「アイデアはインプロにとっては大事である。
でも、インプロ以上に大事にしてしまっては、本末転倒である。」
と書いたように、
「アイデア」の存在はインプロを行う上で、
大いに大事なことであります。
「アイデア」というのは「種」みたいなもの。
それだけ単体では大したことはないが、
育てることによって、大いなる実りをもたらすものです。
以下、私が実践しているアイデアの育て方、
つまり、アイデアへのアプローチについて説明します。
まず、アイデアへのアプローチは大きく、
「直接的」「間接的」「婉曲的」なアプローチがあります。
◆直接的なアプローチのヒント
(誰から観ても同じ情報。機械でも計測可能)
①5感
視覚(形、色、明るさ)
触覚(感触、重さ)
聴覚(音、響き)
嗅覚(におい)
味覚(味)
◆間接的なアプローチのヒント
(誰からみても共通に近いが、関わった人の視点が追加されている)
①5W1H
何を(What):これが対象そのもの
いつ(When)
どこで(Where)
誰が(Who)
なぜ(Why)
どのように(How)
②分解・構成
対象を構成しているものに分解
対象は何かの一部と考える
③量(単位ではない)
大きさ(大小)
重さ(重い、軽い)
速さ(速い、遅い)
例)人間の100kgは重い方だが、象の100kgは軽いほうになる
④質
エレメント(火、水、木、土、、、)
例)バッファリンの半分はやさしさでできている
◆婉曲的なアプローチのヒント
(対象の情報ではなく、関わった人が見えてくるもの。
そして、観客も自分の人生に当てはめてみるもの)
①感情
自分にとって対象をどのように思うか?
対象の感情を想像してみる
②思考
自分と対象の「違い」や「同じ」部分を見つける
③記憶
自分にとっての対象の思い出
④イメージ
もし自分がその対象だったら?
もし自分の恋人がその対象だったら?
対象がいる生活、対象がいない生活?
こんなときに欲しい対象?
自分の好きな景色のどこに対象があるか?
演劇的に感動をよぶのは「婉曲的なアプローチ」です。
なぜなら、舞台の上の世界を通じて、
観客が観客自身の中にあるイメージ、思考、感情を励起するので、
「直接的」「間接的」よりも、「共感」しやすいからです。
逆に「直接的」なものは、「情報」の提供にしかすぎないことが多いです。
しかし、「直接的」「間接的」アプローチをしないで、
いきなり「婉曲的アプローチ」をしてしまうと
観客は「情報」がないまま、舞台を観ることになり、
結局、「共感」までたどり着くことができません。
つまり、独りよがりなアイデアになりがちなケースです。
これは、プレイヤー間でも同じです。
「直接的」「間接的」なアプローチをしないと、
お互いにイメージの共有部分がないまま、
それぞれが独立したイメージになってしまい、
結果、観客も混乱してしまいます。
例えば「ペットボトルの水」というお題に対して、
直接的なアプローチにて500mlの水なのか、2lの水なのかで
間接的、婉曲的なアプローチで描かれていくもの
ズレが発生していきます。
「軽いのか、重たいのか?」
「安いのか、高いのか?」
「持つものか、抱えるものなのか?」
もちろん、そんなズレにもフレキシブルに対応できるのが
インプロの特徴でもありますが、
ズレが多すぎるのはプレイヤーにとっても、観客にとっても
負担が多すぎます。
「アイデア」というのは「種」みたいなもの。
それだけ単体では大したことはないが、
育てることによって、大いなる実りをもたらすものです。
だからこそ、
「種」が今、どのような状態になっているかは
ちゃんと把握しつつも、
その状態にふさわしいケアをしていく必要があるわけです。
ただやみくもに、
水や肥料や日光を与えればいいというわけでないことを
まずインプロヴァイザーは知っておいた方がいいでしょう。
インプロバイザーにとっては
とんでもなく刺激的なタイトルですね。
インプロ(即興演劇)の黄金律の中に
「Yes,and」という言葉があります。
これは
相手のアイデアに対しては
拒絶や否定はしないでまず受け入れて(Yes)、
そして、自分もそのアイデアに対して
自分のアイデアを重ねる(and)
というものです。
いや、これ自体は全然否定はしませんし、
むしろインプロにおいては大事なことです。
この「Yes,and」の「精神」はね。。。。。
でも、この「Yes,and」を言葉で捉えてしまうと
とんでもない誤解が発生することがあるのです。
インプロ始めて1~2年くらいの人から
「のんべさん、相手のアイデアに絶対「はい」という必要ないですよね」
という質問を、よく受けます。他にも、
「Yes,and」は服従じゃないですよね?
「Yes,and」は妥協じゃないですよね?
「Yes,and」は相手からコントロールされてませんか?
こういう時は私の答えは
「別に「はい」っていう必要はないよ。
『おまえが犯人だ』と言われて、『はい』って返す?」
この「Yes,and」の解釈には少し補足が必要です。
相手のアイデアに対して、
それを受け入れた事によって予測不能な事が起きそうだったり、
自分のアイデアが何もない事の不安だったりすると、
人間の生理として拒絶や否定しがちだけど、そこは
拒絶や否定をしないでまず受け入れて(Yes)、
そして、自分もそのアイデアに対して
自分のアイデアを重ねる(and)
なので、闇雲に「はい」という必要もないし、
相手のアイデアによって、
自分が拒絶や否定のアイデアや
演じているキャラクターとしての衝動があるなら、
無理矢理「はい」と答えなければならないことはないのです。
そして「Yes,and」は確かにインプロの黄金律(倫理学的言明)ですが
鉄則(変えることのできない規則や法則)ではないです。
もし、鉄則というなら、それは既に予定調和ですよね。
道を歩くときは右左交互に足を出す。
そんな程度です。
だから、たまにツーステップで歩くのもあるでしょう。
でも、そうすると周りがびっくりする事もあるし、
場合によっては蹴躓くこともある。
そういう事はちゃんと知っておいた方がいいでしょう。
【おまけ】
アビリーンの逆説"Abilene Paradox"というのがありまして、
人間は他人との衝突(Conflict)を避けるように行動してしまう。
その結果組織として最悪の方向に行ってしまう。
というものです。
これはとある寓話から生まれた逆説です。
テキサスの暑い日の出来事、
Jerryは奥さんと義理の父、義理の母と家のソファーでくつろいでいました。
義理のお父さんのあの一言がでるまでは。。
義理の父:「車でAbileneまで言って、カフェテリアでディナーでも食べないか?」
(Jerryの心):なにーーー。この暑い中、53マイルも先のあの場所へ、
エアコンもついていないあのBuickで行くの。。
なに言ってるんだこの人。。。
奥さん:「いいアイディアね。Jerryどう?」
(Jerryの心):行きたいわけないだろう。断れよう。。。
Jerry:「いいねえ。お母さんも行きたいんじゃないかなあ。」
義理の母:「私も長らくAbileneには行っていないからねえ。」
ということで、みんなでAbileneまで行って、
むちゃくちゃ暑い中くたくたになってみんなで帰ってきました。
そして扇風機の前でぐったりしていたところ。。
義理の母:「あんまり良くなかったはね。。。。
正直、行きたくなかったのよ。
みんながすごく行きたそうだったから、みんなが私にプレッシャーをあたえるから。。」
Jerry切れる:「どういう意味?みんなって。。一緒にしないでくれ。
私はただみんなを満足させるために一緒にいったんだよ。
最初からぜんぜん行きたくなかった。」
奥さん:「私もよ。みんなが行きたそうだったから。
喜ばせるために行っただけよ。
さもなければこんな暑い中だれが行くもんですか。。。」
義理の父:「くそっ!!こんなことなら行くんじゃなかった。
俺はただみんなが退屈してるんじゃないかと思って誘ったんだ。
私はAlibeneなんてもう行きたくなかったのに。
家でドミノ遊びしてアイスを食べてくつろいでいたかったよ。。」
とまあみんながお互いに衝突を避けるためにNOと言えずに、
同意した結果組織全員がハッピーになれず
矛盾(Paradox)した結果になってしまったわけです。