わたしのとても個人的で、すこしファンタジーなお話です。
この時期になると思い出す、2011年3月11日。
あの大震災のとき、わたしは横浜にいたのですが、余震が続く3月、4月、5月……と、震災被害と津波で亡くなった大勢の方々が日本中のそこかしこを行き交い、その最中に何人もの方がやってきました。
「あの人に、わたしはここにいると伝えてほしい」
「自分はもう、ここを立ち去るけれど、あの人にいつまでも、自分の代わりに元気に生きてほしいと伝えて」
「子供を残して立ち去らなくてはいけないことが、心配で心配でたまらない」
「あの子をずっと探しているけれど、見つからないんです。あの子を知りませんか?」
伝えてほしいと頼まれたことを、わたしはできる限り、書き留めて、しかし、どこの誰から、どこの誰への伝言なのか、わからないので、まとめたものを震災供養の法要をしているお寺へ持っていって、お焚き上げしてもらいました。
それは夏の終わりころまで続き、いまここを流れている時間と、ここではないどこかを漂う空間との両方を同時に体験しているような、濃密で不思議な日々を過ごしていました。
それから3年経った頃に、ご縁をいただいて、陸前高田市へ出かけることになりました。
街が津波に呑み込まれた土地は、静かに静かに、新しい道を切り拓こうとしているのでした。
市内に宿をとると、室内のそこかしこに、生きている人とは異なる人たちの佇んだり、歩いたりする気配や、ささやき声が濃厚に感じられました。
純朴でおだやかなその気配はやさしくもあり、不快さはなく、わたしは彼らと濃密に空間を分かち合うように寛いで過ごしていました。
夜に食堂で夕食をとっていると、彼らが耳元でささやきました。
「いいね」
「ごはん、食べられるの、いいね」
「ちゃんと食べて、ちゃんと生きてね」
「わたしの分まで、ちゃんと生きてね」
他の人たちが談笑している食堂で、わたしはひとりで胸がいっぱいになって、だけれども、ちゃんと、ごはんを全部食べて、それからお風呂に入って、泣きました。
「泣けて、いいね」
「泣けるのって、いいね」
「ちゃんと泣いて、ちゃんと生きてね」
「あなたの命を、ちゃんと生きてね」
わたしは、ちゃんと生きることができているのだろうか。
普段は忘れているけれど、この時期になると、思い返します。
すべての土地に満ちている愛が、誰ものもとにも、やさしく降り注ぎますように。