ダヴィンチの過去世について触れてみたいと思います。

 

イエス・キリストには双子の弟がいました。

青森県の新郷村にイエス・キリストと弟の墓と称される場所があります。

イエス・キリストに弟がいたことは事実です。

但しそこに埋葬されてはいません。

 

イエス・キリストとは別々に育てられ、その存在は隠されていました。

イエス・キリストの弟子であるヨハネがその弟です。

何も語ってはいけない、名乗ってもいけない。と言われ守っていました。

その間イエスからは「愛する弟子」と呼ばれていました。

 

最後の晩餐でイエスの胸に頭を寄せたのはその「愛する弟子」であり

ヨハネの福音書を残したヨハネです。肉親ですから心配のあまり

胸に触れるのは自然な流れでもあります。

 

ダヴィンチは自分の過去世について知っていました。

ダヴィンチは愛する弟子と呼ばれていた弟のヨハネでした。

その当時そのような事を告げられる筈はありません。

 

アンナと聖母子の絵や洞窟の聖母にはイエスと洗礼者ヨハネが描かれて

いるというのが通説となっていますが、洗礼者ヨハネに弟のヨハネを隠して

書き込んでいました。

そのような観点で絵をみてみるならば納得が行くと思います。

またダヴィンチの絵には人差し指が描かれ、天に向けられているという

通説も違っていて、もう一人いる存在を示唆していました。

私たちも一人を示す時、指を一本立てたりしますよね。

 

聖アンナと聖母子の絵は  母親が自分の子(イエスの弟)を他者に預けた

場面です。引き離された我が子に手を伸ばしているのです。

受胎告知の絵は 大天使ガブリエルが二本の指を聖母マリアに向けています。

二本の指は祝福を与えているというのが通説ですが、実は二人の子供が宿って

いることを示唆しています。

 

今の段階ではここまでとさせていただきます。

時が来ましたらさらに続きをお伝えしたいと思います。

 

 

 

 

 

沢山の宗教書やスピリチュアル文献が溢れています。

それらを読んだ方が更に新たな解釈を付け加え論じ継承されて

いますが、

真実は多数決のような形で決まったり歪められるものではありません。

 

真実が受け入れられて行くにはいくつかのハードルがあると思いますが、

あえて今お伝えしたいのは、ユダについてです。

 

イエス・キリストの弟子であり裏切ったとされるユダですが、ユダとはどのよう

な人物で何故裏切る行為をしたのかは知られていません。

 

ユダの過去世はイヴの子であるカインです。

仏陀の時代には提婆達多として生まれ、提婆達多は仏陀の修行を邪魔した事

で知られています。

また、最後のテンプル騎士団総長のジャックドモレーを陥れ火炙りの刑にした

フランス王フィリップ4世でもあります。

日本にも生まれています。

 

またバビロンの塔の女主人でもありました。

 

イエス・キリストを裏切ったのは金貨の為ではなく、そのような存在として

生まれる契約を かのヘビと交わしたからです。

 

契約を結んだ背景にあるのは嫉妬心です。

 

自分が神から重用されていない事に対する嫉妬心から、神と対立する側と

協力する契約を交わしたのです。

 

歴史を紐解いて行き、

事実を客観視する事によって私たちの思考がクリアになり

自我や嫉妬のもたらすものを受け止めることが出来ることにもなるのでは

ないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

3年ほど休んでおりました。

 

この間に沢山の事がありました。

 

何故地球が作られたのか?

 

創世記はアダムとイヴの物語から始まっています。

 

イヴは神から食べる事を禁じられているりんごをへびからそそのかされ

食べてしまった為、楽園から追放されたという事になっていますが、

 

イヴは蛇から欲望を叶えてあげようとそそのかされ、禁じられていた

蛇の封印を解いてしまい、その事によって宇宙間に悪と無秩序を蔓延

させてしまったのです。

 

理性や品性を持たず結果を得る為には手段を選ばない行動に神が怒り、

そしてまた宇宙間に秩序を回復させる為のシナリオが地球上で進行して

いました。

 

ヨハネの黙示録や死海文書に記載されている光の子と闇の子の闘争

では神と光の子(神の子羊)が勝利する事になっていますが、

その後が大切ではないでしようか?

私達が理性を更に目覚めさせ、他者をおもいやりながら社会を築いて

いかなくては千年期の平和は実現しません。

 

 

私たちの平和の実現は地球のみにとどまらず、宇宙間にも及ぶとしたら

更に価値あることになるのではないでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

悟り 光明


この定義はとても微妙です。


クリシュナムルティやOSHO和尚は

光明について触れていますが

仏陀やキリストなどの触れている世界とは趣きが違います。


クリシュナムルティや和尚の触れている世界は

宇宙エネルギー的な要素 地球上に遍満している意識体

のようなエネルギーの存在を示唆する段階にあると思いま

す。


キリスト教やゾロアスター教などは

地球を創世した創造主について具体的に触れています。


人は自分の体験したことしか語れません。


人間からも体温や脈動から 生命 を感じとることが出来ま

す。

同じように創造主の生命を感じることが悟りとする事も出来

すが

私達はエネルギーに触れ合うだけでなく、語り合うことにより

更に理解し合います

創造主とも一歩踏み込むことによって理解することが可能と

なるのではないでしょうか。


通常何かを作り出す時は そこに意図が込められています。


何故 地球 が作られたのか


それらが理解される日が新時代の幕開けとなるのではない

でしょうか。











新たな発見 は

宇宙についてや 科学 歴史

様々な分野で日々更新されています。


宗教と呼ばれている分野に対しても

有り得るのではないでしょうか?


先日某テレビ番組の中で

ダ・ヴィンチが最後まで手放さなかった3枚の絵について

プラド美術館の論説を紹介していました。

「洗礼者ヨハネ」「モナリザ」「聖アンナと聖母子」

は宗教画で モナリザは聖母マリア であるとの見解

でした。


ダ・ヴィンチはとても現実的な人物であったと思います。

沢山の手稿や発明、芸術作品が残されています。

「最後の晩餐」にはダ・ヴィンチの意図が隠されている

という大方の見解があります。


「最後の晩餐」は持ち運ぶことが出来ませんでした。

壁ですので当然ですが…もし、持ち運べていたら

その絵も一緒に手元に置いたと思います。

「最後の晩餐」

2枚の「岩窟の聖母」

「洗礼者ヨハネ」

「聖母子とアンナ」


に隠された暗示に対しての答えが

ルーブル美術館のモナリザ

アイルワースのモナリザ

の中にあります。


私たちは通常大切な事については胸に秘めたまま

であることが有ります。

聖書からイエス・キリストについて知ることが出来ますが

そこに全てが記されているとは限りません。


謎と呼ばれているものを解き明かすキーワード

そのキーワードを読み違えている 


と私は思います。







ガイア 夜明け

これから新たな時代の扉が開くことへの期待感が

ありますが


 出来ることは何か


ということに対しては 日々の鍛錬 ではないでしょうか


誰もが 今いる その地点から始めなければいけないの

は 自明のことです。


では どのようにして ですが

日々の生活 繰り返される日常の中で 現実的 な感覚

を鍛えて行くことがまずは大切です。


鼻をつまみ目を閉じた状態で、5人が同時にスプーン1杯の

食べ物は何かを当てるというテレビ番組がありますが、

5人全員が当てるのは難しいように、スピリチュアルの世界

でも感覚の閉じられた状態で、自分の体験によることを持ち

込んでは同じような結果となってしまいます。


年齢を重ねると、今まで気づけなかった 見過ごしていた

自然の美しさや恩恵に気づき ハッと しますが

日常の生活を 他者や自分の為に限り無く努力してみる

ならば あなたを悩ませていた 問題 にも

違った感覚や視点がもたらされます。

努力することによって、他者の努力や自分の位置が冷静に

見れるようになります。

道の半ばであったとしても、自分はこれで良いのだと 他者

からの評価からでは無く思えるようになります。


あなたの一見地味に思えるような努力が あなたを救い

家族を救い 隣人へも恩恵を与えます。


不安がある時はじっとしていられません。何も手につきませ

ん。誰でも一度は経験している感覚ではないでしょうか。


失うことの恐怖 空虚さ


その試練を通ることで変容が起こります


それが精神における 錬金術 だと思いますが。。。









クリシュナムルティの書籍や公演の主題は 自我

という感情と思考が織り成す 産物 の理解と開放ですが


例えばスピリチュアルという分野を一つ取り上げてみても

記しずらい事ではありますが

ほとんどの人が、と言って良いほど 自分自身の探求とい

よりは 自分を認めて欲しいとか特別でありたい という

欲求が根底にあります。

その欲求については、公言する人もいますし、心で思い続

けている場合もあります。その多さを様々な形で体験しま

した。

誰もが 特別になりたい としたら それは成り立つので

しょうか?

そして多くの場合 金銭や栄誉という 成果を求めている

ということが見えてくるのですが…。

(断じて全てが…と記している訳ではありません)


又は、今抱えている問題を解決したい、と思っているだけ

と感じているかも知れません。

何らかの形で その問題 からは自由になったとしても

すぐ別の何かが あらたな問題 次なる課題 として

あなたの脳裏や心を占めることとなります。

これもまた多くの体験から記していることですが。


読んで理解出来たとしても、実際に自由にならなければ

次なる問題を作り出さないようになるのでなければ 全く

無駄となってしまいます。


20年ほど前 ルワンダで民族間の紛争が起こり、20万人

いう犠牲者を出して終結しました。

その虐殺には国民の多くが関わってしまいました。

終結か崩壊かの瀬戸際に立たされ、一部だけの責任や

行為では無く自分自身も関ったという事実は 受け入れ

ざるを得ないことでした。

その後ルワンダは大きく変わりました。事実と向き合わざる

を得かったからです。


和尚が、我が家が火事 であるのに気づいていない 

と表現していますが 

私たちの中にある火種はくすぶり続け、一息の風で燃え

盛り、自分が築いてきたものを焼き尽くす瀬戸際にあるか

も知れません。

それはあなたの隣人や隣国のことかも知れません。

今までは対岸の火事と感じていたことも、グローバル化

が加速する中ではもはや対岸という感覚は脱皮すべきかも

知れません。


洗脳という言葉がありますが


私たちの感性のフィルターに他者からの条件づけが意図的

に加えられてしまう為に起こる 判断力の操作現象 と

表現来ると思います。

ただその手法や状況が様々である為に、実際には気づき

難いかもれません。


振り込め詐欺も依然として無くなりませんが、近親者の不幸

という恐怖やショックを焼付け、思考が正常に機能しなよう

条件づけをして誘い込むという点では 洗脳を応用した

とも言えます。


げんを担ぐという言葉がありますが、良い事や結果を招ける

ように過去の事例を自分の行動に持ち込む手法もある意味

では自分に対して行っている条件づけで、私たちの一生は

多岐に渡り変化しますので、一つの手法で対応出来ものは

無いと言っても良いと思います。


多くの変化や状況に対応して行く為には、他者からも自分

からも条件づけという荷物を減らし、感性をピュアな状態に

することで判断力を培い、日々の鍛錬の中から生じてくる

成熟さが実りをもたらすのではないでしょうか。


健康食品は 効能を知った上で食生活に取り入れる という

前提があるように、精神世界やスピリチュアルと呼ばれてい

分野でも取り入れる前にもっと吟味する必要があると思い

ます。


それは あなたにとってどんな効果をもたらすのか

効能間違いは無いのか

不安からの一時的な隠れ蓑なのか 成長なのか 


吟味しながら進むのでなけれ

誤った摂取や過剰摂取の薬品が健康を害するように 

スピリチュアルという分野でもまた同じことが起こるのです。

あなたや私は、今幾つかの課題を抱えているかも知れま

せん。

その事により、考え込み 走り回り 尋ね歩いているかも

しれません。

孤独感を埋める為 代用品や気持ちを逸らす事柄に没頭

しているかも知れません。

または自分の幸せを噛み締めているかも知れません。


自分の置かれている状況を把握しているようで、実は勘

や錯覚で状況に対して捉え方が違っているのかも知れ 

ません。


ストレスと呼ばれている身体の反応は、状況に対してあらゆる

意味で 対応仕切れていない時に起こりますが、その可能性

は誰にでも生じますし、時間がかかったとしても誰もが克服出来

る可能性のある事象です。


誰もが自分は幸せでありたい そして出来るならば愛する人や

家族も そうであって欲しい と望んでいると思います。更には

地球は一つの家族であり全ての人がそうでありますように…と

祈っているかも知れません。


不幸な人は 他者や自分を更に不幸へと誘ってしまいます。

他者だけを不幸にしたいと考えたとしても、それらの波紋が帰っ

てきます。

理性では周知していても改善出来ないのは 私たちの中にある 

感情 と呼ばれている部分が邪魔をするというか、壁となり、目や

理性を曇らせてしまうからですが 

喩えでは無く 本当に曇ってしまいます。


欲望に目が眩む という表現がありますが、欲望が膨らみ過ぎる

と物の見え方や感じ方が実際に違ってしまいます。


私たちの五感や様々な機能は 感性というフィルターを通して

処理されますので、そのフィルターが条件づけられてしまうので

す。









経済や様々な分野で

平和や共存・繁栄について

新たな方向性・可能性が探求されています。


それらは個人の抱える不安や希望に対してどの

程度の恩恵をもたらしてくれるのでしょうか?


病気や戦争や不幸と呼ばれることに対応する

ビジネスがその方向性を変えて行くことは可能

なのでしょうか?


一つの解決が別の不幸を生み出さないように

する事は可能なのでしょうか?


まだまだ道の途上にある現状に於いて

個人の足並みが揃う為には 真実 について

知るということが一歩の前進につながる、と思い

ます。


スピリチュアル、精神世界、宗教には

それぞれの伝統や認識・理解があります。

本当に沢山あります。


真実を伝えているものがあるのでしょうか?

一部だけの真実はその先でつまずきや迷妄を

生み出す可能性があります。


まだ、一部しか知り得ない自分が残念です。


私たちの真摯な想いが実る日がありますように

震災や沢山の困難の中に光がもたらされます

ように

  想いが募ります。