
毎年8月はお盆や終戦記念日があるせいか、心の深いところに触れることが多いのですが、今年は夏らしいイベントがなかったので余計に強く「過去から持ち越されてきたもの」や「先人の残した思いと無意識に受け継いだもの」を色濃く感じました。
8月29日の夜にはザビ工・アストロロジーのオンライン講座があって、そこでは各星座の子どもたちが求めているものと、その時に親がどのように気をつける必要があるのかということが語られました。
その中で「蟹座-蠍座-魚座の水のエレメントに生まれた子どもたちは、親の感情的な欲求を満たしたい、喜ばせたいという思いを持つ」という話がありました。
だからこそ親は子供の繊細さを注意深く見守り、サポートする必要があるという話につながるのですが、水の星座の人はもちろんのこと、誰もが親や家族の期待に応えたいという思い、あるいは社会で認められたい、世間に受け入れられたいといった思いを持っているでしょう。
まっさらな心をもって生まれた私たちは、その成長の過程において、いつもそのまんまの自分でいることが必ずしも歓迎されるわけもなく、社会に馴染むためにどんな前提でいるべきなのか、家族の中や学校ではどうふるまうべきなのかということを刻まれて育ちます。
その過程において、まっすぐな自分の持っている心の一部…傷つきやすさや怒りや、感じやすさ、嘆きなどを、隠すことも学ぶでしょう。
その社会的な人格は、私たちがうまくやっていくために必要なものではあるけれど、それが自分の人生を制限し、本当の自分の感情や望みをわからなくさせることを引き起こしもします。
12星座最後の星座である魚座は、私たちの周辺にそのようにくっついて同化したものをひとつひとつ手放していき、純粋だった、あの頃の自分へと還ることをうながす星座。
私たちの内側の中心にある、まっさらな光の海へ。
たくさんの経験を積み重ねた私たちがいつの間にか身につけた処世術や、無意識に背負いこんだ期待といった荷を降ろして。
自分にたくさんの愛と滋養を与えて、信頼のなかに自身を投げ出し、新しく生まれ変わることをゆるしていく魚座の満月です。

夏至から始まった三か月の流れをしめくくる最後の2週間です。
今年の夏至は新月と部分日食が重なり「何かが終わっていくこと」「中心にあったものが終わり、新しいものに代わること」が示されていました。
夏至2020:古いパターンの終焉
https://ameblo.jp/light-side/entry-12604409063.html
総理大臣が辞意を表明したことは記憶に新しいものですが、まさに多忙を極める日々のなかで「後回しにしてきたもの」が浮上するタイミングだったのではと思います。
特別に何かがあったわけではないけれど、心身ともにキツイ感じがあった……という人もいるかもしれません。
これまで見えなかったこと、見過ごしてきたもの、見えるものの背後にあるものの存在が浮かび上がってくるときなので、精神的あるいは身体的に痛みが出てくることもあったでしょう。
今年の夏は、私たちが「隠れた敵」と出会う夏でもありました。
私たちを苛立たせるもの、不安にさせるもの、混乱させるもの、痛みをもたらすもの……それらはかつて、私たちが「上手に生きていくため」に自分の人生から切り離してきたものたちです。
それがあるとうまくやっていけないから。
それを感じると前へ進めないから。
人生のどこかでそれと別れることでうまくやっていけると思って切り離したものが、人生のなかで問題を作り始めたのでした。
遠ざけたつもりの痛みが。悲しみが、怒りが、嘆きが。
巧みに隠したつもりだったのに、姿を変え、形を変えて、人生にたびたびやって来るのです。
それがわたしの一部だと認めて、おかえりなさいと迎え入れるまで、何度でも。
時には世代を超えて親から子へ、またその子どもたちへ。

本当は怒っていたのかもしれないし、苦しかったのかもしれない。
絶望を抱えて、自分を責めていたのかもしれない。
怖くて眠れない夜。さみしくて震える夜。
平気なフリをして隠さなければ、生きていけなかったのかもしれない。
誰も、そんな自分の心の扱い方を教えてくれなかったのかもしれない。
自分のニーズよりも、いつものまわりのニーズを優先する必要があったのかもしれないし、責任をとるはずの人がいなくなってしまったのかもしれない。
大変だったね。
がんばってきたね。
よく生き抜いてきたね。
ひとりで耐えてきたね。
私は、私の中心に還る。
何かをするとかしないとか
何が正しいとか間違っているとか
ハッピーとか悲しいとか悔しいとか
そういった数多のものたちとめぐりあうよりも前に、私たちがいた。
光の海に自分を投げ出していく、魚座の満月です。