2022年3月3日2:34に魚座の新月です
雛祭りの真夜中の新月。すべての惑星が地平線の下に沈み、静かに深いところで息づくような、心の深いところで何かがざわめくような新月となりそうです。
夜に見る夢のように、内側で思いやイメージが広がっていくかもしれませんが、それを形にするには時間がかかりそうです。
むしろ「やりたいな~」「やらなきゃな~」と思いつつも、なかなか重い腰が上がらず、ゆるゆると時が過ぎていくのをぼんやりと眺めてしまうようなところがあるでしょう。
太陽と月に木星と海王星もぴったりと張り付いて、意志と無意識がぼんやりと一体となるような、自分の気持ちと集合的な気分が曖昧にひとつとなるような感覚のしやすいときです。
眠っているときに、心を通して、集合的なものとひとつとなるため、朝起きたときに、憂鬱だったり、ざわざわとざわめいたりすることもありそうです。
とても繊細で揺れやすく、ちょっとしたことに気持ちが昂ったり、落ち込んだり、塞いだり、また広がって愛を感じたりするかもしれません。
厳しい緊迫した社会の情勢を、心のどこかで感じ取って、共にざわざわと揺れ動いたり。そしてまた誰もが繊細になっているため、簡単に他者との関わりのなかで傷ついたり、ひゅっと凍り付くような感覚を味わったりすることもあるでしょう。
ひとりでゆったりと平和な気分でいるところを、脅かされたり、急かされたり。気持ちはのんびりとしていたいのに、たくさんのやることに追われたり。かと思えば、急にこれから先のことが心配になったり。
そして、それらの刺激に心がいちいち反応して、小さく傷ついたり、ナーバスになったり、落ち込んだり、まあどうにかなるだろうと立て直したり、とてもやさしい気持ちになって、愛を深く感じたりするかもしれません。
魚座に星が集まると、私たちの感じる力がいつもより、ずっと増幅されます。そしてそれは「私とあなた」「私と世界」とのあいだの境界を曖昧にするため、いつもに増して「いろいろなものが自分の内に流れ込んでくる」ような感じがするでしょう。
『まるで天国にいるかのような多幸感と夢見心地から、まるで宇宙にたった一粒の塵になったかのような孤独感まで』という感情の極から極までをカバーするのが魚座の領域です。
そしてそれらの感情を感じて、味わうことを通して、私たちの心は癒されて、バランスを取り戻すのでしょう。
もし本当はたくさん感じているにも関わらず、感じなかったら、どうなるでしょうか。
感じないようにすること……これはあまりにも感じることがつらいときに起こる、私たちの防衛の補償行為です。
辛いと感じなければ、怖いと感じなければ、不安と感じなければ、その場で冷静に判断して、土壇場を切り抜けることができるでしょう。
それから感じられない辛さや恐れや不安が、内側に蓄積されていきます。それは石のように硬く積もっていき、プログラミングされた機械のように、パターンを固着化させて、淡々と物事を成し遂げていくことを助けてくれるかもしれません。
代わりに自分自身とつながることから遠ざかり、なんのためにそれをしているのか、自分はいま何を感じていて、どうしたいのかが、わからなくなっていくでしょう。感じることは、積もり積もった惨めさや、辛さや、恐怖と向き合うことになるので、それらを遠ざけて、まわりの人たちにそれを感じさせることを代行させるかもしれません。
人生はそう簡単でも楽でもありません。いつも良いことばかりがあるわけではなく、問題は次から次へと起こるし、世界ではいつも誰かが怒っているし、誰もが私にやさしくしてくれるわけではないし、頑張っても認められなかったり、報われなかったりもします。
そのたびにうんざりして、悲しくなって、みじめになって、不安になって、途方に暮れて、怒りが湧いて、孤独を感じて、塞ぎこみたくなるでしょう。
それらの感情が心のなかを吹き抜けていくとき、春の嵐のようにいっとき激しくかき乱されて、涙があふれ、身体のそこかしこが痛み、臓腑も激しく脈打ち、雷鳴が全身を貫くような思いがするかもしれません。
しかし、その嵐が去ると、そこかしこに積もっていた、すべての埃や淀みや澱が一掃されていることに気づくでしょう。
人生でそう簡単でも楽でもない状況がやってきたとき、そのぞっとするようなおぞましさを、ヒヤッとするような冷たさを、五臓六腑が震えるような畏れを、心と身体の全部で味わい尽くすことで、自分のすべてとのつながりを持ち続けることができるのかもしれません。
感じたくないからと、それらを遠くに追いやることは、自分の大事なパーツをひとつずつ切り捨てていくようなもので、そうすることで、本来の自分がすこしずつバラバラになってしまいます。
コンパッション。魚座が象徴するのは大いなる慈しみ。
愛する人が苦しんでいるときに、何もできないけれど、ただそばに寄り添って、手を握ることで、その悲しみと辛い時間を共に過ごす強さ。つらいときに、ただそばにいて、抱きしめてくれる人の存在に救われるように。
ただそばにいて、共に感じていてほしい。私のなかで嵐が通り過ぎていくときに、愛と共にただ見ていてほしい。離さないでいてほしい。
私の中で起きている、どんな小さな変化も、感情の動きも見逃さず、気づいて、ただそれを見守って、そばにいることだけが、私自身へと還る道となるのでしょう。
世界は不穏に揺れ動き、さまざまな出来事や状況が、ちっぽけな個人の存在を脅かすかもしれません。
それに対して、私たちのできる最大の貢献は、いついかなるときも、揺れている小さな自分を愛で見守り、内なる平和を築き続けることでしょう。
いまいるこの場所で愛と慈しみと共にいることが、まわりの人たちにも波及して、やがてそれが大きな流れとなるかもしれません。自分にやさしく寄り添って、過ごしていきたい魚座の季節です。