その昔。

わたしが通っていた高校はキリスト教の学校だったので

年間の宗教行事が信仰とともにあることをたくさん学び


クリスチャンであろうとなかろうと、差別や区別のない

とてもリベラルな場所でした。

ここでいうリベラルは政治とは関係ありません。個人を尊重する、という意味です。


そんな中、友だちの1人が


自分はこの学校が大好きで通っているのだけど
 

知り合いの年配の方から『あなたは心が弱いから宗教の学校に通ってるのね』と言われたと


それはそれはショックを受けていました。


ましてや多感な時期。
 

自分とは何者なのだろう

自分の心とは何だろう

他からみたわたしはどう写っているのだろう


といった、アイデンティティについてもものすごく考える時期です。


随分とまあ辛辣なことをおっしゃる方もいるもんだと当時も思ったし今も思いますが


信仰を持つことは、心が弱いからではなく

自分の心や行いを納得のいく信仰になぞらえて見つめていくことで

むしろ、心を強く保とうとする基本的には健康的なものです。






それは、セラピーも然り。


心が弱っている時、悩んで揺らいでいる時にセラピーやカウンセリングを受ける


というきっかけが


ハタから見た時に「心が弱そう」とうつるだけのこと。


あくまでも受ける本人は弱ってるだけで


本当の強さ弱さなんて本人にだって分かり得ないのだから(だから悩むしもがく)


心が弱い、だなんて


他者が自分の物差しで決めつけて、とやかく言うものでもないです。


弱いと弱ってるは似たように見えるかもしれないけれど、全く別物です。



もっと言えば


この世に心が弱くない人なんているのでしょうか?



そんなことはないはず。


心の弱さを虚勢で示すことが、一見強さにうつることこそあれど


弱くて結構、だから生きてるんだ!


というスタンスくらいでちょうど良いのかもしれません。


それに

心が強く見える人は、気が強いのであって、それは心の強さと直結しているわけでもありません。


だからもし


セラピーを受けるって、心が弱いって思われないかな?とか

周りの人から変な目で見られるんじゃないかと二の足を踏んでしまっているならば


全くそんなことはないよ


と、強くお伝えしたい。


セラピーも宗教も、自分の思いや行いをそれになぞらえて見つめる手段のひとつにしかすぎません。




ルンルンおしらせルンルン


タニタサイズについて インタビュー記事が掲載されました!


リライズニュース 新時代創造マガジン インタビュー記事が掲載されました!




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

Lieto BodyTalk Room


米国IBA認定 BodyTalk施術士 松岡由枝

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆