尊重について、前にも書いたような気がしますが、こないだ占星術の研究会で「むずかしいよね~」と話題になりました。
1日かけて、天王星だけをじっくりと探求する会をやっていたのですが、水瓶座の惑星を持っていたり、天王星が強く働いている人(太陽や月と角度を作っていたり、1-4-7-10のアングルに天王星が位置していたり)は、基本的に権威が嫌いです。
権威の何が嫌いかというと、こちらがまだ理解していないことを、さもわかっている感じでジャッジされたり、決めつけられたりするのが嫌いなんですね。
ひとことで言えば「そこに尊重がないから」嫌いなわけです。
そんなにおまえが偉いのか。私とあなたが、ただひとりの人間同士であるという以上に、どちらの価値が上なんていうことがあるのか。
地のエレメントが大事にする経験の有無や年功序列を真っ向から否定する感じもありますが、そのあたりに地の時代から風の時代への価値観の変化も含まれているのだと感じます。
もうすぐ大学三年生になるうちの息子は、小・中・高専と和歌山のきのくに子どもの村学園という自由教育の学校で過ごしましたが、ここはとても水瓶座的な学校でした。
テストがない、宿題がない、チャイムがない、教科書を使っての授業はしないという、既存の教育システムに真っ向からチャレンジする学校で、一番の特徴は大人も子どもも同じひとりの人間として扱うことにあったと思います。
上も下もないので、大人も子どももお互いをニックネームで呼び合い、敬語は存在せず、何かが起きたときは、どんな立場でも意見を出し合って、決定するときは等しく一票ずつ。
揉め事が起きると解決するまで、毎晩2時頃までの話し合いが連日続いてうんざり……なんていうことも体験している彼ですから、話しているときに「自分で決めるから、いろいろ言わないで」「それはママの意見でしょ」「それは信用してないってこと?」などと、言われるのが常でした。
そのたびに「自分で決めていいんだよ」「ちゃんと信用しているよ」と答えながらも、私のなかの彼を尊重する姿勢が鍛えられ、ときにそのむずかしさから、自分の中の「尊重する意識の低さ」に落ち込んだりしたものです。
星の研究会でも「私たちは親から愛されたし、大事にされたけれど、滅多に尊重って、されなかったよね」という話になりました。
親は「あなたのために」と最適なオファーはするけれど、その一方で「どうしたいのか」「いま何を感じているのか」「本当の望みは何か」といったことは、あまり聞いてくれません。
たまに我を通して「これがしたい」「これがほしい」というと「自分で決めたんだから、やめてはいけない」とか「欲しくて手に入れたからには大事にしなくてはならない」と、責任をとらされることになります。
意志を受け止めてほしい。話を聴いてほしい。
ただ気持ちに寄り添ってほしい。
私の心地よいペースや方法を理解してほしい。
誰もが親に求めているものを、やがて友人や恋人やパートナーに求めるようになり、それが得られないと、自信をなくしたり、自分を隠したり、非協力的な態度をとったりしながら、人と関わることになります。
水瓶座土星期の二年目で、私たちは風の時代の二年生。お互いを尊重し合うことで創り出す世界は、なかなかむずかしいなと感じる日々です。