『2年生存率0%生き抜いて』

 

28歳で腎臓の希少がんに罹患。

22年前の発病当時、

一番の希望は生の体験談でしたキラキラ

 

発病からの生還記録を綴っています。

少しでも生きる力となりますように。

 

 

抗がん剤治療の副作用で髪が抜け落ち、

まだ生えてきていないとき。

 

当時、写真を撮る心の余裕もなく、
退院後、友人の結婚式でのこの写真が
治療時に一番近いです。


前回はこちら

 

 

 
 
 

 

【押さえていたものがあふれて

 

 

がんを作った原因が
 
“心”
 
にあるとするなら?

と仮定し、
過去の自分と向き合っています。 


子どもの頃、
自分を抑え、
他人の顔色を伺い、
他人に合わせることによって
自分を懸命に守っていました。

 

良い子になれない。
迷惑ばかりかける。
聞いてはいけないことを聞く。
 


自分を責め、
ダメ出しばかりしていました。
そんな子どもがどんな大人になってくのか。

振り返りの振り返りは

最終章です。



キラキラキラキラキラキラ
 
 
物質的に恵まれても、
精神的に満たされることはなく、

常に

「足りない、まだ足りない」

という思いと、


地位、名誉、お金、車・・・
を失うことへの不安でいっぱいでした。


がんになってからではなく、
がんになる前こそ、
本当は生きていくことが
不安でたまらなかったです。


 


“自分でない自分”

のまま走っていることに
どこかで気付いていましたが、
その暴走をどうやって止めたらいいか、
知るすべもありませんでした。

 

 

 


もう疲労困ぱいでした。

 



誰かの評価の中でしか
生きられない自分が、

恐怖と不安で心の大部分を
埋め尽くされている自分が、

心から人生を楽しんでいない自分が、



「そんなことは誰でも同じだ」
と言い訳をしながら、


“本当の自分”と闘っています。



もう、フラフラでした。

 



ネガティブな妄想も
パワフルになりました。



毎朝、会社へ向かう車の中で、



「今日は上司の機嫌はいいだろうか?
 何か怒られることはないか?」

と思い巡らせ、

上司に怒られているシーンを
あらかじめ想像しておき、

実際に怒られたときのショックを
少しでも和らげようと努めます。



会社で電話が鳴れば、

「お客さんからのお叱りの電話だろうか」

と想像することで、
もしそれが当たっていたときに
傷つかないよう、心に予防線を張りました。

 

 発病直前(友人の子どもを抱いて)

 

 

 

「不安」「心配」「恐怖」
の中で生きていました。



さらに、同僚への「妬み」
自分への「怒り」
将来への「焦り」
過去への「後悔」が募ります・・・


まるでネガティブの海を
漂流するがごとく。




心も体も休ませず、

「これが人生なんだ。

    みんな同じだ」

と自分にいつも言い聞かせていました。



体はずっと不調でした。
熱が出ても、
原因不明の湿疹が出ても。

薬でごまかしました。

 

本当は休みたかったのだと思います。



しかし休むことは、
自分自身が許さないのです。



がんばって、
がんばって結果が出なくても、
がんばるしかありませんでした。

 



「お前は馬車馬のようだな」
と言われて喜び、



「24時間戦えますか?」
のキャッチコピーに踊らされ、
毎日滋養強壮ドリンクを飲みます。



ダメな自分を認めないために、
とにかく走り続けるしかなかったのです。

 



気づけば・・・

「このサイクルから抜け出すには、
病気でもして入院するしかないな」

と、病室で寝ているシーンを
想像するようにもなりました。





そして28歳、 

突然のがん宣告

ショックのあまり言葉も出ませんでした。

 

 



しかし、その一方で・・・


ホッとしていました。



「これでやっと休める」 
 




こうして、
幼少時代からがんを発病するまでの
28年間の自分と向き合うことができました。


そこには、

“期待に応えなきゃいけないとがんばる自分”
“自慢の子でい続けようとあがく自分”


がいつもいました。



人目を気にし、
他人の顔色を伺い、
他人の評価の中にしか

自分の価値を認められない。

常に不安や恐怖と闘い、
行き場のないストレスを溜め込む。


そんな抑圧されたエネルギーが、
長い時間をかけてがんを作ってきたのだと、
自分なりに答えを出しました。



自分のネガティブな感情と向き合うことは
とても大事なことだと思いました。



ある本こう書かれていました。

「心で処理できないことが

  体に現れてくる」

 



自分の場合、
ネガティブな感情を心に溜め込んで、
それががんという塊に

形を変えたのかもしれません。


不安、恐怖、心配、
焦燥、後悔、怒り、
憎しみ、悲しみ、自己否定・・・



これらの感情は、
幼い頃から長年に渡って蓄積され、
処理する方法がわからず、
処理しようという意識さえもなく、
がんという形となって体に現れ、
命懸けで訴えかけてきたのだと思います。


「いいかげん気づいてくれ!
こっちを向いてくれよ!」
と。


また、

「お前の本当の生き方はこっちだ」

と教えてくれたのかもしれません。

 



がんは

ぼくにとってのメッセンジャーでした。

 

振り返りの振り返りはです。
 

 

        24歳頃の自分

 

 

つづく

 

 

その頃を思って作った歌『大丈夫だよ』

 

 

 

 

現在はとても元気です!

寺山心一翁さんと

 

 

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