時々会う友人(13) 過ぎたるは及ばざるが如し  | 自分史の旅 tarojie

自分史の旅 tarojie

黄昏の落ち葉が似合う年齢になった。何かを残すこともない過ぎ去る日々、何かストーリーを書いておきたいと思いブログを始めたものの面倒だと思う日もある。忘れること思い出すことできなくなるかもしれない。まだ真黄色な楽園ではない。少しは色もある萎びれ枯れて行く。

時々会う友人(13) 過ぎたるは及ばざるが如し 

しばらく会っていなかった時々会う友人が来た。ここは昼のみができる居酒屋である。彼が手に野菜を持って来てくれた。彼の作品である。ニンニク、ズッキニー、ジャガイモ、キウリ。とにかくいろいろ作っている。借りた土地はフル回転のようだ。

 

最近はゴルフも行っていないようだ。毎日ガーデニングで過ごしていると言っていた。彼はいつものようにハイボールのメガサイズを注文した。私のほうは大宮で先週飲んだばかりである。夕方6時になっていた。話が盛り上がって4時間もここにいたことになる。

 

最近は忘れることが多くなった。この盛り上がった話の内容を忘れてしまう。野菜と目の手術のことは話した。新潟に行った話もした。タイ、ベトナムの事も話した。しかし細部がわからない。

 

会計を終えて、途中休憩して帰った。帰宅して風呂でさっぱりすると何を話ししたのだろうか。飲み過ぎたことは間違いない。過ぎたるは及ばざるが如し。何をするにも、行き過ぎになっていると、それがどんなに良いことでも、不満足な状態と変わらない。

 

過度になってしまえば、むしろ控え目にしている方がよい。先人はいいことを言っている。英語でもToo much is as bad as too little. 楽しかったことは事実だ。もう我々には何かの結果を得ようとは思っていない。

 

若いころ飲み過ぎて二日酔いで会社を休んだ。体調が悪いんで休ませてください。貴重な休日を費やしてしまったことが思い出される。年寄りへの道徳訓話は馬の耳に念仏になったしまった。彼の作品は家内が最も喜んだ。

(2024年6月9日)