水瓶座と人間性 | ***Walk on the light side

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銀河に煌く星たちのように

ここ一か月のあいだ、冥王星が水瓶座に入ってからずっと感じていることは、これは本当に私たちの変容をうながす配置で、社会のみならず、個人がもっと進化することが促されるだろうなということです。

 

水瓶座は「進化した人間」を象徴する星座で、それはすなわち「人間性に満ちた生き方をすること」だと思うんですね。

 

人間性に満ちた生き方……というのは、逆にいうなら「動物的ではない生き方」といえるでしょうか。

 

動物的というのは、本能からやってくる生存欲求に満ちたもので、パワーで弱いものを圧倒したり、自分が生き残るために他を欺いたり、大きなものに依存したりする特質があるでしょう。

 

それが良いとか悪いとか、そういう道徳の話でなく、これは私たちが生き残るために誰もが持っている本能的な力です。

 

蠍座・8ハウス・火星・冥王星が象徴するサバイバルの力ですが、ここから90度スクエアの水瓶座に冥王星がやってきたということは、その本能からやってくる本性をもっと洗練させること……そのために無自覚にやっていることにもっともっと気づいているということでもあるでしょう。

 

動物と人間の大きな違いは、個別のたましいがあるか、ないかだという説があります。動物は集団魂という、種族全体でひとつのたましいを共有していて、個々のものがないというものです。

 

なので動物は多少の気が強い、弱い、大胆、繊細、好奇心強いなどの差があれど、基本的にみんなが同じ行動をします。


しかし人間は個別のたましいが個人に特有の性質を与えるため、ある人は野山を冒険し、ある人は旅をしてあらゆる地の見聞を広げ、ある人は歌を作り出し、ある人は料理を研究し、ある人は機械を発明して、ある人は月を見て踊ります。

 

それぞれの好きなこと、得意なこと、興味を持つこと、その表現がそれぞれに違うのですね。そしてその違いに優劣をつけたり、何が正解で不正解かを判断したりはできません。

 

それぞれの生まれ持った性質……好むペースや方法や最適な活動範囲や関わり方等々を、お互いが認め合い、尊重し合うこと……それを『人間性』と呼ぶのかなと思います。

 

 

使う言葉、信じている神、繰り返される風習、好む行為……それが違えども、お互いに同じようになれないとしても、相手のそれを理解して、また自分のものをオープンに表現する。

 

どこの生まれだとか、何をしているとか、していないとか、できるとか、できないとか、それらはさておき、目の前の相手をひとりの人として認識して、尊重し、関わっていく。

 

それが人間性かなと。

 

自分自身の偏見を通して相手を見たり、決めつけたり、拒絶したり、押し付けたりするのではなく、私のしらない、ただひとりの人として、目の前の人と出会う。

 

昨日がそうだったからといって、今日もそうだとは限らない。記憶から相手を判断するのではなく、今日の新しい可能性を持った人として、また出会っていく。


個性の時代というのは、結局は私たちがひとりひとりをしっかりと認識して、尊重することから始まるのだろうと思います。

 

目の前の相手をまるっと受け止めて、その人がなんであれ、認めることは、自分のすべてをまるっと認めていなければ、なかなかむずかしいことだと感じます。

 

そんなわけでまた今日も新しいあなたに、私は会うのです。