労働や日々の家事や雑務や健康管理を司っている6ハウスですが、その本質は「いかに現実に適応して、自身を変えることができるか」にあると思います。これは6ハウスが柔軟宮の乙女座と関わることからも推測できます。
6ハウスは日々の労働であると同時に奴隷を表すこともありますが、ずっと前におそらくロバート・ハンドの本に「報酬の有無に関わらず、その労働に喜びがあるものは奉仕となり、喜びがなく強制的に働かされるものは奴隷である」といった記述があって「おお」と思ったものです。
ここでいう「喜び」とは、ひとつ前の5ハウスの司る太陽活動すなわち創造性、自己表現、みずからの意欲といったものですが「やること」に対して心が動いていると楽しいし、そうでないと「単なる退屈な日常の繰り返し」になってしまいますね。
これは本当に太陽とのつながりを感じているか、否かですね。私たちが太陽の意識とつながっているとき、何をやっていても楽しいのです。それが単純作業や勝手知ったる労働であったとしても、ですね。
ある環境に入っていったときに、自分の肌と合わず、心地悪く、やりにくいということは多々起こるでしょう。新しい職場、学校、コミュニティ、おうち等で、それは起こります。知っている感じと違う。え、こんなやり方するの。え、なにこの習慣。え、なにこの人たち。
そんなときが6ハウスの本領発揮です。その環境に適用するように自分を変えるか、もっと自分が心地よくいられるように環境のほうを変えてしまうか、あるいはもっとふさわしい環境に自分自身の置き場を変えるか。
柔軟宮の変化する質が試されます。そのいずれもできず、すなわち「合わないけれど、変える気がない」と、苦しいときが長く続くことになるでしょう。
そしてここでの苦しみは12ハウスに蓄積されていき、日々ぼやきながら過ごすか、あるいは一定量を超えると病気になるか、その苦しみの感情を吐き出させるような事件がやってきたりします。
その崩壊のときを苦悩を重ねながら座して待つのか、それよりも先に自分のほうを変えてしまうか。
どう見ても崩壊のエックスデーを待ちながら苦悩のカウントダウンをするよりも、自分の気持ちの持ちようか環境か生き方を変えるかのほうがラクなのでは?と傍から見ると思えるのですが、ここで月と土星の作用が働くことが多々あります。
すなわち「心地悪いと感じる、その感覚を感じないように呑み込んで、その環境に適応する」というやつですね。月と土星のコンビネーションは良くも悪くも、環境に適応する質を発揮します。
しかしこれは「環境に合わせて自分を変える」に、似ていて、異なるもの。こちらは慣れぬ環境のなかでも、自分なりの喜びや楽しみややりがいを見つけ出そうとするのに対して、土星のほうは苦悩を抑えるために喜びや楽しみも合わせて封じて、ただ淡々と適応するように仕向けます。
感じる機能を停止させることで、その環境に耐えることができるようになりますが、代償として自分を感じることもできなくなってしまうので、長時間それを続けると不感症となり、人生で何がしたいのか、自身の欲求までわからなくなるでしょう。それはのちのち自分を生きる上での支障となっていきます。
だったら土星に適応させるよりも、6ハウスの乙女座的な適応力を使ったほうがいいじゃないのと思うのですが、それが簡単にできないぐらい、私たちは基本的に変わりたくないんですよね。自分を変えるぐらいだったら、感じないほうがラクだと思うほどに、ですね。
「奉仕とは、必要に応じて変化することを柔軟に受け取る能力のことだ」というのは、ルディアの言葉ですが、そこには6ハウスの向かいの12ハウスすなわち海王星も感じます。
神を前にして、私たちが個を明け渡し、やってきたものを従順に受け入れていくという、尊くも、非常にむずかしい行為。そこにあるのは「エゴの死」ですが、土星のもたらすエゴの抑圧と混同しないように、繊細に見ていく必要があるものだと思います。
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