【満月】2019蠍座ウエサク満月★深い愛が苦みを変容させる | ***Walk on the light side

***Walk on the light side

銀河に煌く星たちのように

2019年5月19日6:11に蠍座の満月ですさそり座

5月の満月はウエサクの月。釈迦の誕生・涅槃・入滅と関わる日として、仏教国では年に一度のお祭りが行われます。

今年の鞍馬のウエサク祭は5月18日の晩だそうです。

明け方の満月なので、18日の夜の方がより美しく輝くのでしょう。


これまで隠してきたもの、感じずにきたもの、見過ごしてきたものが、月という太陽の鏡を通して浮かび上がってくるかもしれません。

誰にも言わず、自分でさえ気づかずにいた本音が立ち昇ってくることもあるでしょう。

静かに心をひらいて、浮かんでくるものがなんであれ、じっくりと味わい尽くしたい夜。

自分の内側にある、とても芳醇な愛に気づかされるかもしれません。



水の星座である蠍座は『感じること』の象徴であり、対象となる人や物事とどっぷりとひとつに溶け合うことを示します。

性や死のシンボルとなるこのサインは『自我の手放し』と関係するでしょう。

愛する人とひとつになるとき、わたしたちの身も心も溶けていって、エクスタシーの中に放り出されます。

その瞬間、個人の自我は消失するでしょう。


なにかに夢中になって、その対象とあたかも一体となるような深い経験をもたらすのが蠍座。

自分と相手との境界がなくなったかのように、ひとつに結びついて、わたしでも、あなたでもない「誰か」となって「ここではない、どこか」に、意識が漂います。


また、そうであると同時に水のサインは『感じないこと』も、象徴するでしょう。


相手から拒絶された時、わたしたちは傷つき、それ以上、不快な思いをしないように、心を閉ざすかもしれません。

あるいはそれ以上に、相手に嫌な思いをさせて、傷つけてしまった時も同様に、わたしたちはそれ以降、踏み込むことをやめて、本心を伝えて、ひとつとなることを止めてしまうことがあるでしょう。

『感じなければ、傷つかない』

『踏み込まなければ、傷つけることがない』



従って、エクスタシーを司る蠍座のもうひとつの側面は『不感症』です。

触れず、関わらず、近寄らない。

そうすれば傷つくことも、傷つけることもありません。

わたしたちは時に「心の安全を守るために」関わることをやめ、踏み込むことを諦めるでしょう。

そして同時に、ひとつに溶け合うエクスタシーの歓びを手放すのです。



この『不感症』の弊害は、日常の中で無意識のうちに、多くを諦めさせることにあるかもしれません。

自分を緊張させること、ドキドキさせること、恐れを生じさせるものを感じないように巧みに避けて、いつもの慣れた安全で安心できることだけを選ぼうとする心理が働くでしょう。

それは得られるかもしれない多くのものを、自身が成長するための貴重なチャンスを失わされているかもしれません。


蠍座の対面にある牡牛座は『愛と豊かさ』の象徴です。

向かい合うふたつの星座はお互いを補完し合いますから、蠍座を掘り下げることが、牡牛座をより豊かにさせることになるでしょう。


たくさんのものを所有することが豊かさにつながりますが、そのためには多くのものを世界に与えていく必要があります。

たくさん投資すること、たくさん作り出すこと、多くの知識と愛を惜しみなく与えること、多くの土地を耕すこと……。

世界にたくさん働きかけることによって、より多くのエネルギーが動き、それに対してさまざまな反響がやってきます。

蠍座の力を使って、より多くのものに近寄り、触れて、深く関わるほど、たくさんのエネルギーが動くことになるでしょう。


『不感症』でいることをやめて、どんな感情があったとしても、それを受け入れることにチャレンジした時に、蠍座のもたらす神秘…変容が起こるのかもしれません。

傷つくことで生じる不快さを、傷つけることで生じる罪悪感を「感じないように」選択するのではなく、「感じる」選択をした時に何が起こるのか……そんな実験をしてみるのに良い時期かもしれません。



いろいろな人たちと関わりながら、成長する過程において、わたしたちはたくさん傷つき、傷つけてきました。

その結果として「巧みな社交性」を身につけると、わたしたちはいつの間にか、本心から人と関わり、深く踏み込んでいくことを、諦めることを学習します。

空気を読み、場に合わせて、相手を怒らせないように、がっかりさせないようにするために、一体どれだけの本音が言葉にされずに、心に留まっているのでしょうか。

一体どれだけ自分をごまかして、楽しくもないのに笑い、悔しい思いと怒りを飲み込み、悲しみを紛らわせてきたのでしょうか。



心の中に横たわる、ざらっとするような不快さを、せめて自分だけは掬いとって「そこにあっても、いいのだ」と慈しむ。

深い愛が、わたしたちの心にある苦みを変容させる、美しく神秘的なウエサクの満月です。