親しい間柄って


何でも同じがいいって思い込みがちです。



もちろん、親しい間柄だから


食の好みや価値観などが合う。


これって、ただただありがたいし、幸せなことです。




一方で


どうにも意見が合わない


価値観が違う


取り付く島がない


こんなことも起こるのが親しい間柄。


友人関係や恋人関係なら、距離を置くとか離れるとか


仕事関係なら、言わせておくとか聞き流すとか


何らかの対処法はあるものですが



これが、家族とか親子とか夫婦とか○○家とか



いわゆる、血の繋がりが伴ってくるとどうでしょう?


許せる範囲ならいいけど


自分だけアウェイだったり


誰か1人だけが突出していたり


性別や年齢で批判されたりとかしたら


なかなかシンドイ。



わかってもらいたいと思っちゃうものです。





もし


家族や親しい間柄で意見が違ったとして


その人と、意見が全く食い違うこともなく


全ての価値観がキッチリ合うとしたら、どうでしょう?


その時に


全部自分の意見に合わせてくれたり


価値観を揃えてくれたり


食の好みなども合わせてくれたとしたら…


楽だなぁと思いますか?


それとも


え?あなたって自分の意見もないの?


と、思いますか?



年老いた親や未成年の子どもなど、自分より小さい存在に対してなら


社会をスムーズに生きるために、意見を合わせてもらうこともあるでしょうし


意見や価値観に責任を持つのが努めとも言えます。



だけど、ちょっとだけ距離をとってみた時に、考えてみてほしいことがあります。



全部が全部同じって、弛みがなくて窮屈なんです。


相手に意見(の違い)があるって、実はとても健康的なことです。



でも、家族や親しい間柄であればあるほど


同じであってほしいと思っちゃうのが人間。


どこかで性別や年齢、立場のせいってすることで丸くおさめることも多いでしょう。


いつも自分が我慢して相手に合わせるということもあるでしょうし


仲違いということもあるでしょう。


どうしたって、血の繋がりがあると


そういう時って拗れるものなのです。


意見が違うのが健康的だけど拗れるもの???


矛盾さえ感じるけど


自由意思があるというのは、とても安全なことです。


自由意思があるから、意見が違うこともある。


だけどつい


自由意思があるから、同じがいい。


って思っちゃうもの。



どうしても納得がいかなければ


近しい間柄であっても必要最小限の関わりにすることだってできる。


それもまた自由意思。


煮詰まってしまうと、そんな余裕なんか無くなっちゃうものです。


だからこそ、余裕のある時に


良し悪しを決めるのではなく


各々の意見を出し合うための膝を詰めてのミーティングが大事なのです。



その適切な期間が、実は土用中です。


ものごとを決定するのではなく、熟成させる時間。


それが土用。


この週末、そんなひと時をもってみるのもオススメです。



ルンルンおしらせルンルン


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