木版画-福智仁英ブログ-「LIGHT MADE SHADOW」 -4ページ目

「のほほん工房からインタビュー」

札幌にある精神障害者小規模作業所であるNPO法人のほほん工房から毎月出版している当事者のための情報誌「ハッピーライフ」の表紙を4月から担当する事になったのでメンバーの方から取材を受けた。「障害者」に関する事が多くて正直に言えば答えに困ったがアップしてみる。

①福智さんの生い立ちを聞かせて下さい。

生まれるとき難産でお産の後遺症で神経に損傷を受けたため5歳になってもあまり歩けませんでした。障害名は脳性麻痺です。3~5歳まで旭川整肢学院(現在は旭川肢体不自由児総合療育センター)年に2回の1ヵ月間母子入院をして母と一緒に身体機能の訓練をしていました。訓練の成果で歩けるようになりましたが歩行困難のため100mがやっとだったと言います。
6歳からは親元を離れて旭川整肢学院で入院生活が始まりました。身体の機能訓練に重さをおいた施設だったため付属の学校は訓練の合間に行くような状態だったようです。身体の機能が元気な方だったためにすぐ仲間と喧嘩をしたり暴れたり看護婦さんに迷惑ばかりかけていたようです。
身の回りの事ができるようになったので小学校3年生から札幌の真駒内養護学校に入学しました。教育に力を入れた施設で学んで欲しいという両親の願いだったようです。身体の機能も動けるほうで勉強もできる方でしたから、何不自由ない生活を送っていました。障害者の中で生活していると障害を持った身体である事を忘れてしまうのですね。しかし、夏休みに旭川の実家に帰省して近所の公園で遊んでいるといじめにあってしまいます。そのときはっきりと普通とは「違う」事を認識します。しかし、養護学校できちんと生活を行っている基盤がありましたから、そのときはすぐに言い返していたので平気でした。

②福智さんは養護学級から普通学級へ移ったとき、苦しまれたと聞きましたが、それをどうやって乗り越えたのですか?

中学1年生から父が教育委員会にかけあってかなり無理をして普通学校に入学する手続きをしてくれました。前例がなかったために説得をするのに苦労をしたようです。
 入学する時はとても緊張しました。実際に学校生活が始まると体育にはあまり参加ができないし、テストでは成績はビリのほうでした。その時に今まで培ってきた価値観がすべて否定されたような気がしてショックをうけました。障害者の世界ではトップクラスにいたのに健常者の世界の中ではいきなり底辺の存在になったわけですからね。それに一方的な「役立たず」という思い込みが徐々に性格を自信家のでしゃばりから無口な引っ込み思案にしていきました。当然この思索に耽る時期が後々に生きてくるわけですが当時は苦しみが痛くてそれどころではなかったです。
 一見、主張が少ないのでいじめの対象になってしまいましたが、勝気なところがあったので酷い状態にならなくてすみましたが精神的なダメージはかなりありました。いままでは喧嘩を売る立場でしたからね。それから自己をきちんと認められない自信のなさから来る希薄な現実感にも苦しみました。何のために生きているのだろうと言う今でも続く問いかけはそこから始まったような気がします。
その時に拠り所になったのが中学ではプラモデルと絵、高校では絵と音楽だったわけです。できた作品を誰かに観てもらう、聴いてもらうという事の喜びは大きかったです。当時、あまり言葉を持たない、コミュニケーションのできない状態での唯一の表現手段でしたから。他者と関わる事ができると言う喜び。そこからくる自信が「障害者」という自ら作り上げた勝手な思い込みやコンプレックスと言う壁を少しずつなくしていったのだとおもいます。

③福智さんは障害をどう受け入れたのですか?

今は正直あまり障害者である事を認識していません。障害者である事を忘れてしまうぐらいです。
なぜ、そういった心境になりえたかと言うと、あれだけ苦しかった障害もふとまわりを眺めれば五体満足な健常者でも同じように苦しんで生きている事に気がついたからです。
同じ苦しみを抱えたもの同士だからこそ分かり合えるし理解ができる。いつまでも「障害者」という壁をもったままではそれができないのです。ただ、障害者である事を素直に認めることができればいいのだとおもいます

④自分にも障害があっても何か出来ると思ったのは何故ですか?

逆に身体に障害がなく健常な状態でもそれは難しい質問だとおもいます。「何か出来る」というのは自信から来る強い確信だとおもうからです。何かひとつの事に集中して置かれた状況に全力を尽くすような心持になって始めて到達できるものだとおもいます。
 障害があってもなくても「何か出来る」という自信を暖める事って大切ですよね。

⑤自分の収入だけで食べていこうとしたのは何故ですか?

単純ですがお金を稼いで好きな音楽や絵をやりたい。親にあまり迷惑をかけたくない気持ちが強いです。

⑥自分の収入だけで食べていく為にどうしましたか?

去年、12年間働いていた所を辞めたばかりです。
今までは印刷会社のデザイナーや家具工場の従業員。福祉工場ではネットワーク管理、音楽製作、3DCGやデザインの仕事をしてきました。家具工場では木材を抱えて肉体労働をして腰を痛めたりしましたが積極的に仕事を覚えたり身体に無理をかけたりしました。ネットワーク管理の仕事はおぼつかないパソコンの知識で厚いマニュアルを夜遅くまで眺めていました。3DCGの仕事では東京で働いた事もあります。いままで何度も辞めたくなりましたがやめて何が出来るのだろうと言う不安も同時にありました。何の仕事が合っているのだろうという問いかけの繰り返しでいままでの18年間働いてきた気がします。

⑦障害があっても何かしようとする「やる気」がおこったのはどうしてですか?

基本的には怠け物なので「やる気」に前向きな答えができるかどうかわかりませんが、「やる気」は仕事をしていて後からついてくることだとおもいます。勢いでやっても長くは続きません。決めた事を毎日こつこつ行ってみて後から結果や形になったときにわかる事だとおもいます。「やる気」はおこすというよりも続けた結果にあるのではないでしょうか?

⑧障害に対する回復法があったら教えて下さい。

きちんと障害に向き合う事だとおもいます。
きちんと向き合う事で抱えている「障害」も当たり前のことになってあまり意識しなくてすむようにおもいます。

「ギャラリーめぐり」

2日は久しぶりのギャラリーめぐり

最初は
STV北2条ビルのエントランスアート「櫻井マチ子展」
独創性のある絵が面白い。通行人が多く避けながら眺めました。

次に
ギャラリーたぴお「竹田博展 叫びのバラード」
眼光が鋭い若い頃の自画像が多かった。今の温和な竹田さんから想像がつかない。本人がいらして「暗~い青春だったのよ~」とおしゃっていた。でも若い時期のこの世に存在する事に対する悩みや葛藤って誰しもが経験する普遍性を帯びた問題だとおもいますよね。しばし歓談して「飲まないかい?」って誘われたけど早くに飲んで肝臓に負担をかけたくないので夜にまた来ますっていいました(笑)。

次に
札幌時計台ギャラリー「第22回北の日本画展・企画展」
北口さつきさんの絵が好きなんだな。今回は裸婦。裸婦は日々研究の対称なので参考になりました。去年の千歳の企画展でお喋りしまくった小林さんにまた会えてよかった。日本画の技法の話も面白くしてくれるし、お話を聞いていると日本画を描いてみたいなぁ~とおもわせてくれるとてもいい方ですね。

次に地下鉄東豊線に乗って
茶廊法邑(東区本町1の1-8-27)「工房さとだてプロデュース ART書展」
墨は身近な画材なので親しみがわきますね。沖縄は与那国島の標記文字「カイダー字」の作品が気になりました。絵文字ってわりと好きですね。友達がここで働いているので少しお話していました。

次に地下鉄東豊線から東西線に乗り換えて
CAFE ESQUISSE中央区北1西23 メゾンドブーケ円山)「山岸せいじ個展「景」」
山岸せいじさんがいらっしゃってびっくりしました。すかさず横に座ってお話しました(笑)。写真だけでなく絵を描くので話題が合いますね~。

帰りに古本店「らくだや」に寄り道して前に読んだ「沈黙の世界/ピカート」「沈黙の春/レイチェル・カーソン」(沈黙が好きですね)「脳の右側で描け」(これは名著です)「人は見た目が9割」や画集をたくさん安く買いすぎました。でも本ってまとまると重いですね。徒歩なので帰りが大変。

で、ラーメン食べてから19時過ぎにギャラリーたぴおに行きました。竹田さんが寝ているので起こしてから一緒に酒を飲みました。でも、また寝てしまいました。せっかく来たのに~(笑)でも、木版画の真栄田さんと楽しくお話できました。話が際限なく盛り上がったので一緒に飲みに行きました。

「ライブペイント4~AKIRAライブツアー打ち上げ」




24日は14時半から札幌の「じあいネット」でAKIRAさんの北海道ツアー最後のライブが行われる。「じあいネット」というのは、主にガン問題を取り扱う団体で、「ガンは死に至る病」と考えがちな「ガン呪縛状態」から、ガン患者、その家族、友人、そしてガンを恐れる人々を解放することを目的としている。3年前に父をガンで亡くしているのでじあいネット代表の稲田さんの本「ガン呪縛」は大切に読もうとおもった。

AKIRAさんは前日のJスクランブルで行われたアイヌアートプロジェクトとのジョイントライブでも素晴らしいライブをみせてくれたので今日もライブペイントで参加するつもりで会場に駆けつけた。ライブペイントはこれで5回目。AKIRAさんはステージに上がると強いとおもう。昨日あれだけパワーを振り絞っても喉に影響がないばかりか歌えば歌うほど迫力が増して行く感じだ。

休憩をはさんで札幌の気功療法師の宍戸さんをステージに登場。観客のなかの末期ガンの方をステージで治療してもらっていた。(後日打ち上げで、宍戸さんに気功をお願いしたのだが、脳性麻痺の身体がかなり軽くなって歩くのが軽やかになったのには驚いた。気持ちが希望に満ちた光に包まれたような心境になるので何回か通おうとおもう)

もうひとりゲストはバイオリンの大久保さん。暗く重たい主旋律のメロディーを変奏していきながら繰り返していくクラシックの曲の演奏が印象的だった。この旋律の積み重ねがガン患者の心境に近いと言う。
それからAKIRAさんとも一緒に演奏。間奏にクラシックの旋律を奏でていた。この新しいバリエーションは聞いていて心地よかった。あとでクラシックってコードが難しいなとAKIRAさんが言っていたので少しおかしかった。

ライブが無事終了して描き上げた作品が写真1枚目。今回はホワイトを混色して暖かなイメージ。ライブペイントの最中は本当に頭が真っ白になって正直何を描いているのか説明ができないのだがライブを観ていたアースディー実行委員代表の矢内さんが「屈斜路湖でキャンプファイヤーをかこんでいるようですね」とコメントを頂いたのでありがたかった。描いた絵はそれぞれの解釈で観てもらえるのがとても嬉しい。

それからお腹がすいたので「ラーメンてつや」南7条店に行った。醤油味が抜群に美味かった。

25日はAKIRAさんの今回の北海道ツアーの打ち上げ。AKIRAさんに疲れを取ってもらうのに午前中は寄り道しながら豊平峡温泉に向かった。ここは源泉100%の湯で露天風呂の眺めがいい。この日は晴れ渡っていた。16時には江別大麻の展示会の搬出なのでAKIRAさんを送ってから江別に向かった。再び札幌に戻って18時前には打ち上げに参加する事ができた。

hajimeさん太田さんジョニーさんが加わって「家族」という曲を聞かせていただいた。(2枚目の写真)

カレーとちゃんちゃん焼き及びビールが美味しかった。

最後に皆様本当にお疲れ様でした!

「札幌移住計画2」

23日はまたもやそういちさんの家にお世話になった。前の日ライブペイントで2枚絵を描いて疲れていたのを気を使って頂いた。

今日は物件を決める日。澄川の不動産に行って今度は前見た物件の1階を見に行った。1階は家賃が1000円安くなって38000円。おまけに畳は2階よりきれいだし、トイレはウォシュレットでおしりにやさしい。

この物件に決めて書類を書いて審査を通すことにした。
(26日に契約費用を払ってきて27日に審査が通った)

昼に幾多郎のスープカレーを頂いてから、そういちさんが所長を務める小規模作業所のほほん工房に始めてお邪魔した。メンバーの方がいろいろ気を使ってくださるのでありがたかった。

ここで毎月出版している当事者のための情報誌「ハッピーライフ」の表紙を4月から担当する事になったので早速ミーティングに参加させていただいた。「ハッピーライフ」は障害者自立支援法といった問題を取り上げたり、グルメ情報や漫画などを盛り込んだ内容のしっかりしたレベルの高い情報誌だ。

これから参加できるので楽しみだ。

「ライブペイント3・AKIRA白石まちづくりハウスライブ」




22日はライブペイントに誘われたのでAKIRAさんのライブに参加する。この日は13時半の部と18時半の部の2回のライブがあるのでキャンバスを2枚用意して会場の白石まちづくりハウスに向かった。ここは精神障害者の施設で1階がカフェになっている。

AKIRAさんと酒を飲んだときに何時でもライブに参加していいよと誘われたのだが、こう何度も酒を飲んでいるとお互いの事を罵り合うほど仲がよくなるというもんだ。でも、せっかく行ったのに呼んだ覚えないと言うのだけはやめてください(笑)
1回目のライブが始まってAKIRAさんが「今日のライブはペイントの福地さんとバトルをやります」と紹介するので慌てて「今日はバトルではなくて共存で行きましょう」と訂正した。なかなか油断ができないのだ~!

曲に合わせて完成したのが1枚目の写真。暖かな命の繋がりを描こうとして凶暴な怪獣になってしまったが、なぜかそういちさんに気にいってもらえた。

それから次のライブまで時間があるのでみんなでらーめん五丈原に行った。癖がなくて飽きのこないスープだ。

それから会場に戻って2回目のライブで完成したものが2枚目の写真。普段あまり使わない金色を使って描いた。

「AKIRA北海道DARCライブ」


21日は前日朝方まで話し込んでそういちさんの家に泊めていただいた。そしてAKIRAさんとみんなで澄川の美味しいパン屋さん「アンシャンテ」に行ってそれを食べてからそのまま13時半から始まる北海道DARCのライブに同行した。

DARCとはドラッグ、アディクション、リハビリテーション、センターの略で薬物依存症の回復施設であり、北海道から沖縄まで40のダルクが回復に向かう方のために全国に設立している。AKIRAさんはヘロイン中毒からの生還者でもあるのでドラックに関わる歌も多い。今回ツアーのなかで唯一のボランティアライブであり、曲のラインナップもドラックに関わった者にしかわからないディープな内容のダルク仕様になった。

確かに暗く痛々しい初めて聞く曲が多かったが、絶望が深いほど歌は更に胸に深く突き刺さった。

15時半に岩見沢で興味を持っていただいた福祉関係の方に会う約束があったのでライブが終わったら早々に帰ったがもう少しその場にいたい気がした。言葉ではうまく言えないが深い闇を知る者にしかわからないような、その闇を微かに照らす光の存在を歌と場から感じたような気がしたからだ。

18時からは岩見沢でデッサン会があったので参加したが、この日は少し身体に無理をかけたようだ。

「札幌移住計画1」

20日は引っ越し先を決めるために札幌の不動産屋に行った。
前日、インターネットで調べて物件の候補を何件かピックアップしていたのだが、すでに借り手がついていて希望の物件はことごとく全滅だった。
仕方なく希望の条件を提示して新たに不動産を調べてもらったが少ない。4万以下で2LDK。しかも駐車場付きという条件は札幌にしては贅沢なのだ。
今なんて岩見沢で10畳+6畳+6畳の2LDKに駐車場と物置まで付いて3万円だというのに…しかし、札幌まで行く交通料金と体力そして時間を考慮すると背に腹はかえられない。
この条件ではあまり物件がないので2件回ったあたりで目処が付く。札幌市豊平区月寒で10畳+4,5畳+6畳の駐車場付きで39000円物件、1階と2階が空いているので今回は2階を観にいく。外観のわりには内装の状態がよくてかなり感じがいいのが気にいった。

…と、ここで何故独り者なのに広い部屋を必要とするのか疑問がわくとおもう。絵の制作には単純に場所がいるし、版画になると場所がいくらあっても足りないのが主な理由だ。10畳+4,5畳+6畳を隔てている部屋の戸やアコーデオンカーテンを開けばすべての部屋が繋がって、ワンフロアの大きな部屋になるところが惹かれる。
この日は頭を冷やす意味で一旦保留して23日に再度不動産屋に行く事を決めて、札幌の住民であるそういちさんの家に相談しに行った。

条件と金額を言うとそれはいい物件だよと言われて、あっさり決める気になった。

「大麻木版画同好会作品展」


明日から「大麻木版画同好会作品展」が始まりますのでご高覧頂ければ幸いです。
日時:20日(火)-25日(日) 10:00-17:00(最終日-16:00) 
場所:大麻公民館ギャラリー(江別市大麻中町) JR大麻駅より徒歩5分

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16日は19時からクラップスホール(札幌市中央区南4条西6丁目)でhajimeさんのライブ「hajime」World Travel Sessionに行って来た。

ゲストが
アコースティックギターの谷本光。
札幌交響楽団副主席フルート奏者の高橋聖純。
バイオリンが土屋雄作(from Siberian-Newspaper)。
パーカッションが土田祐生。
アフリカンパーカッションがMoro Goshin。

ゲストも豪華だがこれほど自由で凄い演奏が聴けるとはおもわなかった。ピアノから軽やかに舞う音で会場は別世界。さらにシンセも使って音響的な厚みも工夫していて、すべてにおいて想像を超えていた。誘ってくれた友達ありがとう。

会場に行くとAKIRAさんの他にも知った顔が並んでいるではないか!?AKIRAさんらとは土曜日からずっと行動を共にしていたし、この偶然の出会いに因縁すら感じる。hajimeさんのライブが終わったら集まったみんなで飲みに行く。居酒屋で黒豆さんとお話できたのがよかった。

話に夢中で最終列車に間に合うぎりぎりでタクシーをひろって札幌駅に向かったが結局は間に合わなかったので札幌駅前の漫画喫茶「アイ・カフェ」に泊まる事にした。静かで快適な空間が7時間で2100円は安いが今は無駄遣いができない身、札幌で飲むときは時間に気をつけたい。

「ライブペイント2(AKIRA二風谷ライブ)part3」





12日はAKIRAさん達に旭川の実家に泊まってもらった。AKIRAさんは3年前に死んだ親父に線香をあげてくれた。母親も次の日仕事だというのに2時まで酒に付き合ってくれた。
8時に起床するとすでに母は仕事に向かい朝食の支度がしてあったので皆で頂いた。
今日は二風谷までの遠征。富良野を通って夏場は4時間かかるが冬場は予想がつかないので9時過ぎには家を出る準備をする。
道中、旭川の麦々堂(神居1条21丁目88番地68号)という本格的なドイツ方式のパン屋さんに立ち寄った。二風谷へのお土産にパンを買い込んで車中でパンを食べながら富良野に向かった。
路面の状態がおもいのほかよくて、昼前には富良野に到着。余裕があったので街中から20kmほど離れたドラマ「北の国から」の舞台になった「麓郷の森」を探索しに行った。
そこから南下して占冠の道の駅で昼食。平取町を越えてまずは門別町の温泉「とねっこの湯」で冷え切った身体を温めにいった。18時からライブなので30分の入浴時間と決めてテキパキと急いだので時間通りに17時には二風谷に到着した。

二風谷はアイヌの方の人口比率が高い地域だ。
早速、ライブ会場の「山道アイヌ語学校」でAKIRAさんと並んでキャンバスにやすりをかけてイーゼルを立ててライブセッティングの準備を始める。会場にはイヨマンテ(熊送りの祭り)でつかわれるトマ織りのすだれを舞台に飾ってくれていた。緊張が高まる中、アイヌの知恵を伝えるシャーマンでもあるアシリ・レラさんと再会した。

たくさんの方々が会場に集まってライブが始まった。こころを無にしながらライブペイントも開始した。

レラさんが描き上がった絵を気にいって下さったのでここにおかせていただく事にした。お返しに緻密な絵やアイヌ刺繍の敷物や入れ物、彫り物。レラさんが作品を創る時にこれを身に付けなさいとアイヌ文様の鉢巻を頭に縛ってくれた。一言「祈りはこころを無にして行う事が大切なんだ。かっこをつけているうちはだめなんだよ。あなたはこころを無にして描いたからいい絵が描けたんだよ。」と言ってくれたのが嬉しい。

出会いの場を与えてくれたAKIRAさんとレラさんに感謝。

夜はライブを企画したアオイさんと皆でお酒をのんだ。ライブ中寒いだろうと着ている物を足に敷いてくれたり、朝早く部屋のストーブに薪をくべてくれたり、アオイさんの細やかな心遣いが暖かかった。

14日はレラさんとハグをしてお別れ、大きな胸に抱かれると強い母性を感じてしまう。事情のある子供を引き取って何名も育て上げてきた慈悲深い存在だ。

レラさん達に見送られて、一路、浦河の精神障害者作業所「べてるの家」へ向かった。
この日はAKIRAさんがオフだった事もあり、是非、尊敬する「べてるの家」のきよしどん(早坂潔さん)に会いたいとの事。
きよしさんは知的障害と精神障害をわずらっているにもかかわらず。ソーシャルワーカーの向谷地さんとともにべてるの家を立ち上げた。病気の当事者が会社をつくり、当事者が病気自慢をしながら日本じゅうを講演しなから会社としての業績を上げている。いまや世界的にも注目を浴びて国連に招待されるまでになっている。
きよしさんとホテルでコーヒーを飲んで町の定食屋さんで玉子丼を食べた。接していると病気に対する苦労から脳性麻痺の身体を気を使ってくれたり言葉から暖かさが伝わってくる。
ご飯を食べた後、一気に饒舌さが増してくる。実にわかりやすい方だ。

彼とはとてもよい友達になれそうな気がした。

それから苫小牧に向かい着いたのが19時。ポム・メリィ(苫小牧市豊川町2丁目1-9)に行ってケーキを買って、店の方に紹介していただいたパスタ屋さんで夕食を頂いた。苫小牧の「お宝鑑定館」に寄り道をして札幌の向かった。

札幌は吹雪きで到着は11時だった。そういちさんの家でお酒をいただいて無事旅を終えたことを確認してお祝いをした。

4日間の遠征ライブツアー、皆様お疲れ様でした!!!

まだまだ、AKIRAさんのツアーは続きます。

2月18日日曜日「孝勝寺」
北海道石狩郡当別町太美町16
チケット1500円
19時より

2月19日月曜日 琴似「AMICA」
西区琴似2条3-1-10 共栄ビル4F
TEL 011-631-2822
チケット1500円 プラスドリンク1つを注文して下さい

2月22日木曜日「白石まちずくりハウス」
白石区平和通り3北3-1葵ビル1F JR白石駅前
TEL011-866-6683
一般千円。
障害者の人は手帳を見せてくれたら500円。

2月23日金曜日「Jスクランブル」
AKIRA&アイヌアートプロジェクト・ライブ」
Jスクランブル
札幌市中央区南6条西9丁目
TEL→011-563-2552
開演19時。
料金2500円

「AKIRA旭川ライブpart2」


11日は岩見沢のアパートにAKIRAさんを含めて6名が泊まった。ライブの余韻を楽しみながら5時まで語り合う。

12日、9時半に起床して朝ごはんを作る。玄米に黒米と黒豆を少量入れて炊き込み、昆布とかつおを削ってだしをとって有機栽培の味噌で味噌汁を作った。それに梅干と自然有精卵を加えて質素な献立だが材料にはこだわっている。それにも増して大勢で囲む食卓は格別なものがある。

12時には岩見沢から旭川に向った。途中、砂川から右折して歌志内のチロルの湯に行ってゆっくりと露天風呂に浸かった。AKIRAさんはドレットヘアーなのでターバンのようにタオルを頭に巻いている。おもわず手入れは大変ではないですか?と聞いてしまったが、それほどでもない様子。それから12号線を北上し深川の道の駅で「駅逓」で釜飯。小さい釜に1合ずつ炊かれているここの名物で遅い昼食を皆で美味しく頂いた。

旭川のライブ会場Bacca!(旭川市1条通9丁目)にむかうと開演1時間前の18時。慌てて機材を車から運び出すと早速ライブのセッティング。 会場はクラシカルでおしゃれな雰囲気でライブの主催者でもあるエミさんの写真展も行っていた。
今回のAKIRAツアーでお会いしたYUMIさんの紹介でニューヨーク在住のミリィさんにもお会いできて繋がりのネットワークが増えていく。3年前に旭川イオンのネイティブの森で行った木版画の展示会を知っている方も何名かお会いできてよかった。

ライブではドラム、アフリカのニジェール、ジャンベ、南米の楽器パチカ、ミカさんのカホンが加わり、ここでも強力なリズム部隊の編成が出来上がる。会場では挙式を上げるカップルが3組もいてAKIRAさんは歌声で祝福を挙げていた。

極寒の地、旭川。仲間の繋がりを感じる暖かなライブだった。