ちょうど一か月前頃の11月6日に金星が山羊座に入ったのですが、かなり進行したあとに逆行し、また順行に戻るという動きをするため、3月6日まで山羊座に滞在し続けます。
順行で進むと、金星は三週間ちょっとでひとつの星座を過ぎていきますから、4か月ひとつの星座に滞在するというのは、かなりの長丁場。
そして、この配置ですが、冥王星が山羊座にあるため、何度も金星と合が作られ、なかなか対人関係、とりわけ愛着のある深い関係に影響をもたらしている感じがあります。
どうにもこうにも「心地悪さ」が濃厚になりやすい傾向があり、愛に関する否定的な面が露わになることがあるかと思います。
この配置がもたらす、ふたつの極があるとしたら、ひとつは「孤独感、否定感、嫉妬、独占欲と共に、苦しい状況にひとりで耐えなくてはいけない」という現実を創り出す傾向があります。
蟹座の象徴する温かい家、安心感、守られている感覚から、最も遠く離れているのが山羊座です。寒々しい厳しい大自然の強さに圧倒されながら、そこでちっぽけに立ち尽くすかのように、ひとりで襲いかかってくるさまざまな感情を受け止めなくてはいけません。温かい愛から引き離される痛みは、強烈な愛の側面だといえるかもしれません。
過去から現在に至るまで、何世紀も、幾たびも、どの国の、どの人種の人たちでも、一度もこの痛みを体験したことのない人はいないでしょう。その蓄積された記憶が、心と身体を通して再現されるようなときなのだと思います。
それは目の前にいる人や、関わっている人から、理解されない、拒絶される、分断される、受け取ってもらえない、つながりを感じられないという感覚を生じさせるかもしれません。
その時に実際にじりじりとした痛みや、ひりつき、胸に広がる焼けつくような傷つきが身体に感じられることもあるでしょう。
孤独や痛み、悲しみが心のなかに広がるとき……その心に寄り添って、そばにいることで「弱い自分と共にいる強さ」が磨かれていきます。これが、この星の配置がもたらす、もう一方の極だと思うのです。
孤独や痛みや苦しみをないかのようにふるまうのではなく、痛くても、苦しくても、その自分の心と共にいること。
ひりひりと心が痺れるような夜を静かに過ごし、さみしい朝をやさしく迎えることで、私たちのなかに小さな愛と小さな信頼が萌芽するのではないかと思います。
心地悪さが起こると、つい相手のせいにして怒りを向けたり、「もう考えるのはやめよう」とごまかしたりしてしまいやすいけれど、焼き尽くされそうな痛みがあるときも、静かに感情の嵐が吹き荒れるときも、自分自身のそばに辛抱強く、忍耐強く、留まり続ける力と強さとが、私たちの中にはあります。
そうやって幾世紀ものあいだ、苦しい状況を生き抜いてきた先人たちの強さを、私たちは受け継いでいるのだと思うのです。