インプロで演じたシーンに対して、
「正しい」という判断の概念は基本的にはない。
なぜなら、「正しい」とは
「目的」「教義」「規律」と
合致していることである。
しかし、インプロでのシーンは
事前に打ち合わせをせず、即興で演じられるゆえ、
これらの事を事前に取り決めてはいない。
なので、演じた後に、評価のために照会すべきものがない。
そういう意味で「正しい」という判断はできない。
もちろん、演者、観客ともに
「いまのはないだろう~」とか
「これはすごい」とかの感想は持つ。
それはシーン自体の評価であり、
インプロの評価ではない。
さて、そこまで書いておきながら、今回のタイトル。
”正しい”インプロは努力をしないものである
ここでいう”正しい”は「健全」と
解釈していただけると
分かり易いかと思う。
シアトルのインプロカンパニー
"Unexpected Productions"主宰ランディいわく
「終わった後に疲れているインプロは、それは間違っている。
終わった後にパワーがあふれているのが、いい状態」
なぜなら、インプロは「インプロバイザー」と「観客」の相互関係でできている。
観客を無視して孤軍奮闘すれば、当然エネルギーは消耗するだけ。
「観客」と一緒にいれば、観客のエネルギーも自分のものとなっている。
だから、終わった後にパワーがあふれている。
お客様は舞台の上で起こる出来事を
メタファー(metaphor:暗喩)で観るスイッチが入っている。
例えば、ある役者が自分の人生に起こったことを話したとする。
その話をする場所が劇場ならば、
お客様はその役者の語ることを聞き、その役者を観るだろう。
そして、その役者の言葉から様々な人生を思い浮かべるだろう。
しかし、もし地下鉄のホームで同じことをやったら、
人々はその役者を避けて通るだろう。
だから、インプロヴァイザーは舞台に立ったら
すでにスイッチの入っているお客様のことを心配しすぎることはない。
お客様は物語を観に来ているのではない。
お客様は物語を語りに来ているのだ。
舞台の上で起きている事から自分の物語を語りに来ている。
だから、我々インプロバイザーはその部品(parts)をお客様に提供するだけでいい。
”正しい”インプロは努力をしないものである。