水瓶座共同体と相互の監視
水瓶座は社会的な共同体を示し、地区のために協力しましょうとか、子どものために父母で協力し合いましょうとか、仲間で集まって趣味の活動をしましょうといったことを象徴しますが、そこでは法や罰で縛る代わりに、お互いが空気を読んで、みんなのために協力しようとする姿勢が求められます。
支配星の土星の作り出す基盤が、お互いの意思疎通でできているともいえますね。
町内会の掃除が自由参加で「やれる人だけが参加してください」ということになっていても、大半の人が参加していたら、毎回出ないのは気まずい感じがするかもしれません。
そのコミュニティにおいて心地よくいるために、協力する姿勢を見せる必要があるわけですね。
こういうのは苦手な人と、どんどんやる人とが分かれる分野であると思います。
日本は水瓶座の国
建国記念の日を2月11日とする日本は水瓶座の国で、この共同体精神がとても強い国民性がありますよね。
コロナのときも罰則を設けずとも、政府がお願いするだけで、その意図を汲み取って速やかに自粛する国民性なわけです。さらに自主的に見回りして注意するような自警団も出現します。
私たちが無意識に感じる「世間の目の」の世間が、水瓶座共同体。
トイレで1列に並んだり、エスカレーターで片側に主に並んだり、高速のジャンクションでは左右の列から1台ずつ合流したりですね。
さっと状況を見て、そこにある法則を読み解き、歩調をそろえて協力して、同じように受け取るのだという公平性が、そこにはあるわけです。
いわば、全体性の最適解みたいなものを、お互いに創り出すわけですが、水瓶座は自由意志が主体となっております。
したいのか、したくないのか
共同体において「本当はそうしたくないんだけど、しなきゃいけないよね」ということになると、話が変わってきます。
したくないのにいやいやするということは、そのまま周囲に投影されて「私だってガマンしてるんだから、あなたもしなさいよ」と、強要することになってしまうでしょう。
しかし面と向かって注意する代わりに「あの人は空気を読まないから…」と、影で言うような陰湿さを生むことも、多々あります。正々堂々と注意することは、その意味においては愛とやさしさですね。
本人にはいわずに「ありえない」「こうすべきなのに」「前もあの人はこういうことがあって……」というのは、正義に隠れた闇ということで、水瓶座の光に対する、蠍座の闇。
気に入らなくてもコミュニティ内や当人の前ではニコニコしておいて、そこから離れた途端に、愚痴や文句を言い始める……というのは、よくあることですが、これは蠍座冥王星の一側面ですね。
冥王星のもたらす変容
冥王星は変容をもたらす星ですが、この使い方では変容は起こりません。むしろ冥王星のもう一方の質「強迫的に留まり続ける」ほうを強調するでしょう。
冥王星の変容をもたらすには「あの人ありえない」と感じるとき、自分の中で何が起きているのか…を、みる必要があります。
あの人が協力しないことで、こちらの負担が大きくなっていて、そこに怒りがあるかもしれないし、それに誰も気づいてくれないことに、さみしさがあるかもしれない。じゃあ、自分もやらなければいいのに、ついやってしまうのは、それをしなかったら全体が破綻してしまうからで、それだけのことをしているのに、誰にも気づいてもらえない報われなさやみじめさがあるのかもしれない。
といったようにですね。
相手や状況への怒りの背後にある自分の心を深く覗いて洞察することを助けてくれるのが冥王星。
そしてそれに気づいたときに、その深みにあった感情を感じて…報われなくてかなしい…みじめでつらい……を感じることで、変容が起きるでしょう。