風の時代と無個性になる私たち | ***Walk on the light side

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銀河に煌く星たちのように

こないだ、いい子症候群の話を書いたのですが、水瓶座の時代と没個性について、補足してみたいと思います。

 

みなさまもご存知の通り、2020年末に水瓶座で木星・土星のグレート・コンジャンクションがあり「風の時代の到来」「自由と個性の時代だ!!」ということになったのですが、蓋をあけてみたら、コトはそんなに簡単ではありませんでした。

 

そもそも水瓶座の象徴する風の時代になぜ個性が尊重されるのかというと、向かいの獅子座と、その支配星の太陽が個性を強調するからですね。

 

向かい合うふたつの星座は相互に補完するように働きます。獅子座の放つ個性の輝くステージが、水瓶座の象徴する仲間とコミュニティであり、そこでは誰もが自分の個性をのびのびと発揮した関係を相互に作ることができます。


しかし、それが簡単ではないんですよね。

 

幼少の頃の私たちは、さまざまな形で自分の個性を表現したことでしょう。その時々に感じるものを素直に主張してみたり、踊ってみたり、拗ねてみたり、笑ってみたり、怒ってみたり、泣いてみたり、静かにしてみたり、ぼんやりしてみたり。

 

しかし、そのありのままの姿がいつも歓迎されたわけではなかったでしょう。親はいい子を求めます。それは親にとっての都合のいい子ですから、静かにして欲しかったり、はきはきして欲しかったり、ひとりで遊んでいて欲しかったり、ワガママを言わないで欲しかったり、友達と仲良くして欲しかったり、人にやさしくして欲しかったりするわけですね。

 

ですからその意に反するとワガママだ、泣き虫だ、気が強い、気が弱い、うるさい、おとなしすぎるなどと言われてしまうのです。

 

そこには親の好みや理想があって、それによって、私たちの表現する自分らしさに歪められたイメージがつけられます。

 

私はよく「頑固で強情で泣き虫だ」と言われましたが、これは「もっと素直で柔らかくあり、傷つき過ぎるな」というメッセージでもあるのですね。ですから自分の強情なところや傷つきやすくてすぐに泣くようなところは、ネガティブな自己イメージとして認識するようになりました。

 

 

獅子座・太陽の向かいにあるのは、水瓶座・土星です。土星には心地が悪い現実に適応するために、本質を隠して擬態化する働きがあります。私の例でいいますと、親との軋轢を避けるために、ありのままの私の表現から「頑固・強情・泣き虫」を擬態する必要があるということですね。

 

このときの選択肢として「より親に認められるものになる」か「親から認められないものを極力隠す」の、ふたつがあります。どちらにしても、本質を隠すことには変わりありません。

 

そこで出現するのは「頑固・強情・泣き虫」を隠して、親の求める「柔軟・やさしい・明るく前向き」になるか、あるいは「頑固・強情・泣き虫」が目立たないように、できる限り、自分自身を表現しないようにするか、ですね。

 

ですから、風の時代に出現しやすいのは「みんなから受け入れられやすい平均的なキャラクター」か「自分を極力抑えた無個性」ということになりやすいのでしょう。

 

これは水瓶座の象徴する「誰もが自由に自分らしさを表現できる」と起こりやすくなる現象であり、自由であることと引き換えに「他者を差別したり、非人道的なふるまいをしたりすることはゆるされない」という風潮が高まります。

 

他者からの注目度が高まるほど、フォロワーが増えるほど、周囲から理想的な人物であることが無意識に期待されて、失言やスキャンダラスな行動が容赦なく批判されていきます。水瓶座が求める社会への理想や完璧さがここに出現するのですね。

 

自由といいつつ、偏見やアンモラルがゆるされないという、アンビバレンツ。

 

結果として、みんなの理想のキャラクターとなるか、炎上上等の鋼メンタルなキャラとして世の中に一石を投じ続けるか、似たり寄ったりの無個性に偏るか……そんな風になりやすい風潮なのだと思われます。

 

最低限にしか自分を表現したくないのは、若者のみならずでもあり、それがまさに風の時代ゆえでもあるんですね。

 

ギラギラとしたスキャンダルや問題発言がいっぱいの昭和は、型破りでパワフルな人物がそこらじゅうにいて、それはそれで面白い時代だったのかもしれないな~と思います。