七七日忌まではもう少しあるのですが


お寺さんや各々の家の都合を鑑みて、今週末に祖母の納骨をします。





わたしは2歳半からバリバリ記憶があるので



本家のおじいさんが亡くなったとか


近所の○○さんが亡くなったとか



そういうことはよく覚えていますし



当時は、介護からお葬儀まで一切合切を家でというのは当たり前だったので



学校に上がる前から、人がこの世の役目を終えるというものを間近で見てきたのは



今となっては貴重なことだったと思っています。




時は過ぎ



わたしは母を早くに亡くしているので



人が一生をどう生きて次の世界に行くのか



ということを、学生の頃からものすごく勉強しました。



いわゆる、Death Education です。



肉体のあるこの世をどう生き抜くかが、次の世界へ進むための土台になっていく。



良く生きることが、良く死ぬこと



誤解を恐れず、これは確かだなと感じます。




同時に


人間は、この世の終わりを迎えて旅立ちが迫ってきた時に


生きる力を、残された側に分かるように見せてくれると感じます。


これをわたしは、旅立つ力と表現したいと思いますが


例えば


大病を患って緩和治療を行っていたとして


この世の役目を肉体の病気というテーマを持って、疲れ果てたから旅立つのではなく


次の世界に旅立てる力が備わったから、この世の役目を終える


そう強く思うのです。


祖母の時も然りでした。


彼女はわたしの知る限り、大病を患ったことはありません。


風邪も引かないし、病院に通う用事がないことが悩みだった人です。
 

なので、今回の忌の際は


徐々に呼吸数が落ちて…病院から電話がかかってきて

コロナ禍で面会もできないため


心の中で「いつでもいいんだよ」と思いながら祈る日々を


実のところ、10日近く持ち直してまた低下して…を繰り返していました。


でも人間とは不思議なもので


我々家族が「何だかんだと持ち直してまた元気になるかもしれないね」


と、感じた頃に旅立ちました。



そう


この「大丈夫なんじゃない?」と感じさせるエネルギーが


旅立つ力なのかなと、わたしは思うのです。



昨日のジョンの訃報に関してのブログ記事も、
まさに旅立つ力そのものなのかもしれない。



もちろん


人の最期というのは、老衰や病死だけではありませんし


本当にある日突然、まさか!?ということもたくさんあります。


心だけが置いて行かれてしまうような


時の流れが自分だけ変なのかな?


そういう感覚になる旅立ちを経験されている方も大勢おられます。



それでも「元気そのものだったのに」と周囲から聞こえてくるのは


偶然ではないのかも…と個人的には思います。


ばあちゃんは、乳飲み子を抱えて戦禍をくぐり抜けた人なので

決して苦労が無かった人ではありませんが


生きることにとても恵まれていたと思います。


それも含めて


祖母の生きる力と旅立つ力だったのかな…と


わたしは思っています。



ルンルンおしらせルンルン


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