タロージィのひとりごと(36) 妄想老人による妄想老人のための政治 | 自分史の旅 tarojie

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黄昏の落ち葉が似合う年齢になった。何かを残すこともない過ぎ去る日々、何かストーリーを書いておきたいと思いブログを始めたものの面倒だと思う日もある。忘れること思い出すことできなくなるかもしれない。まだ真黄色な楽園ではない。少しは色もある萎びれ枯れて行く。

タロージィのひとりごと(36) 妄想老人による妄想老人のための政治

儂もしばらく休んで少子化問題に取り組んでいた。儂の思うところ老人が長生きするから少子化なんじゃ。老人が頑張りすぎる。『高齢化と少子化は同列じゃ』。前はお年寄りを大切にとよく言われていたのではないか。

 

それが票につながり儂のような軟弱なジジイがいなければ当選できない。若いもんの票は当てにできない。そうだろう。政治家にしろ、芸能人にしろ年寄りが多いぜ。80歳を超え歩くことも大変だと思える年寄りだ。90を超えてまだ番組をもっておられる人もいる。

 

それを儂らのように周辺年寄りが支えているのだろう。そういう中では儂なんかまだ若いだろう。金もそう使わない。黙々とガーデニングして花が、野菜ができたと喜んでいる。平和な世界を演出している儂らが良くないのかね。

 

病気になっては問題だと黙々と健康のために歩いている。何と健気な老人と思う時が時々ある。最近昭和の歌謡曲が良く聞くねぇ。これも高齢者のための老人政策が思う時がある。『昔は良かった政策』だ。まだ頑張れと暗に示している。

 

『それでタロージィ少子化問題どうなった』。結婚しないから子供ができないのだろう。多様な社会とか言ったって、男女は結婚しなければ生まれないだろう。昔、男女のきっかけつくりの番組があったろう。何番が誰を好きかとそんな番組があったろう。

 

最近、東京のバス会社が男女の出会いをつくる企画があったなぁ。あれは孤独な老人をなくそうって企画だなぁ。50,60歳の出会いだぜ。子供ができねぇなぁ。大谷選手いつ赤ちゃんできるのかなぁ? 『タロージィ、君の考えわかったよ。達者でな』

(2024年5月10日)