七夕の日に大阪でラブお茶会なるものを開催して、恋愛や結婚やパートナーシップにまつわる、あれこれをみなさんとシェアしていたのですが、最初に話したテーマがレジリエンス(回復力)についてでした。のっけからコレというのもあれなんですけど、まあ実際に、対人関係強者はこの力が高いわけですね。そしてもちろんこれは対人関係以外のあらゆる状況においても有効な能力です。特に現在のような、次々と対応しなくてはいけないことが多く、これまでのセオリーが通用しないとき「いちいち凹まずに」あるいは「凹んだとしても、速やかに立ち直って」しなやかに対応できると、ラクチンな感じがしますよね。
対人関係以上にストレスフルで傷つけられることって、そうそうないとは思います。もちろん危機的状況は訪れますが、そのときにまわりの人たちと、どんな風に関わるかによって、その状況を乗り越える力が湧いてきたり、余計に落ち込んだりすると思います。
レジリエンスとは傷ついた状態から立ち直り、復元する力ですが、精神と心と身体が同的に回復しなければ「気合で無理して、あとになってダメージがズーンとくる」ということも起こり得ます。
私たちの心と身体の健康を司り、危機的状況に対応するのは、占星術だと6ハウスの領域ですね。対人関係を通して起こる傷つきは、私たちにとってマインドや心や精神の危機です。6ハウスは私たちの内側の健やかさを維持しようと働くので、基本方針が適応と防衛にあるわけですね。そして、対人関係を通して傷ついたときにとるアクションとして泣く・黙る・避ける・応酬するあたりがポピュラーでしょうか。水・地・風・火の基本方針ですね。
いずれにしても、外界の敵に対してまず防衛反応が起こり、反射的なアクションが入る場合があり、それから回復が起こります。このとき大事なことは、12ハウスの作用ではないかと思うのですね。無意識の領域を象徴する部屋。心の深いところにある感情に触れて、触れることによって認知して、リリースする部屋。ひとりの時間を作ってお風呂のなかで泣いたり、ビデオを見ながら泣いたり、思い出して泣いたり、夢の中で泣いたりですね。ここは終わりの部屋であると同時に、次のはじまりのための創造の力が生まれる場所でもあります。
私に何が起きたのか。相手との関係において、何に傷つき、どんな感情が生じて、それは本当は何を求めていたからなのか。あんなことしなければよかった、言わなければよかった、関わらなければよかったと、いろいろな思いが去来するかもしれませんが、12ハウスは終わりの部屋なので「しっかりと感じて」価値を見出したいわけです。
起きたことが何であれ、そのときの自分はベストを尽くしたんですね。そこには愛があったかもしれないし、信頼があったかもしれないし、努力があったかもしれない。だけど、うまくいかなかった。すれ違ってしまった。受け取ってもらえなかった。誤解されてしまった。本当はもっと大切に扱われたかった。成果をあげたかった。分かち合いたかった。
本当にほしかったものは何なのか、私が大事にしている価値は何か。相手はどんな価値を大事にしているから、そんな行動をとったのだろうか。
12ハウスはカルマの部屋。見えざる敵の部屋です。それはひとつのサイクルの終わりに、どれだけのものを残さずに、次に行けるかということと関係しています。ここを見ず、感じず、価値を見出さずに「もう次わった。もう気にしないで次へ行こう」と流してしまうと「私たちの気づいてもらえなかった部分」が、見えざる敵となって、何度も同じパターンを繰り返させます。見えざる敵とは、見てほしい、認めてほしい、私たちの内なる一部です。
あるいは、その部分が残っていると、6ハウスの防衛システムが、その部分と関わるものを「異物」と認知して「面倒くさいから、もう関わらないでおこう」「傷つかないように、もう余計なことは言わないでおこう」「最初からやらなければ失敗だってしない」と、その物事に関わることを回避する方向、傷つかないために関わりを閉ざす方向に向けたり、あるいは関わる人が本心から関わってくれないといったことが起こります。
レジリエンスに求められるのは、12ハウスのテクニックなんだなあと、しみじみと思います。ひとり時間を作って、内観し、心の深いところに漂っている感情をキャッチして、そのままに感じてあげる。そして報われなかったことではなく、頑張った自分を認めてあげて、どんなことを求めていたから傷ついたのか、自分が大切にしている価値に気づいてあげる。そしてうまくいかなった関係や物事を、意味のある終わりにできたとき、私たちの内側から「もう一度はじめてみよう」という創造の種が生まれてくるのかもしれないなあと、思うのでした。