花屋の少女、再び | ***Walk on the light side

***Walk on the light side

銀河に煌く星たちのように

12月25日は夫と京都のホテルに泊まっていたのですが、玄関の装飾が到着したときはクリスマスツリーで、翌朝にはお正月飾りに変わっておりました。

 

「おお、さすが」と思うと同時に、懐かしい記憶が蘇るのを感じました。

 

 

以前、子どもの頃の母の日の思い出を書きましたが、私の実家は花屋です。

 

80年代バブル最盛期からバブルの名残りがある90年代前半ぐらいまでは、どこのデパートやホテルも装飾にふんだんに生花を使う贅沢な時代があって、毎年クリスマス25日の夜は、徹夜でその入れ替えを行う大決戦の日でした。


今よりもずっと、お歳暮のやり取りが盛んだったので、12月になると高いシクラメンや蘭の鉢が飛ぶように売れて、クリスマスが近づくとポインセチアやリアルなモミの木のツリーやリースがばんばん売れて、そんな商戦の背後では25日の夜のための準備が淡々と進められます。

 

ホテルやデパートの装花というのは、その場所のセンスや価値が試される場所ですから、一流どころほど、こだわりが半端ありません。

 

もちろん、そのためのデザインから綿密な打ち合わせをするのですが、総責任者の鶴の一声で内容がガラッと変わることも珍しくないのでした。

 

記憶に残っているものでは、あるデパートの装花で、前日に総責任者の方が下見にきたとき「この花の色はダメ。変えるように」と言われて、もう発注することもままならず、苦肉の策で一晩で1000本単位の花を染め直したこともあります(笑)

 

そしていざ決戦の夜……25日のデパートやホテルが閉店したあとの深夜の時間帯に、複数の箇所にグループでわかれて、夜を徹して装飾を施すのでした。早く終わったところは、別のところへヘルプに行き、作業は朝まで続きます。

 

こうして明け方に装飾は完了し、お客様が起き出す時間には、一夜で飾りがクリスマス色からお正月色に変わるのでした。

 


さらに店では26日からはお正月飾りの販売が始まります。注連縄、門松、玄関飾り、車の交通安全飾り、床の間の飾花など、バブル期前後は誰もがお正月にかける気合と予算が充分にあったので、お正月飾りは飛ぶように売れました。

 

寒空の下、商店街に許可をとって出させてもらった露店で26日から31日の朝から晩まで、お正月飾りを売りまくるのは、学生の頃から私の仕事でした。毎年、友達をバイトに誘って、売りまくります。


当時は本当にとても売れて、多いときは子ども三人で店番して、1日で100万円ぐらい売り上げることがあり、いま思えば、なかなか良い商売だったと思われます。そういうときは大入りでボーナスとして時給にプラスして1万円ぐらいもらえたので「いえーい」と喜んだものですが、5万円ぐらいくれても良かったんじゃないかと、いま書きながら思いました…(笑)
 

そんなこんなで小学生の頃から12月になると、起きているあいだに両親が帰ってこないというのが通常運転で、のちに年末商戦に私も参加するのですが、世の中で経済がぶんぶん回っていた良い時代だったな~と思います。

 

今年も12月30日ぐらいまで仕事があって「よく働くね~」と言われるのですが、休みなしのぶっ通しで大みそかまで働いていた当時に比べれば楽勝です。クリスマスの夜にホテルで眠れるなんて。