『2年生存率0%を生き抜いて』

 

28歳で腎臓の希少がんに罹患。

22年前の発病当時、

一番の希望は生の体験談でしたキラキラ

 

発病からの生還記録を綴っています。

少しでも生きる力となりますように。

今回も28歳の血気盛んな若者の物語として

寛大な心でお読みいただければ幸いですニコニコ

 

現在の写真です


前回はこちら

 

 

 

 

 

 

【お前、いつ死ぬの?】

 

  

 

2000年1月10日、
退院から約2週間後、
抗がん剤治療の副作用が残る中、


病院以外でできることを探す目的で、
ある歯科医を訪ねるため、

福島県に向かっていました。
 


目的地は福島でしたが、

千葉の大学時代の友人(Hくん)宅に

泊めてもらうことになりました。

 

 

大学野球部の同僚で、

野球のこと以外でも、

ローリングストーンズが好きだったり、

合コンを企画したり、

とてもウマが合いました。

 


野球部に入部して間もない頃、

某スポーツ新聞の広告に

目が釘付けとなり、

Hくんとともに行った名古屋の歓楽街

 

 

 

 

胸躍らせるキャッチコピーに、

あまりの料金の安さ!

 

 

もう行くしかないでしょ!!

 

 

 

しかし実際には、

次々とオプション料金を請求され、

かなりの高額となり、

二人で悔し涙を飲みましたえーん

 

 

男なら誰もが通る道ですびっくりマーク

 

 

 

さて、


原くんのアパートを訪ねます。

 

 

変わり果てたぼくの姿を見て、

さぞかし驚いたことでしょう。

 

 

しかし彼は、そんなことはおかまいなし。

 


「よう生きとったね。

『杉浦は死んだ』という噂も流れてたよ」

 


誰だ、流したやつは!

 


体は痩せ細り、

毛は一本もないという姿でも、

友人の前で堂々としていられました。

 

 

新しい道を歩き始めた自分に、

少しだけ自信を持ち始めていたからです。

 


お酒を飲みました。

 

Hくんは面白い男で、こう聞いてきます。

 


「お前、いつ死ぬんだ?」

 

(ハッ?すごいこと聞くね)

 

 

ぼくはこう答えていました。

 


「アホか、がんは治るんだぞ!

  お前より長生きしてやるよ!」

 

 


がんが治るなんて

根拠はなかったのですが、

そう言っている自分に驚きました。

 

 

励ます言葉に正解はない。

 

 

腫れ物を触るように

接してくる友人が多い中、

 

 

こんな風にストレートに

ぶつかってきてくれたことが、

とにかく嬉しかったです。

 

 

しかし正直すぎる(笑)。

 


相手は悪友。

 

 

男二人でお酒を飲めばろくなことを考えません。

 


「なあ、行っとく?」

 


「まじかー!そんな体で?

 まあ、お前がそこまで言うなら仕方ないな!」

 

 

 

向かった先は歓楽街・・・。

 

 

あれから人生経験を積んだぼくたちは、

前車の轍を踏むことはありません。

 

 

あらゆる情報、経験をもとに行く場所を選択。

 

 

病身の上に、

長旅で体力は消耗しきっていましたが、

心のワクワクは止まりませんキラキラ

 

 

ぼくたちは、

生きる喜びを爆発させ、

命の遠吠えを上げましたびっくりマーク

 

 

 

そして、

身も心も元気になりましたびっくりマーク

 

 

 

 

 

 

 

と言いたいところですが、


翌日、Hくんの家で、

 

ぼくは一歩も動けませんでした(笑)。

 

つづく

 

 

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