアタシでさえ。(いやホントww) そこへ持ってきて、ホントの自分の姿は見えないけどみんなが見ている「場」がある。...ときたらまぁ、実際よりはちょっといい人のフリから入るよね、たいていはw。んで、ギャラリー(友達wとかいうやつね)が増えれば増えるほど(っていうかあの手この手で増えちゃうような仕掛けになってるんだけど)...ウソとは自覚しないほどの薄く淡いウソでも 日々糊塗されて、イイネとかでまた増幅されて やがて息も出来んほど厚くなっていくんじゃね?窮屈になっていくんじゃね?ねえそれって楽しいの?

まあマナーとか礼儀的にも「ちょっといい人」的演出が間違ってるとは言えないし そういう態度でのぞまなければいつか 見ず知らずの他人からもフルボッコで炎上、のお祭り騒ぎになるのがオチだけど。見ず知らずの他人にどう思われようと関係ないけど。同じ理由から、見ず知らずの他人にはどこまでも容赦なく苛烈になれちゃうからね。にんげんだもの。ログだの画像だの、自分の手の届かないところに残っちゃうし。個人情報晒されまくりの、そんな恐怖祭り、誰もがどこかで見聞きしたことがあるはず。おーこわ。...でもこれってさー 相互監視社会とかいうんじゃなかったっけ?

ちょっといい人素敵な人、交流する価値のある人というイメージを維持するのも意外と大変で。 一般市民の毎日がそんな特筆すべきことにあふれた、めくるめくものであるはずもなく。今日は美味しいもの食べました、空がきれいでした。とか、ちいさな幸せ晒しにもう必死ww あーあ明日部長が死にますようにとか、ふざけんなこの店員使えねーとか、となりの席のオヤジがブサいしクサいし早く降りろとか、黒いこと思う瞬間も絶対それなりの頻度であるはずだけど。きれいな瞬間だけ切り取った写真集みたいな。まさに人生のコラージュww 影のない世界には光もないと感じる自分には、不自然すぎてどうも居心地悪い。自分は幸せってどうしてそんなに人にアピールせずにいられないのかなー?誰に言い聞かせてんの?って むしろ逆のことを想像してしまうんだが。まあとにかく。

いったんステージに上がってしまったら、踊り続けるしかないのかもね。踊りたくなければ乗らないという選択肢もあるが、目の前にあるメリットは享受したいんだよねー。にんげんだもの。踊ったほうがなんとなくトクっぽいし。阿波おどり見に行ったことあるけど、まさにそんな感じ。目の前で楽しそうに踊り狂われると、だんだん突っ立ってるだけの自分がめっちゃ損してる気分になる。これホント。なにそれズルい、みたいな。...よく考えると別に損はしとらんのだがww

そんなこんなで、SNSでは友達wとかいいながら リアルに会うことになっても、演出してしまった自分のキャラはもう脱げなくなってるよね。そのうち「中の人」である自分が本当は何者だったのかさえ思い出せなくなるだろう。まあもとから大したもんじゃないんだからw いいのかそれでもww いやむしろ敢えて忘れていたいのか? うん、きっとそうかも。哀れ「中の人」w

自作自演の着ぐるみの中で器用に呼吸するやつもいて、窒息しかけているやつもいるってことだ。私みたいにww 自分にとって生きづらいからといって、否定する気はないけど なんかもう ああもう。 だいじょうぶなのこれで、みたいな。

今日もオチはない。ww
まぁアタシもまだ死んだことないからアレだけどw かわいそうとか、どうなんだろうと思う。最後は誰かそばにいて欲しいと思うものだよ、ってしたり顔でいわれたことあるけど あなた死んだことあるんですか? たくさんの人に看取られてしあわせだったとか、本人に聞いたの?

たとえば家人が1か月ほど留守しているいま、私が死んだら 家人が帰宅するまで誰にも気づかれないだろう、というへんな自信はある。仕事だってフリーランスみたいなのものだし いま手がけているものを納めてしまえば終わり(だから今日明日だけは死ねないw)。子供いないから近所との付き合いもほぼない。誰も訪ねてこないしどこからも連絡はこない、きてもああ留守なのね、と思われるだけ。出勤しないから不審に思われて、ということもない。誰との約束もない。こうも「ない」が続くとやっぱりかわいそうみたいだがw 私自身はそれほどでもないのだ。第一気楽だし。ボッチ上等。

いまわの際に後悔することは、そばに誰もいない、ひとりであるということではなくて、たぶん ちゃんとむだ毛の手入れをしておくんだった...とかw いちばんいい下着をつけておくんだった...とかww 猫にごはんあげなきゃいけないのに困ったな...とか そんなことのほうがよっぽど気になりそうな気がする もしかしたら痛くて苦しくてそれどころじゃないかもしれない。...たぶん。死んでみないとわからないけど。いずれにしても、ひとりだったから、という点で同情されるのはまっぴらゴメンだ。

そのように生きてきたのだから、そのように死ぬことになるだろうというのは うすうす覚悟できている。まだ元気なのでうすうす、だけど。震災でコミュニティとのつながりを断たれたとかのケースは別にして、そうでなければ、それまでの生き方と同じ延長線に死があるだけだから。特異なことじゃない。まぁ同情したきゃ「生きてるうち」にアクション、プリーズ(ないとおもうけどw)。

自分の親世代では「生きてるうちに墓を建てとけ!」な商売が流行ったけど この先おひとりさまが増えるから、「孤独死でも後片付け手続きいっさい引き受けます!」みたいな商売、出てくるかもしれん。死人に口無しで、お金だけもらってドロン、という悪徳業者も出てくるだろうね。まぁアタシが運良く天寿を全うするころには、それくらい普通にありそうなことになるでしょう。

アタシも孤独死に備えて...永久脱毛にでも通うかww 少なくとも心配事の可能性がひとつ減るw
お前がいちばんのウソつきだ。子供にウソ教えるんじゃねぇ。コロスよ?

あと人は生まれてきたことだけで十分ラッキーなんですとか、しあわせなんですとかいうやつ。喰うもの寝るとこの心配したことのないやつが吐くセリフ。爆発すればいいのに。テレビも新聞も、ネットもみないのかな? DQNな親に叩き付けられて死ぬ子供たち続出、年間自殺者が震災犠牲者を超える世の中だってこと、知らないのかな? 自分が苦しんでなくて、よかったね。でも人の苦しみまで否定して勝ち誇ってんじゃねーよ。あんたにいわせりゃ無意味に苦しんでて、どうもすみませんね
猫ひろしがオリンピックに出ることになって、オリンピック競技を汚したとかいってるやつ。理解できないんだけど。格闘技の興行である大相撲が国技だから神聖だとか言ってるのと同じニオイだね。

国技館なんつってるけど見世物小屋だよ?あれ。お神楽と歌舞伎みたいなもんでしょ。お神楽のように芸能を聖なるものに捧げる文化はたしかにあるけど、だからといって歌舞伎が神聖とか誰もいわない、てか言えないよね(下ネタ満載だし)ww 梨園とか言っちゃってお高く止まってはいるけど、前者が神を相手にしているのに対し、後者は人間どもが相手だからね。大相撲も一緒。いくら奉納相撲のスタイルに則った演出をしてみたところで、大衆から木戸銭を集める格闘技の興行であるという本質は覆らない。下衆で当たり前なんだからいちいち騒ぐなっつーの。いっそ宝くじと同じ管轄にして、サッカーくじ同様 賭け相撲でもやったらいかが?税金上げるって騒いでるんだからさ。爪に灯をともす小市民より、ギャンブラーからあぶく銭巻き上げて国庫を潤したほうがよっぽど胸が痛まないだろうに。

前置きが長くなったけど要するに、発祥はどうあれ、現代オリンピックは見せ物だ。

猫ひろし…一応知らない人だから「さん」くれとくか…にしたって、不正を働いて出場するわけじゃないし。まあ口をきいてくれたカンボジアの政府関係者に何かしらの「お礼」はしたかもしれないけどww (結局限りなく黒に近いグレーでしたがw以下追記参照ww それはともかく)弱くて勝負にならなくても、お情けで出場させてあげるねwwっていう枠が、もともと制度として存在してるっていうところで、選び抜かれた頂点の選手が競い合う最高峰のナントカ…っていうのももはや違うでしょ。ぶっちゃけ、数ある国際試合の中でも、いちばんでっかいやつ。っていうだけじゃん。(サッカーなんかはWCのほうがエラいってことになってるみたいだしね。)規模がでかくなればなるほど、もはや祭りよ、祭り。わっしょい。出たい人で出られる人は出ればいい。真剣に闘う人がいてもいいし、参加することに意義があるww とか言っちゃってる人がいても、まぁいいでしょう。祭りなんだから。わっしょい。

整理すると、実力のないところから実力のない選手が出る。そういう枠が制度的に認められてる。世界の祭典、っていうキャッチフレーズ&マーケティングの都合でさ(自国代表が出てなければ話題にもならないからね)。どうせ参加賞なんだから、誰がもらったっていいでしょう。

んにしてもみんな権威付けが好きだよねぇ。特にかつて出たことある元選手の皆さん。過去の栄光がどんだけのもんであって欲しいのかは知らんけど、まあ美しい思い出&曇りなきステイタスであって欲しいんでしょうかねぇ、気持ちはわからないでもないけど。とりあえず美化はあなたの記憶の中だけで、ひとつよろしく。例えばこれがマラソンじゃなかったら…乗馬とか射撃とかだったら、これほどの騒ぎにはならなかったのやも。と思える時点でなんだかなぁ、って話。
カンボジアの皆さんが怒ってるならともかくね。そうでもないのに日本人が怒って見せるのはどうなのよ。義憤…ねぇ。何それおいしいの? 少なくとも私の目には、筋違いのようにみえるんだけどなぁ。

(結局在住期間が不足しているとかで、出られないことになったらしいけど。まさか知らなかったはずもなくw お金で目をつぶってもらうつもりだったんだろうけど(←ここは推測w)、騒ぎになっちゃったから、臭いものにフタできなくなったんでしょう。明白に存在する規則に違反するのであれば、それは不正。そこを覆すために金品渡すのは賄賂(規則はなくて解釈次第運用次第というなら ある程度の口利き料くらいはもうしょうがないんじゃないのこんな世の中だし 祭りったらヤクザな世界だし コーディネート料とかコンサルタント料とかいわれたらもうわかんないし、というのが私の線引き)。まあはじめから猫ひろし「さん」には興味ないw出る出ないはどっちでもいいww ただ もっともらしい大義を振りかざして批判している輩に辟易しただけ)