幸せを呼ぶスピリチュアル講座 -3ページ目
クリシュナムルティの講和の中にも
ありますが、ほぼ全員抱えている
共通した願望があります。
今世や来世で 『何者かになる』
という願望です。
ひとかどの人物、誰もが納得する人物像を各自
が秘かに描き、手にしたいと思い続けています。
ほぼ全員がそのように思っているとは、普段
気づいていないだけです。
サラリーマンは役員や社長に、店員はオーナー
に、一つが叶ったらさらに大きなものを と。
スピリチュアルな場合はもっと深刻です。
誰もがかつての仏陀やキリストと並ぼうと
光明や救世主の肩書きを手にしようとします。
オリンピックの金メダルのように4年に一度誰か
が手に出来たり、社長の椅子とは違います。
自己流のチャネリングをしている50代の女性が
おっしゃっていたことですが、子供の頃は自分が
世の中を日本を救うんだと思っていた。今はそう
は思っていないけど…。でも毎週、仕事の無い
日曜日はいろんなところへ出向き相談に乗った
り、仲間と情報を交換し合ったり、自分の時間は
全然無く大変だけど 頑張っている と。
本当に時間やお金を使い頑張っていらっしゃる
ということは理解出来ました。でも、そのチャネリ
ングの内容の合否と頑張りとは別のものです。
頑張れば到達出来ると確証のあるものではあり
ません。
クリシュナムルティも言っていますが、光明は
訓練を通して得られるものとは少し違っている
と思います。
チャネリングも実のところは自分との契約のない
存在とは難しいのです。
透視については 現在や過去のごく一部が見え
る方は結構いらっしゃいますが、自分の思考や
感情から作り上げた映像との混同があったり、
一部から全体を想像する為に結果として解釈が
違ってしまうということが頻繁に起こります。
未来に対しては幾つかの可能性も含まれてしま
う為に、更に困難な結果となってしまいます。
…だとしたら、クリシュナムルティが言っている
ように自分で考え行動する方が 良いのです。
この 何者かになる という信念を開放しない
限り 心の安住はありません。
私は教会を非難している訳ではありませ
ん(絶対に)。。
とても真摯な方が多いと思います(本当に)。
良心のある人はタダで何かを得ようとは
思っていないと思います。
スピリチュアルであれ、宗教や信仰や
様々なもの…
それらから、自分が得たいと思っている
ものは受け取れるのか…
ということをもう少し明確に出来ないのかな
と思っているだけです。
感覚で受け取れるものや事に対して、
JISマークのように
ある程度の適正な基準がつけられないの
だろうか
少なくとも、自分は何に対しての授業料や
謝礼を支払っているのかを理解する必要
があり
それらは今後も価値を持ち続けるものな
のかを各自が問う必要はあると思います。
スピリチュアルと宗教と呼ばれている
ものの違いはどこにあるのでしょうか?
私はクリスチャン(洗礼を受けている)では
ありません。
昨年ある教会での体験ですが、
牧師さんのお言葉です。
「私たちは宗教ではありません。信仰です」
とおっしゃい、
「イエス・キリストだけを贖い主と信じますか
?信じる方は洗礼を受けて下さい」
「同じ宗派であっても通う教会は一つに決め
て下さい。他の教会から連れて来たり、連
れて行かないで下さい。それは泥棒です」
「収入の1割を献金しましょう」
それは角度を変えて見たならば、
イエス・キリストという看板のビジネスとも
取れます。
日本の神社では賽銭箱への献金という形で
神社とのご縁のある存在(**神という名の)
との繋がりにより恩恵を得るというシステム
です。
全ての宗教を体験する事は不可能に近いと思
いますが、スピリチュアルというカテゴリーも
宗教や信仰と呼ばれているものも、
他次元からの恩恵を受け取るという 側面に
於いては似ています。
スピリチュアルという商品、マーケット
はこの一世紀の間に拡大されました。
レイキ(霊気)という手法が拡大の一因でもあ
り、アチューメントという手法の流行を作った
とも言えると思います。
日本人の臼井さんとという方が鞍馬山での
修行からコンタクトの取れたサナトクマラという
存在のエネルギーを他者へ伝授したものが
世界中に広まり
西洋から逆流行した形で日本でも広がりを
みせました。
レイキは理解が容易で、熱を伴うエネルギー
である為受け手側が実感しやすく、講習後は
自分でも同じように料金を戴き伝えることが
出来るというシステムが拍車をかけました。
通常私達はそれを投資と呼んでいますが、
自己投資の対象として、サイドビジネスとして
受け入れられました。
一つの手法の成功(拡大)により、
発掘作業が行われ新たなアチューメントや
手法がビジネスとして賑わっています。
…天使や女神や宇宙系として。。
世に溢れる商品の中で
スピリチュアルと呼ばれているモノ程厄介
なものはない…
洋服は試着やサイズの表記、デザイン
から購入の前に判断の絞込みが出来る…
でも、販売する側のおだてや接客術に
断りきれず迷いがあっても購入することが
ある。。
旅行はパンフレットなどでおおよその想像
はできる…
実際に行ってみると
部屋や食事は期待はずれ…ということも
あるし、様々な体験に胸が弾むこともある。
スピリチュアルと呼ばれている商品は
事前にその効果(得られるもの)が把握し
ずらい。。
売り手側は、あたかもその商品を手にする
と魔法が叶うかのように人生の変化を強調
する。
クチコミというものを参考にするが、
そのクチコミ自体が個人の感覚を元に表現
している為に
氷山の一角から全体像を想像するかのよう
に捉えにくい。。
更にまた、個人の相談は密室性が高い為、
その成否についての判断は複雑で厄介な
ものとなる。。
コメナトが聞き手にとって心地良いものであ
れば 「すばらしい」と歓迎されるものとなる
場合がある。
それはあたかも、ファスナーがきつくても
「ピッタリですよ、お似合いですよ」
という言葉で洋服を購入する動機と似て
いる。。
私たちが抱える苦しみ
苦悩と呼ばれるものは沢山あります
個人対個人が というよりは
苦悩と苦悩が争いを起こしています。
個人的な事であれ
歴史的なことであれ
その背後にあるのは
なぜ? どうして? 疑問に対しての
無知、
知らないということではないでしょうか。
マイトレーヤは命の水を運ぶ者
として知られています。
命の水とは
その なぜ?
苦悩を静める
乾きを開放する
ということであり
光と呼ばれ 愛と呼ばれている
存在が放つエネルギーであり
叡智であり
それらを分かち合うことにより
健全さを取り戻すという
ことではないのでしょうか
スピリチュアル とは何かを論ずる時
避けては通れない部分が幾つかあります
三次元から他次元へのアクセスは
可能か
次元の違うエネルギーが存在するとし
たら、どのようにして理解するのか
どんな働きがあるのか
そしてそれらは コントロールできるのか
精神や肉体への関与はあるのか
など等
沢山の書物があります
沢山のブログなどで発信された情報もあり
ます
それらについて
そのほとんどが
各人がドアの鍵穴や窓越しに見えている
ものや
過去から受け継がれたものを焼き直し
発信しています。
(半ば私もそうですが)
そのことが混乱を更に大きくしています。
キリストは父と呼んでいた創造主との
コンタクトの取り方を弟子に授け、
一部の宗派に受け継がれています。
シャーマンと呼ばれる人々は精霊や死者の
魂へのコンタクトの仕方を伝えています。
秘教と呼ばれている中には
更に人格神と称されているものなどの扱い
があります。
マジックもローマジック(エレメントを扱う)
ハイマジック(惑星のエネルギーを扱う)
とあります
いずれも はっきりと線引されている訳で
もありません。
その中で自分達の手法や情報が正しい
と主張してる。。
多くを知れば知るほど
織りなされた織物の広さに無言となります
そのままで オッケー というものでも無く
単に学べば良いのか というものでも無い。
仏陀は修行によって光明を得ましたが
それは生まれる前からそのように運命づけ
られていた からでもあります。
何の為にスピリチュアルの扉を叩くのか
今自分はどのドアをノックしているのか
まずは認識する必要があります。
マイケルジャクソンは素晴らしい曲を幾つも
残してくれましたが
中でも
マイ・イン・ザ・ミラー という曲にマイケルの
想いが凝縮されているようで大好きです。
曲の訳詞を転載させていただきます。



人生の中で一度でも変化を起こそう
気持ちよい変化 意味ある変化
問題を正す変化を
コートの襟を立てて歩こう 心に吹く風が冷たい
食べ物にも困るストリート・キッズ
不幸な子供たちを 無視するなんて出来ない
気楽な夏と割れたボトル そして一人の男の魂
どれも風に吹かれて 追いかけまわす
何の目的もないままに
だから皆に知らせたい まず僕は鏡の中の男に言う
考えを改めようと
メッセージは単純明快
よりよい世界を望むなら 自分から行動を起こそう
まず僕は鏡の中の男に言う 考えを改めるように
こんな単純な話はない
よりよい世界を望むなら 自分から変化を起こそう
変化を!
その男が変化を起こす 彼が変化を起こすんだ
鏡の中に見える自分から始めよう
よりよい世界を望むなら 自分から行動を起こそう
気分がよくなる筈だ
皆も気分がよくなる 変化を起こそう
自分を高めるんだ
皆で問題を終わらせよう 変化を起こそう
自分から変化を起こすんだ
マイ・イン・ザ・ミラー
自分から動かないと
皆もわかっている筈だ
シスターもブラザーもわかっている筈だ
変化を起こそう



アクセス数を増やす為に
毎日ブログを書こう とは思いません。
一年ほど個人セッションをさせていただき
ましたが、今はお休みしています。
例え僅かでも 料金をいただくと
もっとサービスをしないと行けないと感じたり
相手よりの立場になり過ぎたり
自分の中のバランスが悪くなって行くのを
感じました。
その結果、幾つかの失敗と感じることがあり、
私は料金をいただくことは止めたいと思い始め
ました。
この先の展開はまだ未定ですが
貫き通したいと思っています。
沢山の経験を
今、お伝え出来るものと 出来ないものも
あります。
もし、私のブログに少しでもご関心を寄せて
いただけるのでしたら、永くお付き合いいた
だけませんでしょうか。
幸福とは
個人の受け止め方によって違いますし
イメージは無数にあります
幸せでいたいと思い
訊ね歩き
語り合いますが
多くの場合語り合えていない…
本音を隠し、自分にとって有利な立場を
どのようにしたら得られるのかと奮闘している。
そのことによって、ますます
相手のことも
自分についても理解が困難となって行きます。
バベルの塔の物語は
旧約聖書の創世記の中に記載されているもの
です
もともと人類は一つの言葉を用いていたが
過去の洪水(ノアの箱船の物語)のような被害を
防ごうと レンガとアスファルトで高い塔を築き、
神からの制裁を防ごうとした為
神が言葉をバラバラにし、意志の疎通が取れな
いようにした。
その為人々は自分の利益を優先し、
争うようになったので
塔の建設が中止され(神により破壊されたという
説もあります)
各地へと分散して行ったという内容です。
話し合っても、すっきりしない
話したことが取り違えられる
ということは日常に多く観られます。
言葉の距離感や理解の隔たりを縮めないと
幸せについても
一つのテーブルに着くことは出来ません
距離感を縮めるには
多くの経験と
相手の言動に注意を払い
自分の反応に気づき続けるという日常の努力
が必要です。
その中で
自分を理解し、他者を理解し
非難や驕りというものが手放され
呼吸が整い
自然や他者と一体になって行きます
巷では
エネルギーのアチューメントが流行していま
すが
そんなことよりも
こんな些細な、地味なことが
成長の為には必要ではないのでしょうか

