"ジャッジメント" 罰する心のメカニズムからの解放 (その2) | 魂のよろこぶ生きかた

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 やはぎのりか 矢作 典加 

"ジャッジメント"

 

心の奥からわきおこる自分への批判の言葉

容赦ないその言葉に

自身を失ったり、あきらめたり、躊躇したり

卑下したり、、、前進することを妨げられたり

したことはありませんか。

 

これは、多くの、、ほとんどの人が経験されているのではないでしょうか。

客観的に健全なところから、判断する

 

というところを超えて

自分や他者のことを、厳しく非難することは

 

私たちをとどまらせ、前へ進む勇気を奪うだけでなく

生きるバイタリティや健全性、創造性さえも奪っていきます。

 

この"ジャッジメント"は、
私たちの副交感神経につよい影響を及ぼしています。
さらに、実際に、生物学的なレベルでの"硬直"を、

私たちのからだに引き起こす力をもっています。

 

多くの人が、たえず日常的に行っている"自他批判"という
思考のパターンに焦点をしぼり、そのメカニズムを、
幼児脳の発達心理学や脳神経科学、生物学的領域からひもとき、
この批判の回路から自分を解放する


マイケル・フレミング氏の

ワークショップに参加してきました。

https://www.atp-michaelfleming-japan.com/

 

ジャッジする心は、まだ言葉のアプローチが機能しない

生後3年までのトラウマ的な学習認識に起源を持っています。

 

そのため、言葉によるセラピーやアファメーションなどでは、

根本的な解決は得られません。

 

自分の内に巣食う、最も自分を疲弊させ破壊してしまう

内なるモンスター

"ジャッジメント"から、自分を解放する~4日間でした。

 

  (参考:マイケル・フレミング来日WS案内より)

 

 

(その1)はこちら

 

 

<DAY2>

 

前日出てきた、ジャッジメントの本質

自分自身のジャッジメントに

自分自身がなりきる、、という体験が待っていました。

 

心の奥底で自分に下している判定
ジャッジメント

 

こうありたいという自分を生きようとする時

 

心の奥から

どれほどの

〇〇するべき、〇〇しないべき

という囁き、アドバイスが聞こえているでしょうか。

 

こうすべき、ああすべき

という声、それは

日常の様々な場面でたえず聞こえている

 

ということはないでしょうか。

 

この領域を一つの層(最初の層)とするなら

 

次の層に隠れているのは警告でした。

 

あなたは
〇〇するべき


(あるいは、しないべき)


もしそれに従わなければ
こうなるわよ

それでもいいの?

 

その言葉は、脅迫じみています。

 

するべきことを、しなければ

どんな事態になるか

 

もしもこのアドバイスに、従わないなら

こうなるのよ、それでもいいの、と迫ります。

 

恐れから

行動へと駆り立てるシステムがそこにはあります。

 

さらにその奥へとおりてゆくと

そこには、破壊的な攻撃のエネルギーが潜んでいます。

 

それは、言語獲得期以前(3歳になるまで)に

感じたエネルギーレベルの身体感覚に記憶された
と言われるものです。

 

その感覚につながり、それを言語化してゆきます。


それは

WSに出かける前に

夫との間に起こったやりとりから感じていた

私は、「できないことが怖かった」

その奥にあると感じるもの


怖いと感じながら

言語化することを避けていたことでした。

 

 

その破壊的な攻撃のエネルギーを感じて

 

出てきたのは、、、

 


できそこない!

役立たず!
お前なんていなくていい。

死んでしまえ!

生きている価値がない。

どうせできっこない。

無駄な努力だよ。

いい加減目を覚ませ!

 

自分でも驚くような言葉でした。

 

私は、そのエネルギーの恐ろしさのあまり

言語化することをさけて通ってきたのだと思います。

 

直接そのような言葉を

自分でも、周りからも、自分自身にかけてきたことも

かけられたことも、ありませんでした。

 

 

 

この3つの層で見つけた言葉を使い

自分自身の

”ジャッジメント”になる

という体験をしました。

 

自分と繋がり

自分が自分の”ジャッジメント”そのものになり

自分自身をジャッジします。

 

クラスの中で

ワークの公開コーチが行われました。

そのうちの一人に選ばれて

皆の前でワークをする機会を得ました。

 

内側で感じていた恐ろしいエネルギーを

言葉にして浴びせかけました。

自分の分身に。

 

そうすることで

その攻撃的な恐ろしいエネルギーは

確かに自分の中にあった、ものだと感じました。

 

奥深くに閉じ込めてきたもの

~言語獲得期以前(3歳になるまで)に

感じたエネルギーレベルで身体感覚に記憶されたもの~

明るみに出す、というプロセスでした。

 

その日のクラスの最後、統合の時間に

瞑想をしながら、自分の内側へと降りていきました。

 

 

その時、気づいたのです。

 

ワークをし終えた後でさえ

私は、十分にできただろうか??と

自分自身にをジャッジの目を向けていました。

 

さらに、エブリデイ、エブリタイム
些細なことにも


”ジャッジメント”
”ジャッジメント”

”ジャッジメント” 、、、


自分へも他者へも、もう際限なくジャッジの嵐、、、でした。

 

そして、自分の内側へ降りていきました。

 

”愛”

そこにあるのは”愛”でした。

心が震え涙が溢れてきました。

 

内側の真実の世界にふれて

私は、マイケルに飛びつきたい衝動にかられました。

 

”ジャッジメント”

 

せずに、向かっていきました。

 

見ていましたよ。

ほんとうに”愛”に触れたのですね。

 

そう、伝えてくれました。

 

 

翌日の朝

歯磨きをしようとして、、、

 

歯磨きも、しなければならないことだったと

気づきました。

 

そして


ほんとうに、どれだけ

たくさんの、しなければいけないことを抱えてきたのでしょう。

 

あれも、これも、それも、、、

 

自分への”愛”から

この歯を磨いてあげよう。

そんな思いが自然に湧いてきたのです。

 

歯磨き、それは日常の些細なことかもしれません。

 

そして

毎日毎日、歯磨きしなくちゃ、、と

囁き続けてきたのです。

同じように、どれだけのことを

○○しなくちゃと、言い続けてきたか。

 

これは

 

とてもとても大きな変化でした

 

 

日常の些細なこと、でありながら

その積み重ねが、人生を作っていきます。

命の営みの、小さな積み重ねを
恐れと攻撃の源からではなく

 

”愛”の源から選択してゆくという場所へ

導かれました。

 

いつもいつも

 

究極は、それを
”愛”から選択するのか

”恐れ”から選択するのか、なのです。

 

 

言語レベルで

○○するべき、、という言葉を

 

それを、選択する

だとか

それを、する必要があると

 

言語の領域で言い換えることもできます。

そのことも効果を持ちます。

 

そして

そもそも

〇〇するべきという

 

警告は

言語獲得期以前の領域から生まれているのでした。

 

その根源にあり

内側でとぐろをまいていたエネルギーに

触れ、明るみに出した体験でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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